第46回 それぞれの夏の思い出に浸ろう
心を揺さぶる曲の一つが「少年時代」
物憂げな旋律で始まる井上陽水の「少年時代」ほど、来し方の夏の思い出をかきたてる曲はありません。初めて聴いたときにはわけもわからず涙がこみあげてきたほどです。
祭りや花火などの夏の風物詩が連なってくる歌詞を耳にすると、幼い日に兄に連れられて夜店をのぞいてワクワクしたこと、娘時代にほのかに想う人の袖をそっとつかんで歩いた境内、線香花火から打ち上げ花火まで、めくるめく走馬灯のように浮かび上がって甘酸っぱくて息苦しくなりそうでした。
祭りや花火などの夏の風物詩が連なってくる歌詞を耳にすると、幼い日に兄に連れられて夜店をのぞいてワクワクしたこと、娘時代にほのかに想う人の袖をそっとつかんで歩いた境内、線香花火から打ち上げ花火まで、めくるめく走馬灯のように浮かび上がって甘酸っぱくて息苦しくなりそうでした。
遊んで泳いでサカナになった私
元祖「湘南ガール」だった私の夏はいつも「海の中」。幼いころは現在の八景島シーパラダイスがあるところ、高校からは江の島と富士山が目の前の葉山・逗子・小坪が遊び場でした。
都知事になってからだんだん人相が悪くなってきた石原慎太郎氏が当時は超イケメンの若者で、海風に髪をたなびかせてヨットを沖合に出していくのに何度か遭遇しております。日没のころは泳いでいる海が一面のゴールドに染まり、自分まで金色になったようなゴージャスな気分になったものでした。
真っ黒に日焼けしすぎてアフリカ系アメリカ人と間違えられ、横須賀基地の米兵に「へーい、可愛い子ちゃん、何州の出身だい?故郷の話をしないか」とナンパされたこともあります。水着の紐のところをちょっとずらしてみせて答えました。「私?Purely made in Japanよ!」
だぶんあのころに一生分の海水浴をやってしまったのでしょう。結婚しても子どもが生まれても海辺の遊びは数えるほどしか行けていません。だから私の「少年時代」はほのかに潮の香りもするのですが、さて、皆さまの夏の思い出はどのようなものだったのでしょう?
都知事になってからだんだん人相が悪くなってきた石原慎太郎氏が当時は超イケメンの若者で、海風に髪をたなびかせてヨットを沖合に出していくのに何度か遭遇しております。日没のころは泳いでいる海が一面のゴールドに染まり、自分まで金色になったようなゴージャスな気分になったものでした。
真っ黒に日焼けしすぎてアフリカ系アメリカ人と間違えられ、横須賀基地の米兵に「へーい、可愛い子ちゃん、何州の出身だい?故郷の話をしないか」とナンパされたこともあります。水着の紐のところをちょっとずらしてみせて答えました。「私?Purely made in Japanよ!」
だぶんあのころに一生分の海水浴をやってしまったのでしょう。結婚しても子どもが生まれても海辺の遊びは数えるほどしか行けていません。だから私の「少年時代」はほのかに潮の香りもするのですが、さて、皆さまの夏の思い出はどのようなものだったのでしょう?
