第58回 心の中に生き続ける人たち
「10歳まで生きない」はずの子だったけど
誰の心の中にも「このヒトがいなければ今の自分はいなかった」と思える人物がいるのではありませんか。その人にとっては何気ない言葉でも、励まされたり、元気づけられたり・・・。それが「生きる力」や隠れた才能の開花につながったりもします。
私の子ども時代は病気のデパートでした。虚弱体質の原因らしきものを初めて叔母から聞かされたのが40歳のころ。戦後間もない晩秋の寒い日に、陣痛が始まった母を無視して父は外出したようです。4歳の兄がみぞれが降る中、産婆を迎えに行ったものの留守で、その間に母は小さな私を座敷で生み落したショックで意識不明になったらしい。どのくらいの時間がすぎたのかわかりませんが、全身紫色で震えていた赤ん坊はその後何度も生死の境をさ迷います。おとなしくてお人形のように寄りかかって座っていて、初めて立って歩いたのは2歳になってからでした。医者は「10歳まで生きない」と宣告したそうです。
心に響く「力を引出す言葉」
叔母の話では以前から不仲だった父母の関係はこの墜落産事件で決定的に悪化したとか。記憶にないほど幼いときから、私はなぜか自分が両親にとって「居てはいけない存在」で、彼らを不機嫌にさせないよう「騒いではいけない、要求してはいけない」と思い込んでいたフシがありました。子ども心に「いつ死んでもいいや」という諦念があり、数少ない写真を見返しても、小さくて細くて、視線がうつろで、陰気な感じの影の薄い女の子が仏頂面して写っています。
原因不明の発熱や風邪で小学校の半分を休学した私は、普通の子が上手にできることが不器用で下手で、自信がなく、臆病ですぐに口ごもって、よくイジメられました。
唯一の慰めが本で、カテゴリーかまわず何でも読んでいたのですが、中学生になったある日、いつもは皮肉屋の国語の女性教師が「なんとすばらしい表現力!」と声を上げて読み出したのが私の書いた作文でした。暗闇にいきなり一条の日の光が差し込んだというか、心の隅に眠っていた何かが揺り起こされた瞬間です。
原因不明の発熱や風邪で小学校の半分を休学した私は、普通の子が上手にできることが不器用で下手で、自信がなく、臆病ですぐに口ごもって、よくイジメられました。
唯一の慰めが本で、カテゴリーかまわず何でも読んでいたのですが、中学生になったある日、いつもは皮肉屋の国語の女性教師が「なんとすばらしい表現力!」と声を上げて読み出したのが私の書いた作文でした。暗闇にいきなり一条の日の光が差し込んだというか、心の隅に眠っていた何かが揺り起こされた瞬間です。
主婦の友社出版局長 石塚歌子さんのこと
あれから50年、紆余曲折の人生で寄り道をしながら、いつのまにか中学生のころ憧れていた物書きを生業にするようになりました。
きっかけはこの世界にその人ありと知られた名編集者の故石塚歌子女史に声をかけられて、初めて「カネになる文章」を書いたときのこと、わずか20行の文章を10回も書き直させられました。
正直、お先まっ暗。ライター初心者の私に具体的な書き方の指導や指示はいっさいなく、言うことは「読ませていない」「イマイチ」「あと少しのインパクトを」だけ。五里霧中、七転八倒で私が悩み、焦って苦しむのを辛抱強く見守っている柔らかい視線がありました。
きっかけはこの世界にその人ありと知られた名編集者の故石塚歌子女史に声をかけられて、初めて「カネになる文章」を書いたときのこと、わずか20行の文章を10回も書き直させられました。
正直、お先まっ暗。ライター初心者の私に具体的な書き方の指導や指示はいっさいなく、言うことは「読ませていない」「イマイチ」「あと少しのインパクトを」だけ。五里霧中、七転八倒で私が悩み、焦って苦しむのを辛抱強く見守っている柔らかい視線がありました。
後年、初めてのエッセイ集が出版された時、重病の床の彼女に報告に行くと、穏やかに微笑んで「本が出てもほとんど見えないから読めないわ。でも嬉しい、私の目に狂いはなかったということネ」と苦しげな息の中でつぶやきました。このひと言がその後の私を後押ししたと言っても過言ではありません。いまでも書き終わるたびに、心の中の歌子さんに「どうでしょう?」と尋ねています。
東京新聞編集委員 神谷紀一郎さんのこと
それから数年後、東京新聞の編集部から突然電話が入ります。「新米お父さんの子育ての本」を書かれたのはあなたですか?と単刀直入な質問にハイそうですと答えたら、「今から会いに行きます」。2時間後に渋めでダンディな男性が現れ、そのまた2時間後にはエッセイ連載の話がまとまっていました。社会部で活躍した神谷紀一郎氏は生活紙面の部長を兼任し、「男も読む家庭欄の紙面づくり」をめざしていて試行錯誤していたところ、たまたま私の本を読んで「見つけたぞ!」と車を飛ばしてきたのだとか。
ほとんど無名の物書きをメジャーに抜擢したりして大丈夫ですかと、心配したら、「なぁに、中東での戦争の取材で飛び交う弾の下をかいくぐってきた男です。怖いものなんかありゃしません」と高笑い。「遠慮や斟酌は無用です。批判や文句は僕にまかせて、心置きなく、お好きなように読ませるものを書いてください」
3か月の約束がいつしか2年半の人気連載になり、単行本にもなりました。「ほらね、僕の勘が狂うことはありません」。
担当がはずれてからも、花見だ、紅葉だ、雪見だと他社のお仲間も交えての飲み会に引っ張り出してくれては談論風発。その頭の中はまさに「生き字引」で、「自分の目で見て、自分のアタマで考えたことでなければ書いちゃいけませんよ」と、幾多の部下やライターを育ててきたであろう編集者の力量のすごさをひしひしと感じさせてくれました。
担当がはずれてからも、花見だ、紅葉だ、雪見だと他社のお仲間も交えての飲み会に引っ張り出してくれては談論風発。その頭の中はまさに「生き字引」で、「自分の目で見て、自分のアタマで考えたことでなければ書いちゃいけませんよ」と、幾多の部下やライターを育ててきたであろう編集者の力量のすごさをひしひしと感じさせてくれました。
2月22日は神谷さんの一周忌、大好きだったビールで献杯して呟きました。「いつまでも私の心の中にいてくださいね」
次回は、3月11日更新予定です。
次回は、3月11日更新予定です。
(2011年2月25日)
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宮本まき子先生の書籍
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
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