第43回 W杯に思うこと
海外でならず、国内で時差ぼけになった理由
W杯のサムライ・ブルーの活躍で、参院選挙の影が薄くなってしまいました。戦いが終わってホッとしているのが与野党の選挙関係者と違います?うっかりベスト4なんぞに入ろうものなら、熱狂のあまり関心も投票率もどっと落ちていたかもしれません。
かく言うアタクシ、「矢でも鉄砲でも持ってこい!」の勢いで飲み明かした豪傑期はすでに過ぎ、いまや7時間就眠しないとアウトの体調。ゆえに「非国民と言われようが断固として眠る!」とベッドに入ったのに、突如、ご近所数軒からの「ウオーッ」の叫び声に叩き起こされました(夜中は窓をあけて観戦するべからず)。カメルーン戦の本田のゴールでした。で、結局起きて観戦。
対オランダ戦は海外旅行中で見逃し、帰国するやいなや、伝説的なデンマーク戦です。爆睡中に「勝ってるぞ、応援してやれよ!」と家人に叩きおこされて枕をかかえて観戦。海外旅行先は時差一時間だったのに、国内にいてずっと「時差ぼけ」状態であります。
かく言うアタクシ、「矢でも鉄砲でも持ってこい!」の勢いで飲み明かした豪傑期はすでに過ぎ、いまや7時間就眠しないとアウトの体調。ゆえに「非国民と言われようが断固として眠る!」とベッドに入ったのに、突如、ご近所数軒からの「ウオーッ」の叫び声に叩き起こされました(夜中は窓をあけて観戦するべからず)。カメルーン戦の本田のゴールでした。で、結局起きて観戦。
対オランダ戦は海外旅行中で見逃し、帰国するやいなや、伝説的なデンマーク戦です。爆睡中に「勝ってるぞ、応援してやれよ!」と家人に叩きおこされて枕をかかえて観戦。海外旅行先は時差一時間だったのに、国内にいてずっと「時差ぼけ」状態であります。
「負け方にも美学」のサムライ文化は世界が賞賛
それにしても「文化」というのはおもしろいですねぇ。個性豊かで、ライバル同士で、しかもやんちゃ盛りの20代の選手たちが、「ニンジャ」だ、「サムライ」だと評されたとたんに本当に「武士道」を貫いてしまいました。習ったわけでもないのに、「武士に二言はない。卑怯な、いやしい真似はしない」という共通の価値基準を全員が持っていたわけで、確かに他国の選手と比較して明らかに礼儀正しい。わざと肘で顔をなぐったり、えりがみつかんで引き倒したり、体ごとぶつけて跳ね飛ばしたり、顔を踏みつけるなどの「えげつなさ」もなければ、時間稼ぎのためだけのパスまわしという「いいかげんさ」もありません。
最後まで手を抜かず、チャンスを同僚にゆずる謙譲の美徳もみせれば、ミスをした選手を誹謗したり恨むわけでもなく、現実を「受容」し、いたわり合う「友愛」も見せたわけで、どこまでも誠実で、敵にも味方にもフェアでした。「負け方にも美学を持つ」サムライ文化が世界中のメディアから「賞賛された」のは喜ばしいことで、漠然としていた「日本人」のイメージ・アップに大きく貢献したことは間違いありません。
最後まで手を抜かず、チャンスを同僚にゆずる謙譲の美徳もみせれば、ミスをした選手を誹謗したり恨むわけでもなく、現実を「受容」し、いたわり合う「友愛」も見せたわけで、どこまでも誠実で、敵にも味方にもフェアでした。「負け方にも美学を持つ」サムライ文化が世界中のメディアから「賞賛された」のは喜ばしいことで、漠然としていた「日本人」のイメージ・アップに大きく貢献したことは間違いありません。
「青年にはのびやかな未来がある」のは平和なこと
W杯の選手の多くが20代の「青年」で、のびやかで輝かしい未来を持つ彼らの活躍は、平和の時代を知らしめてくれました。
私が高校3年の1965年、ベトナム戦争が泥沼化していたころのことです。ある土曜日に「赤い羽根」の募金箱を抱えて、横須賀の繁華街に立っていました。当時の横須賀は駐在米軍家族の他に、ベトナムへの補給地として次から次へ入港して来る軍艦の米兵たちで週末は大賑わいでした。
