第42回 どの国でも食えるオンナは強い
「人生いろいろ、男もいろいろ」
出発直前の機内に黒いパンツスーツの女性が駆けこんできました。団塊世代の「よく働いた熟女たち11人の杭州見て歩きオリジナルツアーの旅」からの満席の帰国便の中のこと。客室乗務員にせかされて私の前の座席にたどり着くや、いきなり手にした雑誌と小バッグをシートに叩きつけるじゃありませんか!(ギョッ)次に大きな手荷物を通路側の私の座席のアームにドンと置きます。突然の奇襲にオヨヨとよけた私と友人が呆然と見上げると、「クーッ!!!」と歯をくいしばった真っ赤な般若顔で涙の大洪水が始まりました。
一瞬「男か?」と見まがうゴツイ体と顔のアラフォー女が、両手で顔も覆わず仁王立ちで泣く姿は異様で、スタッフも遠巻きにするばかり。全く無関係のわれら熟女連まで「搭乗口あたりで男と別れたか、クビを言い渡されたかの悔し泣きでは?」と思いめぐらすことしきり。私もつい「あなた、つらいだろうけど、人生イロイロだから…」などと言いかけて、隣の友人に足を蹴とばされました。
一瞬「男か?」と見まがうゴツイ体と顔のアラフォー女が、両手で顔も覆わず仁王立ちで泣く姿は異様で、スタッフも遠巻きにするばかり。全く無関係のわれら熟女連まで「搭乗口あたりで男と別れたか、クビを言い渡されたかの悔し泣きでは?」と思いめぐらすことしきり。私もつい「あなた、つらいだろうけど、人生イロイロだから…」などと言いかけて、隣の友人に足を蹴とばされました。
やがて赤くなった目のふちまわりをアイシャドーで塗り隠した「目黒のタヌキ」が現れ、衆人注視の中、ワインをガブガブ、機内食をペロリと完食。原因が男か仕事か知らないけれど、この立ち直りの早さ、見事さよ。負けるなぁ日本のアラフォーは…と実感したものです。
杭州滞在中はドキドキの連続
ところで、古い街並みの残る鳥鎮を訪ね、書道家王義之ゆかりの地の緑豊かな蘭亭を散歩し、静かな西湖をクルージングという当初の目標は「上海万博」からの立ち寄り観光客の波にのまれて早々と撃沈。その数はハンパではなく、しかもガイド全員がマイクでがなりたてるので、うるさいことやかましいこと、熟女連全員が頭痛をおこしました。
それでも日本人を熟知している現地ガイドが精査したルートですから、決して不衛生ではないのですが、トイレ休憩やホテルを移るたびに紙の心配をせにゃならぬ。つまり、「下水処理能力」に限界があって、空港や四つ星ホテルでも「使用済みトイレットペーパーは流さず、大型の屑箱に捨てる」のが常識なんですと。しかも、予備のロールは(盗難をおそれて?)「絶対に」置いてありません。「紙が有るか無いか足りるか」でドキドキ。うっかり便器に捨てた紙が「流れるほどの水流かどうか」でドキドキする毎日で、ストレスから便秘になる人が続出しました。
それでも日本人を熟知している現地ガイドが精査したルートですから、決して不衛生ではないのですが、トイレ休憩やホテルを移るたびに紙の心配をせにゃならぬ。つまり、「下水処理能力」に限界があって、空港や四つ星ホテルでも「使用済みトイレットペーパーは流さず、大型の屑箱に捨てる」のが常識なんですと。しかも、予備のロールは(盗難をおそれて?)「絶対に」置いてありません。「紙が有るか無いか足りるか」でドキドキ。うっかり便器に捨てた紙が「流れるほどの水流かどうか」でドキドキする毎日で、ストレスから便秘になる人が続出しました。
一夜、中国式マッサージの店に行こうとしたら、乗ったタクシーがなんと渋滞中の車線を逆行していきます。「チョッとォ」と叫ぶ間もなく、小型バイクそっくりにデザインされた電動自転車の群れや、譲る車や止まってくれる車もない渋滞の中を正面衝突しそうになりながら押し分けていくんですねぇ。指圧する前にしっかり肩こりしておりました。
あれはいつか見た原風景だわ
一度だけ、庶民的な中華料理屋でランチの円卓を囲んだときのこと。