熱中症の怖さは「死ぬかもしれない」という自覚がないこと
今年はあまりの猛暑で、熱中症患者が毎日のように病院搬送され、残念ながら亡くなる方も続出したようですね。私も熱中症の苦い経験があります。60年代後半のころ、「カニ族」と呼ばれ、リュックをかついでユースホステルを泊まり歩いて「安上がりな旅」をするのが若者たちの間で大流行しました。
私も大学の友人と2人で夏の東北一周の旅に出たのですが、ガイドブックを信用して組んだ日程に無理があったらしく。八幡平を2泊3日で横断したところ、2泊目の山のお宿にたどり着くや、ぶっ倒れました。
あまりの暑さに帽子をとって煽ぎながらのトレッキングに加え、人出の少ないルートだったらしく、水の補給場がみつかりません。それに「飲むとバテる」という制止もあってガマンし続けたら、最後の2時間ぐらいが夢遊病者のようになりました。苦しいというより、全身が燃え上がって軽くなり、フワフワと宙を歩くような不思議な昂揚感です。
玄関で出迎えた宿の主人に「女の子だけでよくそのルートを踏破したなぁ」と褒められたとたんに失神、気が付いたら氷のうだらけでうめいていました。「熱射病だべ。オラがとった本物の熊の胆だ」という真っ黒な粉を飲まされ、またまたダウン。それで翌朝大汗をかいてケロリと復活したのですから、おそるべき18歳、おそるべき熊の胆の効能であります。以来、長時間のトレッキングはしていません。熱中症の怖さは、本人が「死ぬかもしれない」と気づかないことにつきると思います。
私も大学の友人と2人で夏の東北一周の旅に出たのですが、ガイドブックを信用して組んだ日程に無理があったらしく。八幡平を2泊3日で横断したところ、2泊目の山のお宿にたどり着くや、ぶっ倒れました。
あまりの暑さに帽子をとって煽ぎながらのトレッキングに加え、人出の少ないルートだったらしく、水の補給場がみつかりません。それに「飲むとバテる」という制止もあってガマンし続けたら、最後の2時間ぐらいが夢遊病者のようになりました。苦しいというより、全身が燃え上がって軽くなり、フワフワと宙を歩くような不思議な昂揚感です。
玄関で出迎えた宿の主人に「女の子だけでよくそのルートを踏破したなぁ」と褒められたとたんに失神、気が付いたら氷のうだらけでうめいていました。「熱射病だべ。オラがとった本物の熊の胆だ」という真っ黒な粉を飲まされ、またまたダウン。それで翌朝大汗をかいてケロリと復活したのですから、おそるべき18歳、おそるべき熊の胆の効能であります。以来、長時間のトレッキングはしていません。熱中症の怖さは、本人が「死ぬかもしれない」と気づかないことにつきると思います。
男装の少女を蹴飛ばさないでください
この東北一周の旅にはおまけの話があります。最終日、東京までの帰途に大雨で列車が止まり、夜中に駅で降ろされてしまいました。当時、女の子の個人旅行はいかがなものかということで、日焼けした顔はスッピン、髪は短くして野球帽をかぶり、靴も衣服も男物でしたから、小柄な男子高校生に間違えられたのでしょう。駅の待合室の地べたで他のカニ族らと折り重なるようにして雑魚寝をして熟睡していたら、枕にしていたリュックを蹴飛ばされたのです。
「おきろ、列車が動くぞ!」「…ありがとう」寝ぼけまなこで声を出すと、相手は3メートルも飛びのき、「エーッ?!…お、女かぁ?」と、狼狽して声がうわずった様子。その後、くだんの男子学生は豹変してリュックを運んでくれたり、超満員の座席をゆずってくれたりと大汗をかいて「点数の挽回」に励んでくれたのですが、なにぶんにも鼻先3センチの泥靴の印象だけが強く残り…、顔も名前も忘れてしまいました。ロマンスってテレビドラマのように、そう簡単に、お手軽には生まれないものなんですねぇ。
次回は、9月10日(金)掲載予定です。
「おきろ、列車が動くぞ!」「…ありがとう」寝ぼけまなこで声を出すと、相手は3メートルも飛びのき、「エーッ?!…お、女かぁ?」と、狼狽して声がうわずった様子。その後、くだんの男子学生は豹変してリュックを運んでくれたり、超満員の座席をゆずってくれたりと大汗をかいて「点数の挽回」に励んでくれたのですが、なにぶんにも鼻先3センチの泥靴の印象だけが強く残り…、顔も名前も忘れてしまいました。ロマンスってテレビドラマのように、そう簡単に、お手軽には生まれないものなんですねぇ。
次回は、9月10日(金)掲載予定です。
(2010年8月27日)
- お知らせ
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宮本まき子先生の新刊本が、12月16日、PHP研究所より出版されました。
「自分も幸せになる「姑道」十カ条」
ご注文の際は、直接出版元にお問い合わせください。
※書店でのお取り扱いはありません
ご連絡先 : PHP研究所 通販普及課 マナビカ係 075-681-8818
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