若い兵士たちを刺激してはいけないという「親心」か、当時の女学生の制服はどの学校もひざ下30cmのジャンパースカートに肌色の分厚いタイツと徹底的にダサい「修道女ルック」。髪型は「乙女刈り」か「三つ編みのおさげ」だけ。週末外出は「保護者同伴」の完璧箱入り娘ばかりでした。
私が高校3年の1965年、ベトナム戦争が泥沼化していたころのことです。ある土曜日に「赤い羽根」の募金箱を抱えて、横須賀の繁華街に立っていました。当時の横須賀は駐在米軍家族の他に、ベトナムへの補給地として次から次へ入港して来る軍艦の米兵たちで週末は大賑わいでした。
若い兵士たちを刺激してはいけないという「親心」か、当時の女学生の制服はどの学校もひざ下30cmのジャンパースカートに肌色の分厚いタイツと徹底的にダサい「修道女ルック」。髪型は「乙女刈り」か「三つ編みのおさげ」だけ。週末外出は「保護者同伴」の完璧箱入り娘ばかりでした。
そのなかでただ一校、制服ナシ、規則ナシで「放し飼い」されていたのが私の出身高校。私服姿のキャピキャピ3人娘が募金呼びかけのウグイス嬢をやっていたのですから、目立たないはずがありません。たちまち陽気な米兵たちに囲まれてトツトツとした会話が始まりました。
「これは何であるか?」「チャリティ・エイド、貧しい人への寄付アル」「君らはクリスチャンか?」「ノー、市役所が頼んだアル。お金が集まらないと、あたし達、とても困るアル」「それは気の毒だ。どのくらい出したらいいんだい?」とポケットから百円硬貨を出すので(当時の日本人の平均寄付額は10円!)「ノー・コイン。 財布、プリーズ!」と財布を開けさせ、「コレ」とつまみだしたのが五百円札。アコギでやんした(当時はラーメン一杯50円でした)。
「これは何であるか?」「チャリティ・エイド、貧しい人への寄付アル」「君らはクリスチャンか?」「ノー、市役所が頼んだアル。お金が集まらないと、あたし達、とても困るアル」「それは気の毒だ。どのくらい出したらいいんだい?」とポケットから百円硬貨を出すので(当時の日本人の平均寄付額は10円!)「ノー・コイン。 財布、プリーズ!」と財布を開けさせ、「コレ」とつまみだしたのが五百円札。アコギでやんした(当時はラーメン一杯50円でした)。
「おまけしちゃう」と赤い羽根を水兵服に何本もつけると、若者たちは大はしゃぎです。一人が身振りで「袖につけてくれないかな」というので「OK」と両方の袖にたっぷり飾り付けたら、「これで飛んで帰ることができる」とニコニコして言うんですね。
真面目な顔で「無事に帰ったら一緒に映画に行こう」とか「ベトナムからフルーツを持ち帰って届けるよ。土曜日にまたここにいる?」とか口々に口説いてくれたような気がしますが、何と答えたかは忘れました。
あれから45年、あの20歳そこそこの同年代の若者たちは無事に戦地から戻れたのでしょうか?孫を抱いて、愛しい妻と肩を組んでW杯で活躍したアメリカを、そして日本を応援できたでしょうか?「この羽根で飛んで帰る」と言った若い米兵の笑顔が選手たちとダブっておりました。
次回は、7月23日(金)掲載予定です。
次回は、7月23日(金)掲載予定です。
(2010年7月9日)
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宮本まき子先生の新刊本が、12月16日、PHP研究所より出版されました。
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
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