どの卓も日焼けした若い男女で満杯でした。かぶっている帽子から、上海万博で「観客動員」された工場などの社員旅行と思われます。10人の卓に2升はあろうという白飯がどんと置かれ、あとは数皿の小皿料理だけ。全員がてんこ盛りの飯茶わんを左手から離すことなくせわしくおかずをのせてはパクパクと大口で食べていきます。ご飯の皿のおかわりはきてもおかずが品切れ、麻婆豆腐やスープの残りの一滴までかき集めても、旺盛な食欲ではまだ足りない様子です。そのうち店員と言い合いが始まりました。あきらかに「おかずが少なすぎる」という抗議らしい。「あの人たちの料理と違うじゃない」と私たちの卓をみんな指差すんですね。
私たちが食べ残した料理は明らかに数段上等なコースのようです。「これ、ほとんど手つかずだからお姉さんたちにあげようか?」「残り物なんてかえって失礼だわ」「第一、何て言って渡すの? いまガイドさんいないのよ」等々、これまた団塊の世代の熟女連は気に病みました。
しみじみ思い出したのは、彼女らの食事風景は「いつかみた原風景」だということ。1950年代の私たちの食卓も同じでした。小さなちゃぶ台で5人も6人も食事ができたのは、左手にご飯茶わんを持ったまま、卓には数皿のおかずとお椀だけだったからでしょう。みんなパクパクと良く食べて、みそ汁の最後の一滴まで飲んで、残飯など出なかったから、冷蔵庫にしまう必要もありませんでした。あのころ、少しでも生活をよくしたいというおとなたちの熱気は、てんこ盛りの白飯をぱくつく旺盛な食欲から生まれたのでしょう。
トイレも食卓も、振り返って日々のぜいたくさ、脆弱さを反省することの多い旅でした。ときに「非日常」に出会って頭の中のアーカイブスを整頓をするのもいいものですネ。
次回は、7月9日(金)掲載予定です。
どの卓も日焼けした若い男女で満杯でした。かぶっている帽子から、上海万博で「観客動員」された工場などの社員旅行と思われます。10人の卓に2升はあろうという白飯がどんと置かれ、あとは数皿の小皿料理だけ。全員がてんこ盛りの飯茶わんを左手から離すことなくせわしくおかずをのせてはパクパクと大口で食べていきます。ご飯の皿のおかわりはきてもおかずが品切れ、麻婆豆腐やスープの残りの一滴までかき集めても、旺盛な食欲ではまだ足りない様子です。そのうち店員と言い合いが始まりました。あきらかに「おかずが少なすぎる」という抗議らしい。「あの人たちの料理と違うじゃない」と私たちの卓をみんな指差すんですね。
私たちが食べ残した料理は明らかに数段上等なコースのようです。「これ、ほとんど手つかずだからお姉さんたちにあげようか?」「残り物なんてかえって失礼だわ」「第一、何て言って渡すの? いまガイドさんいないのよ」等々、これまた団塊の世代の熟女連は気に病みました。
しみじみ思い出したのは、彼女らの食事風景は「いつかみた原風景」だということ。1950年代の私たちの食卓も同じでした。小さなちゃぶ台で5人も6人も食事ができたのは、左手にご飯茶わんを持ったまま、卓には数皿のおかずとお椀だけだったからでしょう。みんなパクパクと良く食べて、みそ汁の最後の一滴まで飲んで、残飯など出なかったから、冷蔵庫にしまう必要もありませんでした。あのころ、少しでも生活をよくしたいというおとなたちの熱気は、てんこ盛りの白飯をぱくつく旺盛な食欲から生まれたのでしょう。
トイレも食卓も、振り返って日々のぜいたくさ、脆弱さを反省することの多い旅でした。ときに「非日常」に出会って頭の中のアーカイブスを整頓をするのもいいものですネ。
次回は、7月9日(金)掲載予定です。
(2010年6月25日)
- お知らせ
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宮本まき子先生の新刊本が、12月16日、PHP研究所より出版されました。
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
ご注文の際は、直接出版元にお問い合わせください。
※書店でのお取り扱いはありません
ご連絡先 : PHP研究所 通販普及課 マナビカ係 075-681-8818
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宮本まき子先生へのお問い合わせはホームページから
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