第37回 あなたがつくる「醍醐の花見」
逝く瞬間に満開の桜を幸せな気分で見たい
歴史上最もバブリーにして豪華絢爛な花見は豊臣秀吉の催した「醍醐の花見」と言われています。このビッグイベントのために会場となるお寺を全面的に建て直し。近郊の山から700本の桜を移植させ、1300人が美しい着物をとっかえひっかえしながら大宴会を何日にもわたって繰り広げたとか。その豪放さと、ヒトをわくわくさせる遊び心は成金趣味なれどアッパレ。ある政党の陰のドンは同じ成金趣味でも人間的なスケールの大きさが違うから庶民の人気がないんでしょうね。ところで秀吉は思う存分往く春を楽しみ、5ヶ月後に亡くなりますが、目をつむる瞬間にきっと脳裏一面に咲き乱れる満開の花を見たに違いありません。
かく言うアタクシ、「花見?通俗だ」という花オンチの家人と暮らし、開花の時期に限って締め切りのある仕事と「名残りの風邪」の治療に追われて気がつけば「葉桜の季節」という年月を重ねておりました。
あるとき、「チドリガブチって、どこにあるんですか?」と尋ねた私に「何十年も東京で暮らしていてご存じない?」と驚いた編集者が急遽、打ち合わせを中断。その場からタクシーで皇居のお堀端に連れて行ってくれました。そこは通俗どころではない、息をのむ美しさでした。
あるとき、「チドリガブチって、どこにあるんですか?」と尋ねた私に「何十年も東京で暮らしていてご存じない?」と驚いた編集者が急遽、打ち合わせを中断。その場からタクシーで皇居のお堀端に連れて行ってくれました。そこは通俗どころではない、息をのむ美しさでした。
給食の中身は変われどいまだに必需品
閑話休題、「家族」という言葉のイメージは世代によって大きく違って、五十代以上なら「サザエさん一家」だし、アラフォー以下なら「のび太くん一家」だと朝日新聞で述べたら、それなら「給食」という言葉はどうですか?という質問。こちらは目に見えるものだから時代背景や経済状況によってどんどん進化していったのがよくわかります。
50年前なら空腹を満たせばOKだった「脱脂粉乳」とモソモソのコッペパンが40年前になるとテトラパックか瓶入り牛乳とフワフワの食パンに変わり、おかずの質や量がぐっと向上しました。30年前になると不評だった先割れスプーンにご飯や麺類の導入、揚げパンや菓子パンが加わり、それなりに美味しく、栄養も充たしているんだけど、とってつけたようなへんてこりんなメニューが横行することになります。
有名な料亭の一人息子が入学早々、小学校の給食を大量に残して親が呼び出されました。「本人はまずいと言いますが、食べられないほどの味ではありません」と先生が見せた給食の皿をみて父親は腰を抜かします。「ジャムパン、牛乳、中華スープ、ちくわのてんぷらのマヨネーズ和え、プチ水ようかん…」なんじゃ、こりゃ!「大事な跡取り息子を味覚オンチにされてたまるか」と、即日、弁当持参の私立学校に転校させたなどという話が雑誌に載っていたのを覚えています。
いま給食は「朝食を食べてこない」、「夕食はコンビニ食」の子どもたちの「栄養補給の最期の砦」になっているそうですね。味や献立なんぞ二の次で、(大げさでなく)給食が無くなったら育児放棄で「栄養失調」寸前の欠食児童や、行き過ぎたダイエットのために家では拒食ぎみになった児童の「生命の綱」。一時期の「豊かになったのだから給食を全廃すべし論」を吹き飛ばしたのは、学校に行けば一日の栄養必要量の三分の一は確保できる、とりあえず生き延びられるという事実でした。昔も今も、給食は必需品です。
50年前なら空腹を満たせばOKだった「脱脂粉乳」とモソモソのコッペパンが40年前になるとテトラパックか瓶入り牛乳とフワフワの食パンに変わり、おかずの質や量がぐっと向上しました。30年前になると不評だった先割れスプーンにご飯や麺類の導入、揚げパンや菓子パンが加わり、それなりに美味しく、栄養も充たしているんだけど、とってつけたようなへんてこりんなメニューが横行することになります。
