第44回 親が子の奇跡を願うのは当たり前
他人の子の命を救いたい
臓器移植法案が改正されました。これまでの「15歳以下は不適用」の原則によって海外にドナーを求めていることへの批判と、若い親には過剰の負担になる高額な費用とで、長い間議論しつくされた結果ですから、今後、良い方向に進んでくれることを祈るばかりです。
もう30年も前のこと、当時の小児医療の最先端を走っていた「神奈川県立こども医療センター」には、全国各地から無給でもいいから研修したいという若手ドクターが大勢集まっていて、先進国の高度医療に追いつけ、追い越せの熱気があふれておりました。医療スタッフも熱心なら、支える親たちも必死で、この病院では毎日のように「小さな伝説」が生まれていたといいます。
あるとき、夜中に緊急の大量輸血が必要になりました。あいにく患者の血液型は極少派のRHマイナスのうえ、病院にもセンターにも血液のストックがありません。思い余った親はFMラジオ局に電話をしました。
深夜放送のDJの呼びかけから15分後、パジャマ姿の最初の献血者がマイカーで駆けつけました。やがて湾岸道路を暴走中だった若者がカノジョを後ろに乗せたままオートバイで乗り付けます。デートを切り上げてタクシーを飛ばしてきたという女性や、一時間も自転車をこいできた汗まみれの高校生まで、急な坂の上の病院の救急用入り口はちょっとした賑わいになったそうです。他人の子どもの命を救いたいという気持ちを誰もが(一見、無頼漢で無頓着なような若者たちまでが)、当たり前のように持っていた時代でした。
もう30年も前のこと、当時の小児医療の最先端を走っていた「神奈川県立こども医療センター」には、全国各地から無給でもいいから研修したいという若手ドクターが大勢集まっていて、先進国の高度医療に追いつけ、追い越せの熱気があふれておりました。医療スタッフも熱心なら、支える親たちも必死で、この病院では毎日のように「小さな伝説」が生まれていたといいます。
あるとき、夜中に緊急の大量輸血が必要になりました。あいにく患者の血液型は極少派のRHマイナスのうえ、病院にもセンターにも血液のストックがありません。思い余った親はFMラジオ局に電話をしました。
深夜放送のDJの呼びかけから15分後、パジャマ姿の最初の献血者がマイカーで駆けつけました。やがて湾岸道路を暴走中だった若者がカノジョを後ろに乗せたままオートバイで乗り付けます。デートを切り上げてタクシーを飛ばしてきたという女性や、一時間も自転車をこいできた汗まみれの高校生まで、急な坂の上の病院の救急用入り口はちょっとした賑わいになったそうです。他人の子どもの命を救いたいという気持ちを誰もが(一見、無頼漢で無頓着なような若者たちまでが)、当たり前のように持っていた時代でした。
ファロー四徴症の子の伝説的な一時回復
30年前といえば「小児外科」はまさに発達途上で、心臓手術は現在のように安全なものではありませんでした。特にファロー四徴症は心室に穴があいている、血管の位置が正常ではない、狭いなどの四つのトラブルがある最重症で、早期に手術しないと手遅れになる難しい病気です。
当時は難病中の難病で、手術成功率も低く、手術をためらう親も多かったのですが、Aさんは3歳になる息子が10歩と歩けずにしゃがみこみ、泣いても笑っても紫色にチアノーゼがおきるのが不憫で、「こども医療センター」での治療に賭けることにしました。
検査してみるとトラブルは5つあり、根治は難しいと思われました。さらに、直前に熱を出したため、手術は2週間延期となりました。貧血もひどかったので、退院前に父親の血液を輸血し、感染予防の薬も持たせて帰宅させます。
2週間後、手術室で子どもの胸を開けてみて、医師団は「アッ」と動揺しました。予想以上のひどい心臓奇形のうえ、血管が極端にもろくてつまむこともできません。手術は中止になり、しばらく後に幼子はろうそくが燃え尽きるようにフッと亡くなりました。
数日後、Aさんは主治医を訪れて、深々と頭を下げて言いました。
