第29回 年の瀬にしみじみとマイケルを想う
なんて時は速く流れていくのだろう
あっという間に年の瀬です。30歳を過ぎたころから、なぜこんなに時間の流れが速いのだろうと感じていたのですが、最近はしがみついていないと振り落とされそうな勢い。地球の自転が早まったか、「誰か」が時間軸を早回ししているんだわと勘繰っております。
ところで、季節はずれの話ですが、「幽霊」って本当にいると思いますか?それも「おのれ、この恨み、はらさずにおくものかッ!」と飛びかかってくるようなお岩さんやサダコさんタイプじゃない「幽霊」。どうやら自分も含めて何人もの目が「いるはずのないヒト」を見たことがあるようなのですよ。
リアルな例では、友人のA先生。彼は大学病院勤務のころに患者のBさんと廊下ですれちがいました。いっとき重態だった彼女がニコニコして血色もよく、スタスタ歩いている。A先生は振り返って後姿を見ながら「よかった、回復したんだ」とホッとしました。そしてナースステーションで「Bさん、元気になったね」と話したとたん、全員がフリーズしてしまいます。
「あのう、Bさんは先々週に亡くなりました」
「そんなバカな、だって、ついさっきそこで…、エーッ!?」
よく病院の怪談話に出てくる「すみません、忘れちゃって…」と病室に杖を探しに来る幽霊がいるでしょ?あれと同じような体験を医療関係者は少なからずしているらしいんですね。しかし、なにしろ仕事がメチャ忙しい。とりあえず悩むヒマもないので、「見なかったことにしよう」とお蔵入りさせちゃうのだそうです。
知人のCさんは、行きつけの地下のスナック・バーに下りようとしてDさんと出会い頭になりました。狭い階段を譲る気配もなく、声をかけても会釈するでもなくさっさと上がっていきます。
「どうしたの?彼、ご機嫌ななめでサ」
と、店に入るや聞いたら、一同シーン。
「お忘れですか?Dさんは昨年事故で…」
アッと思ったけど、確かに彼だった。それに、直前に店の客は誰も外に出ていないという。これ以上言い募ると「ついにボケたか」と思われそうな雰囲気なので、「いやぁ、ちょっとかついだだけ。驚いた?」と笑ってごまかしたとか。
「幽霊」ではなく「過去との遭遇」なのではないかしらン
俗に「霊感が強い」と言われる人たちが一様にこの「才能」を隠したがるのは、「どうせ誰も信用してくれない」と、はなから決めてかかっているからだと思います。
私が最初に見た「幽霊」は電柱でした。中学生のころ、家の前の電柱に黒枠に指差す片手の葬儀案内が貼ってありました。珍しい姓で、「何て読むんだろう?」としばし首をかしげ、玄関に入るや母親に、
「○○という漢字だけど、何という名前?」
と、尋ねたんですね。母は、
「あら、○○さんのお宅、忌中だったの?」
と、あわてて飛び出して行き、戻ってきて不審げに聞きます。
「どこの電柱?」
「どこって、玄関の前よ」
「あの電柱は2年前に撤去されたじゃないか」
「???」飛び出して見回しても電柱は影も形もありません。じゃあ、しげしげと眺めた張り紙はどこにあったの?読めなかった漢字はどこから来たの?
次に見たのは雑踏にまぎれている故人によく似た人でした。一瞬で視界から消えたので言い切れる自信がなかったけど、着物の柄は生前によく着ておられたものでした。夜中に大好きだった叔母の帯にはさんだ鈴の音だけがそばを通り過ぎたり、同窓会の直前に急逝した同級生が会の最中にふっと現れたりします。正直、怖くない。ただ無性に懐かしいんですネ。
これは私の持論ですが、この世の中には時間の軸があって、回転の具合で過去がゆらいで一部が現在にもぐりこんでくるんじゃないでしょうか。撤去前の電柱が何かの拍子に現代に一瞬まぎれこんでしまった。A先生は数カ月前のBさんが廊下を歩いていた瞬間に遭遇し、Cさんも数年前に店を出るDさんを見たわけです。
そう考えれば、これは「幽霊」というより「過去とのニアミス」にすぎないのだから、何も恐ろしいことなどありません。きっと誰にでもある遭遇なのだけど、とりあえず「見えないことにしよう」とはなから遮断しているので、感性の鋭い人ばかりに見えちゃうのでしょう。つまり、ロサンゼルスで触覚をのばしていれば、過去のマイケルに会えたりして…♪
もっとも30代で突然急病死した夫の13回忌を終えた友人によれば、「この12年間、夢の中にも現れたことがない。きっとあの世で飲んだくれ、きれいなネーチャンどもを追い回して、私に会いにくるヒマもないんだわ。くっやしーい!!」そうですから、時間軸にしがみついても「出てこられない事情がある幽霊」もいるのかもしれませんネ。
次回は、12月25日(金)掲載予定です。
私が最初に見た「幽霊」は電柱でした。中学生のころ、家の前の電柱に黒枠に指差す片手の葬儀案内が貼ってありました。珍しい姓で、「何て読むんだろう?」としばし首をかしげ、玄関に入るや母親に、
「○○という漢字だけど、何という名前?」
と、尋ねたんですね。母は、
「あら、○○さんのお宅、忌中だったの?」
と、あわてて飛び出して行き、戻ってきて不審げに聞きます。
「どこの電柱?」
「どこって、玄関の前よ」
「あの電柱は2年前に撤去されたじゃないか」
「???」飛び出して見回しても電柱は影も形もありません。じゃあ、しげしげと眺めた張り紙はどこにあったの?読めなかった漢字はどこから来たの?
次に見たのは雑踏にまぎれている故人によく似た人でした。一瞬で視界から消えたので言い切れる自信がなかったけど、着物の柄は生前によく着ておられたものでした。夜中に大好きだった叔母の帯にはさんだ鈴の音だけがそばを通り過ぎたり、同窓会の直前に急逝した同級生が会の最中にふっと現れたりします。正直、怖くない。ただ無性に懐かしいんですネ。
これは私の持論ですが、この世の中には時間の軸があって、回転の具合で過去がゆらいで一部が現在にもぐりこんでくるんじゃないでしょうか。撤去前の電柱が何かの拍子に現代に一瞬まぎれこんでしまった。A先生は数カ月前のBさんが廊下を歩いていた瞬間に遭遇し、Cさんも数年前に店を出るDさんを見たわけです。
そう考えれば、これは「幽霊」というより「過去とのニアミス」にすぎないのだから、何も恐ろしいことなどありません。きっと誰にでもある遭遇なのだけど、とりあえず「見えないことにしよう」とはなから遮断しているので、感性の鋭い人ばかりに見えちゃうのでしょう。つまり、ロサンゼルスで触覚をのばしていれば、過去のマイケルに会えたりして…♪
もっとも30代で突然急病死した夫の13回忌を終えた友人によれば、「この12年間、夢の中にも現れたことがない。きっとあの世で飲んだくれ、きれいなネーチャンどもを追い回して、私に会いにくるヒマもないんだわ。くっやしーい!!」そうですから、時間軸にしがみついても「出てこられない事情がある幽霊」もいるのかもしれませんネ。
次回は、12月25日(金)掲載予定です。
(2009年12月11日)
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- http://homepage3.nifty.com/makiko-miyamoto/