第19回 新米バァバはかく戦えり記
老人介護と孫育ての両立に悩む?
時あたかも新型インフルエンザの患者がモグラ叩き状態で出没してましたから、新米ママはことのほかナーバスになり、各部屋に消毒剤を配備し、外来者にはうがいと着替えを強要する騒ぎで、手拭き用のペーパータオルとうがい用の紙コップの山をこさえました。もちろんティッシュと紙おむつの山もドカンと出現。「京都議定書さん、ゴメンナサイ、ちょっとの間なので目をつぶってください」とアタクシ、心ひそかにエコでない娘母子に代わって頭を下げております。
団塊ジュニア全般が晩婚化したおかげで、40歳になる前の「駆け込み出産」が増え、ここ2年ほど出生率が上がったそうですが、一方で子どもの出産後の静養や新生児の世話を手伝う親たちのアラ還世代はバテ気味です。見た目は若くても体は生物学的時間で老朽化していくものなんですねぇ。
夜中の授乳を手伝っていたらめまいがとまらなくなり、昼間は居眠りの連続で、「バァバの息切れ」や「ジィジのぎっくり腰」が常態化してきました。あと10年早く産んでいてくれたらと、正直思います。
有史以来、人間だけが生き残って繫栄できたのは母親が娘の出産と育児を手伝って生存率を上げたからだという定説。いま、70代の母親が90代の老人介護をしながら、40代の娘の産褥期を手伝う例もままあります。近年の「里帰り出産」数の減少は単に若夫婦の協力的な育児意欲だけでなく、介護と育児の両立に悩む熟年世代の現状のせいかもしれませんね。
見てきたような嘘をつき
ところで娘は「母乳が出ない母親はいません。努力すれば出ます」と助産師に叱咤激励されてがんばっちゃう優等生タイプ。ひなが一日、長椅子に根が生えたように座り込んで、授乳マシーンに徹しております。
自慢じゃないがアタクシ、ありとあらゆる努力をしても母乳が3滴と出なかった「見かけ倒しの観賞用」の持ち主。「限りなく母乳に近いミルク」に頼ってもいい、おっぱいなんぞ子育ての一部だったと自分の体験を口を酸っぱくして語るのですが、助産師に「昔の母親はみんな母乳が出た」と言われて、またまたねじり鉢巻きになってます。ちょっと待って。タイムマシーンもないのに、「見てきたような嘘」を言っちゃいけませんなぁ。
文献によれば100年前は、母乳不足で脱水症になり死に至りました。昔は避妊をしないし授乳期間が長いから近所におっぱいが出る嫁さんが何人もいて、「もらい乳」をさせてくれました。代用ミルクに米麹でつくった甘酒に似た飲み物を使ったとあります。今も昔も母乳の出ない母親はちゃんといたのです。本気にしてはいけません。
アタクシも明治生まれの祖母たちに「昔の女は産後3日で起きて働いたもんだ」と言われ、産褥静養期も腹痛やだるさを我慢して一人で育児や家事をしていたら、突然大出血してぶっ倒れました。「昔」は家に大勢の女性がいたし、行動範囲も狭かったから、労働の量も適当だったのでしょう。「産後3日」を本気にした私が愚かだったのです。
めげそうな娘に「たとえ母乳不足でも糖水だけ与えて分泌を待ちましょう。WHOによれば1か月目の体重増加が500グラム(標準は1000グラム)あれば大丈夫ですから」と指導の助産師が激励したとか。
34年前の母乳信仰絶頂期に私が出産した時にも同じことを言われたゾ。3滴しか出ない母乳に泣き騒ぐ息子に砂糖水だけ与えて2週間、出生体重を500グラム減らしたときには指導した助産師が大慌てで、「早くミルクを飲ませて」と悲鳴をあげたのを覚えています。WHOの数値は低開発国まで入れての平均値で、日本には当てはまらないと思うのですが、これもまた「見てきてような嘘」に近いとちゃいますか?
「ご機嫌にしてともかく生きてればいいわよ」と言ってくれるプロが増えくれないと、団塊の世代のジジ・ババはハラハラしちゃいます。
次回は7月24日(金)、更新予定です。
自慢じゃないがアタクシ、ありとあらゆる努力をしても母乳が3滴と出なかった「見かけ倒しの観賞用」の持ち主。「限りなく母乳に近いミルク」に頼ってもいい、おっぱいなんぞ子育ての一部だったと自分の体験を口を酸っぱくして語るのですが、助産師に「昔の母親はみんな母乳が出た」と言われて、またまたねじり鉢巻きになってます。ちょっと待って。タイムマシーンもないのに、「見てきたような嘘」を言っちゃいけませんなぁ。
文献によれば100年前は、母乳不足で脱水症になり死に至りました。昔は避妊をしないし授乳期間が長いから近所におっぱいが出る嫁さんが何人もいて、「もらい乳」をさせてくれました。代用ミルクに米麹でつくった甘酒に似た飲み物を使ったとあります。今も昔も母乳の出ない母親はちゃんといたのです。本気にしてはいけません。
アタクシも明治生まれの祖母たちに「昔の女は産後3日で起きて働いたもんだ」と言われ、産褥静養期も腹痛やだるさを我慢して一人で育児や家事をしていたら、突然大出血してぶっ倒れました。「昔」は家に大勢の女性がいたし、行動範囲も狭かったから、労働の量も適当だったのでしょう。「産後3日」を本気にした私が愚かだったのです。
めげそうな娘に「たとえ母乳不足でも糖水だけ与えて分泌を待ちましょう。WHOによれば1か月目の体重増加が500グラム(標準は1000グラム)あれば大丈夫ですから」と指導の助産師が激励したとか。
34年前の母乳信仰絶頂期に私が出産した時にも同じことを言われたゾ。3滴しか出ない母乳に泣き騒ぐ息子に砂糖水だけ与えて2週間、出生体重を500グラム減らしたときには指導した助産師が大慌てで、「早くミルクを飲ませて」と悲鳴をあげたのを覚えています。WHOの数値は低開発国まで入れての平均値で、日本には当てはまらないと思うのですが、これもまた「見てきてような嘘」に近いとちゃいますか?
「ご機嫌にしてともかく生きてればいいわよ」と言ってくれるプロが増えくれないと、団塊の世代のジジ・ババはハラハラしちゃいます。
次回は7月24日(金)、更新予定です。
(2009年7月10日)
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- http://homepage3.nifty.com/makiko-miyamoto/