第45回 「手鍋さげても」の夫婦愛
「ゲゲゲの女房」が絶好調の理由
NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」がここのところ視聴率トップを走っているらしい。実は私も“久々に毎回”続けて見ております。なんといっても新婚早々からの「極貧ぶり」はハラハラの連続で、「大丈夫かしら?食っていけるのかしら?」と他人事ながらヤキモキ。二階の下宿人が電灯の二股プラグから電熱器のコードをのばしてお茶葉を煎っているのを見て、いつか遠い昔の自分の苦労時代を思い出してジーンとしてしまう熟高年男女も多いのではないでしょうか。
とりあえず「身柄確保」のために結婚した団塊世代
「やはりドラマだ、嘘だ。あんなビンボー新婚生活なんてありえなーい」と一顧だにしようとしない若い女性たちを見ていると、「手鍋さげても結婚しようという気合と根性」に欠けとるなぁとつくづく思います。アタクシたち団塊の世代の女性たちは、「結婚適齢期」なる「仕分け」におびえたうえ、年長のお婿さん候補は戦中生まれときて絶対数が不足しておりました。「理想の相手が出てくるまで待ちたい」なんて悠長なことを言ってるとバスに乗り遅れ、取り残された時代であります。
たとえ気に入った相手がいても、「いい生活ができる年収になるまで結婚は先延ばし」なんてのんきなことを考えていると、「手鍋さげてもいますぐあなたの傍にいたい」と目に星をキラキラさせてウルウルと迫ってくるライバルに簡単に攻略されてしまう、これまた根性がない(というか、女に免疫がない)青年たちばかりでしたからネ。
「とりあえず身柄確保、出世うんぬんはその後の話」が常識だったから、米櫃に米粒がなかろうが、隙間風が吹こうがイケイケで結婚したわけです。劇中の村井夫妻のビンボー暮らしはほとんど現実に即しているから、あのドラマはおもしろいのでしょう。
たとえ気に入った相手がいても、「いい生活ができる年収になるまで結婚は先延ばし」なんてのんきなことを考えていると、「手鍋さげてもいますぐあなたの傍にいたい」と目に星をキラキラさせてウルウルと迫ってくるライバルに簡単に攻略されてしまう、これまた根性がない(というか、女に免疫がない)青年たちばかりでしたからネ。
「とりあえず身柄確保、出世うんぬんはその後の話」が常識だったから、米櫃に米粒がなかろうが、隙間風が吹こうがイケイケで結婚したわけです。劇中の村井夫妻のビンボー暮らしはほとんど現実に即しているから、あのドラマはおもしろいのでしょう。
物理的な貧しさより心の貧しさのほうがこわい
60年代に北海道で新聞社やテレビ局が全国から大学生を公募し、毎年「夏期大学」なる大合宿が催されたことがあります。私もある年のメンバーでしたが、北大名物「ケーテキ寮」にも連れて行かれて見学。各部屋が直径50cmくらいの穴でバイパス貫通していたり、じゅうたん代わりに幾重にも新聞紙が敷かれていて、掘り起こしてみると一番下の紙層は5年ぐらい前の日付だったりする「チョーチョー貧乏生活」でした。かくも劣悪な環境からでも偉人や成功者が大勢巣立ったのですから、物理的なビンボーなんかこわくない。怖いのは心の貧しさのほうだと気づかされたものです。
「その夏期大で一緒だった」というだけの縁で、友人のA嬢は就活に上京するや、某大学院生のB君の6畳一間のアパートにころがりこみます。いわく、「東京はホテルも宿屋も高すぎて払えない。玄関口の一畳分をまた貸しして」。その間の生活は、「ゲゲゲの女房」といい勝負だったらしい。布団の余分がなく、冬の掛け布団を敷いてコートにくるまって、「畳からはみでるな」と叱られながら眠ったといいます。
「ホントに何もなかった一か月」から半年後、東京で働くことになった彼女は「都内の身元引受人が必要で」事後承諾の形でB君のところに住民票を移し、今度は文机も置いて2畳分を貸してもらいました。
