第31回 あなたの居場所
ビンと空き缶はいっしょに捨ててください
15年ぐらい前にアメリカ南部の大都市で暮らす友人宅に滞在したときのことでした。(現在はどうなのかわかりませんが)ダスト・シュートは「燃えるゴミ」と「ビン・空き缶」のドアが二つ。私がビンと缶を別々の袋に入れて出そうとしたら、「そんなことしちゃダメ」としかられました。
「あなたがやってしまったら仕事を失う人がいる」
どうやらビンと缶は混在したままいっしょくたにリサイクル工場に持ち込まれ、「おそろしく長いベルトコンベアー」にのせられて、お姫さまがしずしずと歩く速度でゆっくりと運ばれるらしい。ベルトコンベアーの両脇にはかなり多数の作業員が待機していて、それをビンと缶に選り分けるのだとか。
その作業員というのが、運動機能が不自由で手だけはなんとか動かせるとか、知的に遅滞や障害があって他の分野では職を得にくいけど、ガラスと金属を「区別」する能力はある人たちだという。単純明快な作業なので間違えたり叱られるストレスもなく、仲間とおしゃべりしたり、歌ったり、ランチタイムや休憩もある、いたって居心地のいい職場。しかも大都市だからビンと缶は山ほどあって仕事は盛況、市からそれなりの給料をもらって自活しているもいるとか。
昨今名をはせた「事業仕分け人」が聞けば「なんたる非効率、なんたる無駄づかい!」と柳眉を逆立てそうな話なのですが、あのとき面喰いながらも小さな感動を味わったアタクシはいま、つくづく思うのです。
この社会は(悪意ではなかったのだけれど)、効率アップと能力評価という名のもと、弱者の立場の人たちから仕事や居場所や、やりがいなどの大切なものを取り上げていってしまったのではないかしらン…と。
「あなたがやってしまったら仕事を失う人がいる」
どうやらビンと缶は混在したままいっしょくたにリサイクル工場に持ち込まれ、「おそろしく長いベルトコンベアー」にのせられて、お姫さまがしずしずと歩く速度でゆっくりと運ばれるらしい。ベルトコンベアーの両脇にはかなり多数の作業員が待機していて、それをビンと缶に選り分けるのだとか。
その作業員というのが、運動機能が不自由で手だけはなんとか動かせるとか、知的に遅滞や障害があって他の分野では職を得にくいけど、ガラスと金属を「区別」する能力はある人たちだという。単純明快な作業なので間違えたり叱られるストレスもなく、仲間とおしゃべりしたり、歌ったり、ランチタイムや休憩もある、いたって居心地のいい職場。しかも大都市だからビンと缶は山ほどあって仕事は盛況、市からそれなりの給料をもらって自活しているもいるとか。
昨今名をはせた「事業仕分け人」が聞けば「なんたる非効率、なんたる無駄づかい!」と柳眉を逆立てそうな話なのですが、あのとき面喰いながらも小さな感動を味わったアタクシはいま、つくづく思うのです。
この社会は(悪意ではなかったのだけれど)、効率アップと能力評価という名のもと、弱者の立場の人たちから仕事や居場所や、やりがいなどの大切なものを取り上げていってしまったのではないかしらン…と。
非効率でもその人に居場所を作るのが当たり前
少し前まで、世間にはその能力に応じた「居場所」というものがあったような気がします。人付き合いがストレスになる人は山の番人や家畜の見張り、田んぼの水路をチェックして補修する水番など、「無口な変わり者」だけどマイペースにできる仕事があったし、体が弱くて家でゴロゴロしているあんちゃんは、ご近所の「便利屋」さんで、買い物や掃除や留守番を頼まれては小遣い稼ぎをしていました。
祖父母の村には戦争の後遺症の残る復員兵が農具小屋に住み着き、村の農家の手伝いをして暮らしていたのを覚えています。
「ビンと缶の分別ならできる人たちに仕事を残しておこう」
と思うほうがふつうの感覚であって、
「できないヤツは何もするな、稼ぐな、ただ存在しろ」
というほうが異常なのですよ。
おとなでも子どもでも「あなたの居場所はない」と宣言されることはどんなに非情で残酷なことでしょう。不便や効率の悪さがあっても、それで居場所が手に入る、誰かがハッピーになるならいいじゃないかという「おおらかさ」こそ、失われつつある人間性回復の必要最低条件なのだと思います。
祖父母の村には戦争の後遺症の残る復員兵が農具小屋に住み着き、村の農家の手伝いをして暮らしていたのを覚えています。
「ビンと缶の分別ならできる人たちに仕事を残しておこう」
と思うほうがふつうの感覚であって、
「できないヤツは何もするな、稼ぐな、ただ存在しろ」
というほうが異常なのですよ。
おとなでも子どもでも「あなたの居場所はない」と宣言されることはどんなに非情で残酷なことでしょう。不便や効率の悪さがあっても、それで居場所が手に入る、誰かがハッピーになるならいいじゃないかという「おおらかさ」こそ、失われつつある人間性回復の必要最低条件なのだと思います。
「さっさと嫁に行け!」と言える親になれるか?
閑話休題。友人の娘はのほほんと給料のすべてを小遣いにしてパラサイト・シングル中。この32歳の娘の将来をおおいに心配した親類のオバサマどもが総がかりで縁談を見つけてきた。
相手は36歳、T大出のエリート社員で見合いをした雰囲気は悪くなかったという。ただし、肝心の娘が「顔がどうの、話し方がなんの、どこそこがイマイチ、どちらかといえば好みじゃない、東京で暮らせないのは嫌だetc.」と、「まだ結婚したくない理由」をすべて相手のせいにして不服を並べ立てたらしい。「気がのらないなら断ろう」と、なんとなく嬉しそうな父親をしり目に、(24歳を過ぎたらアウトだった)団塊の世代の母親はブチきれ、そして本音がポロッと口からこぼれてしまったのであります。
「あんたの年齢だと、もう選べる立場、断る立場じゃないのよ。選んでもらう、断られる立場にとっくに逆転しているの。そんなことまだわからないの?見かけが若いのと、実年齢が若いのとは違うんだから。遊びでつきあうなら年齢なんか関係ないけど、結婚するなら少しでも若いほうを選ぶのが男という生き物の本能なんだからね!」
あららぁ、言っちゃったの!?さすがに母親、他人が絶対に口にしないこと、もしかしたらかなり本質の部分を言ったと違うかしらン。
「それにしても腹立たしいのは亭主よ!」
と友人。
「そのうちいい人が出てくるさで、もう10年たつのに、何の行動もリアクションもおこさないんだから。ここは自分たち夫婦の家で、成人した子の居場所ではない。自分で食っていく力をつけて出て行くか、さっさと嫁に行け!とビシッと言ってほしいわ」
と嘆くことしきり。この場合は「居場所がない」のではなく、「居場所が違う」「居場所を間違えている」の意味なのでお間違えなく。
今年あたりは、婚活も「冷やかし」気分から「仁義なき戦い」へ移行するような気配。親の本気度が試される時期でしょう。
次回は、1月22日(金)掲載予定です。
(2010年1月15日)
- お知らせ
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宮本まき子先生の新刊本が、12月16日、PHP研究所より出版されました。
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
ご注文の際は、直接出版元にお問い合わせください。
※書店でのお取り扱いはありません
ご連絡先 : PHP研究所 通販普及課 マナビカ係 075-681-8818
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