「あの2週間、息子は別人のように元気になりまして、よく食べ、よくしゃべって、しきりに私たちと遊ぼうとせがみました。ええ、息切れもチアノーゼもほとんどでません。毎日公園を駆け回り、すべり台に登って大喜びでした。デパートも動物園も遊園地も初めて親子連れで行ったんです。毎日がお祭りのような楽しさでした」
主治医は絶句します。駆け回った?嘘だろう?あのボロボロの心臓や血管の状態でそんな運動ができたはずがない。
当時は難病中の難病で、手術成功率も低く、手術をためらう親も多かったのですが、Aさんは3歳になる息子が10歩と歩けずにしゃがみこみ、泣いても笑っても紫色にチアノーゼがおきるのが不憫で、「こども医療センター」での治療に賭けることにしました。
検査してみるとトラブルは5つあり、根治は難しいと思われました。さらに、直前に熱を出したため、手術は2週間延期となりました。貧血もひどかったので、退院前に父親の血液を輸血し、感染予防の薬も持たせて帰宅させます。
2週間後、手術室で子どもの胸を開けてみて、医師団は「アッ」と動揺しました。予想以上のひどい心臓奇形のうえ、血管が極端にもろくてつまむこともできません。手術は中止になり、しばらく後に幼子はろうそくが燃え尽きるようにフッと亡くなりました。
数日後、Aさんは主治医を訪れて、深々と頭を下げて言いました。
「あの2週間、息子は別人のように元気になりまして、よく食べ、よくしゃべって、しきりに私たちと遊ぼうとせがみました。ええ、息切れもチアノーゼもほとんどでません。毎日公園を駆け回り、すべり台に登って大喜びでした。デパートも動物園も遊園地も初めて親子連れで行ったんです。毎日がお祭りのような楽しさでした」
主治医は絶句します。駆け回った?嘘だろう?あのボロボロの心臓や血管の状態でそんな運動ができたはずがない。
親の一念がおこした「奇跡」としか思えない
「わかっています。輸血したときに何か混ぜたんでしょ?認可されてない新薬とか、外国製の特効薬とか……。持たせてもらった薬もすごい効き目だったし……」呆然とする医師の耳元にAさんは囁きました。「先生、大丈夫です。このことは誰にも言いませんから」。
そして涙ぐんで「私たち夫婦は心から感謝しています。本当に楽しく、幸せな2週間をありがとうございました」と深々とおじぎしました。
もちろん、そんな小細工はしていない。思い当たるとしたら、退院前の輸血、混じりっけなしの「お父さんの新鮮血」だ。「わが子を元気にしたい」という親の一念が血の中を駆けめぐって活力になったに違いない。
「医学上の見地で言えば合理的でないのだけど、『親がおこした奇跡』という以外、納得できないんですよ」と主治医はつぶやきました。
臓器移植しか治療法がないという子を持つ親が「奇跡」を待ち望むのは当たり前のことであります。他人の子の命を助けたいと思うことも、人として当たり前の発想でしょう。この二つの「当たり前」が出会うためのコーディネートの充実を切に希望したいと思います。
ところで、深夜の高速道路をカノジョごと飛ばして献血にきたバイク族も、幼い息子に輸血で活力を与えたAさんも、「こども医療センター」の若き熱血医者たちも、みんな若き日の「団塊の世代」です。いま思えば、「めっちゃ優しい連中」でしたねぇ。
次回は、8月13日(金)掲載予定です。
(2010年7月23日)
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宮本まき子先生の新刊本が、12月16日、PHP研究所より出版されました。
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
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※書店でのお取り扱いはありません
ご連絡先 : PHP研究所 通販普及課 マナビカ係 075-681-8818
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