第16回 現代姑の役割
明治・大正の「姑さま」には人事権があった
「姑」をテーマに本を書きませんか、という依頼がきております。その昔、初めてリンゴの皮をむいてほぼ半分(!)のヌード・サイズにしたら、大正生まれの母に「こんなでは姑様に追い出されてしまう」と嘆かれました。なにをおっしゃるウサギさん、あなたが「危ない、やっちゃダメ」を連発したおかげで肥後刀で鉛筆を削れず、いまだに自転車にも乗れない娘に育ったのではありませんか。
もっとも親にも言い分があったようですね。未熟児で生まれた私は虚弱体質で2歳まで歩けず、偏食で食が細くて小さくて、病気ばかりしていて、よく高熱を出してはひきつけて意識不明になっていたそうです。
戦後の貧しい医療体制でしたから医者は「とても10歳までは生きられまい」と宣告し、親は「短い生涯なら気ままに過ごさせてやろう」と放任しちゃったらしい。おかげで小学校の低学年の半分以上は風邪や体調不良で欠席、勉強もしつけも生活習慣もいいかげんでしたから、私が10歳を超えたときに両親は本当に慌てたのでしょう。
「女の子がこれくらいのことできなくてどうする」とにわかに勉強しろの、家事を手伝えだの、と言われても、物心ついたときから好きなことばかりしてちゃらんぽらんと遊び暮らしてきた生活態度が一変するわけはなく、できないことだらけの十代でありました。
その後「個室ナシ、門限アリ、酒・タバコ・オトコ厳禁」の女子大寮で4年間暮らしましたが、甘やかされた学生どもを叱り飛ばし、しつけなおすのを天職と信じる海軍大佐老未亡人の寮監が24時間常駐。日常生活のあらゆることに鬼姑のごとくゲキを飛ばしてくれたおかげで、恥をかかない程度の社会人になれたのだと思います。
もっとも親にも言い分があったようですね。未熟児で生まれた私は虚弱体質で2歳まで歩けず、偏食で食が細くて小さくて、病気ばかりしていて、よく高熱を出してはひきつけて意識不明になっていたそうです。
戦後の貧しい医療体制でしたから医者は「とても10歳までは生きられまい」と宣告し、親は「短い生涯なら気ままに過ごさせてやろう」と放任しちゃったらしい。おかげで小学校の低学年の半分以上は風邪や体調不良で欠席、勉強もしつけも生活習慣もいいかげんでしたから、私が10歳を超えたときに両親は本当に慌てたのでしょう。
「女の子がこれくらいのことできなくてどうする」とにわかに勉強しろの、家事を手伝えだの、と言われても、物心ついたときから好きなことばかりしてちゃらんぽらんと遊び暮らしてきた生活態度が一変するわけはなく、できないことだらけの十代でありました。
その後「個室ナシ、門限アリ、酒・タバコ・オトコ厳禁」の女子大寮で4年間暮らしましたが、甘やかされた学生どもを叱り飛ばし、しつけなおすのを天職と信じる海軍大佐老未亡人の寮監が24時間常駐。日常生活のあらゆることに鬼姑のごとくゲキを飛ばしてくれたおかげで、恥をかかない程度の社会人になれたのだと思います。
戦後生まれはアホ嫁のフリをして難を逃れる
団塊の世代にとっての姑は明治か大正生まれが多く、劣悪な環境にも耐え、あの大戦を生き抜いてきた根性ある女性たちであります。彼女らが戦後の混乱期や繁栄期を(昔よりは)ちゃらんぽらんと生きてきたアホ娘どもを歯がゆく思うのは当然だったでしょう。
ただ戦前のように「気に入らぬ嫁を離縁する」ほどの強大な権力はありませんから、せいぜい蔭に日向にチョコマカと嫁いびりするか、「大姑、姑、小姑らに気を使う嫁をやったあとで、息子の嫁に腫れものに触るような思いをするなんて、損な役回りだったわ」と声を大にしてアチラコチラでこぼす程度でした。
一方、団塊の世代の嫁連中はおおむねKYで「逃げ足」が早かったみたいですね。涼しい顔で「カーつき、ババぬき」のニューファミリーを貫き、虎の尾を踏まぬように今日はPTA、明日はパートタイマーと飛び回ってなるべく姑に近寄らず。何と言われようとアホ嫁のふりして自己防衛するのもそれなりに大変だったのよン。
そんな気苦労も知らずに嫁姑闘争で一方的に姑側についた夫への怨念はハンパではなく、「亭主は忘れてもあたしゃ一生覚えてる。この恨み、果たさずにおくものか」と口から怪気炎をメラメラと吐きながら呪ってきた女房はそこかしこにいると思う。
もし覚えがあるなら今からでも遅くはありません。「あの時はごめんなさい」と平身低頭謝って、老後の身の保全をはかってはいかがでしょう。
ただ戦前のように「気に入らぬ嫁を離縁する」ほどの強大な権力はありませんから、せいぜい蔭に日向にチョコマカと嫁いびりするか、「大姑、姑、小姑らに気を使う嫁をやったあとで、息子の嫁に腫れものに触るような思いをするなんて、損な役回りだったわ」と声を大にしてアチラコチラでこぼす程度でした。
一方、団塊の世代の嫁連中はおおむねKYで「逃げ足」が早かったみたいですね。涼しい顔で「カーつき、ババぬき」のニューファミリーを貫き、虎の尾を踏まぬように今日はPTA、明日はパートタイマーと飛び回ってなるべく姑に近寄らず。何と言われようとアホ嫁のふりして自己防衛するのもそれなりに大変だったのよン。
そんな気苦労も知らずに嫁姑闘争で一方的に姑側についた夫への怨念はハンパではなく、「亭主は忘れてもあたしゃ一生覚えてる。この恨み、果たさずにおくものか」と口から怪気炎をメラメラと吐きながら呪ってきた女房はそこかしこにいると思う。
もし覚えがあるなら今からでも遅くはありません。「あの時はごめんなさい」と平身低頭謝って、老後の身の保全をはかってはいかがでしょう。
現代は娘婿VS姑の闘争に突入か?
このところ団塊の世代が続々と「姑デビュー」を始めましたが、自ら「いちぬけた」感がありますネ。嫁はあくまでも「息子のパートナー」、他人以上肉親未満の距離感を最初からおく傾向にあり、夢ゆめ「娘ができた」とは思わないのが現代の傾向のようです。
つまり「嫁いびり」がいつのまにか「婿いびり」にシフトしたようなのです。狩猟系女子と草食系男子、つつかなければ無害なワニ嫁と親の金に尻尾を振るペット婿などと無関係ということはありますまい。
家庭の権力構成がシンプルだった時代が終わり、混沌と探り合いと摩訶不思議な家族関係に戸惑うヒトも多いことでしょう。姑には情報収集センター、ナビゲーター、広報の役割をやっていただいて、最低限の一体感だけでもこしらえたいものですね。
(2009年5月22日)
- 宮本まき子先生へのお問い合わせはホームページから
- http://homepage3.nifty.com/makiko-miyamoto/