有名な料亭の一人息子が入学早々、小学校の給食を大量に残して親が呼び出されました。「本人はまずいと言いますが、食べられないほどの味ではありません」と先生が見せた給食の皿をみて父親は腰を抜かします。「ジャムパン、牛乳、中華スープ、ちくわのてんぷらのマヨネーズ和え、プチ水ようかん…」なんじゃ、こりゃ!「大事な跡取り息子を味覚オンチにされてたまるか」と、即日、弁当持参の私立学校に転校させたなどという話が雑誌に載っていたのを覚えています。
いま給食は「朝食を食べてこない」、「夕食はコンビニ食」の子どもたちの「栄養補給の最期の砦」になっているそうですね。味や献立なんぞ二の次で、(大げさでなく)給食が無くなったら育児放棄で「栄養失調」寸前の欠食児童や、行き過ぎたダイエットのために家では拒食ぎみになった児童の「生命の綱」。一時期の「豊かになったのだから給食を全廃すべし論」を吹き飛ばしたのは、学校に行けば一日の栄養必要量の三分の一は確保できる、とりあえず生き延びられるという事実でした。昔も今も、給食は必需品です。
団塊の世代の給食って覚えていますか?
同世代でも思い出に残る料理がバラバラなので、年齢のせいで記憶が曖昧なのネと思っていたらこれは間違いで、当時は全国統一規格の献立は無く、地産地消の材料しかなかったのでしょう。
アメリカ製「家畜用飼料」の転用のミルクは気絶するほどのまずさでした。「野菜のごった煮」や「ドレッシングまがいのキャベツ和え」は味付けに難アリ。私が通っていた小学校では母親たちが交代で調理当番に来ていたので「うちではこうだ」と調味料を入れあったから、味が大混乱。「鯨の揚げ物」は臭かったけれど肉に飢えていた男の子たちには好評でした。それでも元気に育って、この国の繁栄を築いたのですから、団塊の世代はしぶといですね。
景気の悪い昨今ですが、ここは「いま太閤」をきどって、ぱあーっと派手に「わたしの醍醐の花見」にでかけませんか?親しい家族と友人でいっぱい、楽しい昔語りをして、「思い出づくり」をしておく。思い出が多ければ多いほど、いまわの際で見る花は見事で、「ハッピーな人生だったナ」と満足して逝けるのではないかと思えるんですが…。
次回は、4月23日(金)掲載予定です。
アメリカ製「家畜用飼料」の転用のミルクは気絶するほどのまずさでした。「野菜のごった煮」や「ドレッシングまがいのキャベツ和え」は味付けに難アリ。私が通っていた小学校では母親たちが交代で調理当番に来ていたので「うちではこうだ」と調味料を入れあったから、味が大混乱。「鯨の揚げ物」は臭かったけれど肉に飢えていた男の子たちには好評でした。それでも元気に育って、この国の繁栄を築いたのですから、団塊の世代はしぶといですね。
景気の悪い昨今ですが、ここは「いま太閤」をきどって、ぱあーっと派手に「わたしの醍醐の花見」にでかけませんか?親しい家族と友人でいっぱい、楽しい昔語りをして、「思い出づくり」をしておく。思い出が多ければ多いほど、いまわの際で見る花は見事で、「ハッピーな人生だったナ」と満足して逝けるのではないかと思えるんですが…。
次回は、4月23日(金)掲載予定です。
(2010年4月9日)
- お知らせ
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宮本まき子先生の新刊本が、12月16日、PHP研究所より出版されました。
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
ご注文の際は、直接出版元にお問い合わせください。
※書店でのお取り扱いはありません
ご連絡先 : PHP研究所 通販普及課 マナビカ係 075-681-8818
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