第26回 昨今のペット事情は少しおかしい
犬も猫も「成果主義」の労働時代があった
最近、オべべを着ていないワンちゃんのほうが珍しくなりました。飼い主の趣味だと思っていたらそうではなくて、室内飼育用に品種改良して毛が薄いので、皮膚感覚で「寒い」んですってね。友人はそれを知らずにボクサー犬を裸で(?)厳冬の散歩に連れて行き、心臓発作で亡くしたため、二代目の犬にはカシミアのセーターを着せているそうです。
団塊の世代が子どもだったころ、昭和30年代は炬燵のわきに猫がいて、外の犬小屋に番犬がいました。多くが捨て猫、捨て犬あがり。外国にはドッグフードなるものがあるとは聞いていましたが、餌はみそ汁かけご飯などの残り物でしたから、栄養不足で寿命も短かく、現在のような老犬猫の介護問題はありませんでした。
あのころは犬も猫も働き者でした。空き巣狙いや押し売りや見知らぬ人が現れたり、火事などの異変がおこればやかましく吠えたてます。吠え方で「○○さんちの秋田犬のタローだ」とか「××さんちのスピッツだ」とかわかって近所の人たちが駆けつけるので、「歩くセコム」といったところでしょうか。犬の値打ちは「顔より吠えっぷり」にありました。
当時家で飼っていた猫はマイペースで、鼻先をゴキブリが通り過ぎても半眼をあけて、「フン、こんなの数のうちじゃないもん」と寝転がったまま。叱ったらうるさいニャアという顔で起き上がりしばし外出。「はい、お土産」というふうにトカゲやスズメをくわえて戻ってきたものです。それでも天井をダダダッと走るネズミに気がつくと、ニャーッと上に向かって声をはりあげて、天井裏にもぐりこんで撃退。猫の評価も狩猟実績によりました。
血統も値段も関係なく、多少不細工でも「よく働く」という成果主義で存在価値が認められていたのは、ワンちゃんにとってもネコちゃんにとっても、「いい時代」だったのではないでしょうか。
団塊の世代が子どもだったころ、昭和30年代は炬燵のわきに猫がいて、外の犬小屋に番犬がいました。多くが捨て猫、捨て犬あがり。外国にはドッグフードなるものがあるとは聞いていましたが、餌はみそ汁かけご飯などの残り物でしたから、栄養不足で寿命も短かく、現在のような老犬猫の介護問題はありませんでした。
あのころは犬も猫も働き者でした。空き巣狙いや押し売りや見知らぬ人が現れたり、火事などの異変がおこればやかましく吠えたてます。吠え方で「○○さんちの秋田犬のタローだ」とか「××さんちのスピッツだ」とかわかって近所の人たちが駆けつけるので、「歩くセコム」といったところでしょうか。犬の値打ちは「顔より吠えっぷり」にありました。
当時家で飼っていた猫はマイペースで、鼻先をゴキブリが通り過ぎても半眼をあけて、「フン、こんなの数のうちじゃないもん」と寝転がったまま。叱ったらうるさいニャアという顔で起き上がりしばし外出。「はい、お土産」というふうにトカゲやスズメをくわえて戻ってきたものです。それでも天井をダダダッと走るネズミに気がつくと、ニャーッと上に向かって声をはりあげて、天井裏にもぐりこんで撃退。猫の評価も狩猟実績によりました。
血統も値段も関係なく、多少不細工でも「よく働く」という成果主義で存在価値が認められていたのは、ワンちゃんにとってもネコちゃんにとっても、「いい時代」だったのではないでしょうか。
ペットは動物、擬人化しすぎていないか?
最近では「おまえ、本当に犬か?」と言いたくなるような手のひらサイズのチワワや、来訪者に逃げ出す気弱なラブラドール、箪笥の上から降りられないデブ猫、「鯛」を猫マタギする味オンチの三毛猫まで、アタクシの感覚だと「許せーん!」存在ばかりです。
友人の愛犬のヨークシャテリアは初めてペットホテルに預けられたら泡をふいて倒れちゃいました。家族が旅行先からとってかえしましたが、ストレスによる「過呼吸症候群」という診断。口に紙袋をあてて呼吸させたら正気にもどったものの、入院費とキャンセル代でン十万円のかかりでした。隣家の17歳の老ニャンのシナモンは人工透析と糖尿病治療の通院で飼い主の通帳を空っぽにしてくれたとか。飼い主は「子どものいない家庭にもペット手当を出してくれないかなぁ」とため息をついていましたね。
犬も猫もいつのまにか「労働者」から「ペット」に変遷して、「動物」から「家族の一員」になりました。子ども同様、手間ヒマと金がかかる存在になってきたのでしょうか。
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35年前、アタクシは地方都市の郊外の畑の中の一軒家で犬猫と暮らしたことがあります。引越しで置きざりにされた隣人の猫をやむを得ず飼い、外で幼い娘と遊んでいた雑種の子犬が勝手に庭に住みついていました。このニャンコは朝ご飯を食べると、野良ネコたちの「あそぼー」の誘いで飛び出していきます。並木をむささびのように飛び移り、畑の中をかけずりまわってバッタや蛇を捕まえて遊び呆け、夕方になると「お腹すいた」と駆け戻ってきて朝まで爆睡。ネズミも獲らず、膝にも乗らず、実に「気ままな野生児」でした。
庭のノラちゃんはいつのまにか野良犬仲間のリーダーになり、一宿一飯の恩義で夜は番犬をしていましたが、こちらも毎日野原を駆け回っていました。あの犬や猫たちの「のびのびとしたおおらかで楽しそうな表情」を思うと、室内に押し込めて着せ替え人形にするのはしのびなく、とてもようできません。犬はいぬらしく、猫はねこらしく生きて、労働して存在する権利があるのだと、彼らの代わりに主張したいような気がします。
次回は、11月13日(金)掲載予定です。
(2009年10月23日)
- 宮本まき子先生へのお問い合わせはホームページから
- http://homepage3.nifty.com/makiko-miyamoto/