同棲に対して寛容でなかった時代ですから、やがて「入籍」せざるをえなくなりますが、その時でも箸や皿は一人分しかなく、生活用品はお古をもらうか粗大ごみ置き場から拾ってきて間に合わせたそうな。その後、功成り名遂げたご夫婦ですが、「あのころは毎日がスリリングで楽しかったワ」とかつてのビンボーぶりを懐かしんでおられます。
「その夏期大で一緒だった」というだけの縁で、友人のA嬢は就活に上京するや、某大学院生のB君の6畳一間のアパートにころがりこみます。いわく、「東京はホテルも宿屋も高すぎて払えない。玄関口の一畳分をまた貸しして」。その間の生活は、「ゲゲゲの女房」といい勝負だったらしい。布団の余分がなく、冬の掛け布団を敷いてコートにくるまって、「畳からはみでるな」と叱られながら眠ったといいます。
「ホントに何もなかった一か月」から半年後、東京で働くことになった彼女は「都内の身元引受人が必要で」事後承諾の形でB君のところに住民票を移し、今度は文机も置いて2畳分を貸してもらいました。
同棲に対して寛容でなかった時代ですから、やがて「入籍」せざるをえなくなりますが、その時でも箸や皿は一人分しかなく、生活用品はお古をもらうか粗大ごみ置き場から拾ってきて間に合わせたそうな。その後、功成り名遂げたご夫婦ですが、「あのころは毎日がスリリングで楽しかったワ」とかつてのビンボーぶりを懐かしんでおられます。
夫婦愛とは相手を思いやれる心の豊かさだ
私が通うジムで、オバはんたちが「石を投げたろか」と嫉妬するほど仲の良い熟年夫婦(60代後半か?)がいました。若いころはさぞかし…と思わせる「美男美女」の好一対、病身で弱々しい妻をいたわり、寄り添う姿のなんとサマになっていることか。ある日、彼女と偶然会話をかわしたのですが、意外なことに再婚してまだ数年とのこと。双方の子どもたちも賛成してくれ、郷里を離れて新天地に引っ越してきたのだそうです。
その二人をしばらく見かけないと思っていたら、ジムでばったりと出会った夫君の口から彼女の訃報を知らされます。
「前のご亭主とは親友だったんですよ。彼が亡くなるとき、病弱な妻を頼むと一言。彼女の入院や手術の承諾書にサインするために入籍しましたが、葬儀のあとお互いの子どもたちとも相談しましてね、彼女を親友の墓に帰しました。僕も前の妻が眠る郷里に戻るつもりです。」
「見送っていただけて奥様はお幸せね」と私がポツンと言うと、
「ホントにそうだったんでしょうか…」と夫君はにわかにどっと涙をあふれさせました。
夫婦愛とは、相手を思いやれる心の豊かさだとつくづく思い知った瞬間であります。
次回は、8月27日(金)掲載予定です。
その二人をしばらく見かけないと思っていたら、ジムでばったりと出会った夫君の口から彼女の訃報を知らされます。
「前のご亭主とは親友だったんですよ。彼が亡くなるとき、病弱な妻を頼むと一言。彼女の入院や手術の承諾書にサインするために入籍しましたが、葬儀のあとお互いの子どもたちとも相談しましてね、彼女を親友の墓に帰しました。僕も前の妻が眠る郷里に戻るつもりです。」
「見送っていただけて奥様はお幸せね」と私がポツンと言うと、
「ホントにそうだったんでしょうか…」と夫君はにわかにどっと涙をあふれさせました。
夫婦愛とは、相手を思いやれる心の豊かさだとつくづく思い知った瞬間であります。
次回は、8月27日(金)掲載予定です。
(2010年8月13日)
- お知らせ
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宮本まき子先生の新刊本が、12月16日、PHP研究所より出版されました。
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
ご注文の際は、直接出版元にお問い合わせください。
※書店でのお取り扱いはありません
ご連絡先 : PHP研究所 通販普及課 マナビカ係 075-681-8818
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