第28回 忘年会のお酒はほどほどに
「シンデレラ」と「マッチ売りの少女」は教訓書
先回、酔っ払って私の家の玄関前で全部脱ぎ棄てて行った青年の話を書いたけれど、酔っ払うとはしゃぐヒト、くだを巻くヒト、泣き上戸になるヒトと「酔い癖」はいろいろあるようですね。
かく申すアタクシ、若年のころより「チョー低血圧」のせいか、「飲んでも飲んでも(そのときは)大丈夫」のウワバミ女。大学時代は学生コンパで最後にお勘定をすませ、ぶっ倒れた出席者をタクシーにほうりこんで女子寮まで連れて帰るのが役目でございました。
当時の門番は某週刊誌でその名をはせた「恐怖のバットマン」。女子寮の風呂場のぞきにくる近隣の男たちを、容赦なくバットを振り回して追い散らすオソロシイおじさんでしたが、「またアンタかい。いつも大変だねぇ」と同情して、門限過ぎのゲートを開けてタクシーを通してくれました。
二人で差しつ差されつして、先に酔いつぶれた男子学生をかつぎ、家まで送り届けたこともあります。出てきた彼の両親に白い目で睨まれて、あわれはかなく、小さな恋は散ってしまいましたけど…。
私の場合、血のめぐりが悪い分、アルコールの浸透度に時差があるらしいんですネ。夜中の3時ぐらいに突然意識不明になるのだけど、草木といっしょに皆も眠っているから誰も知らないだけなのです。
社会人になって「仕事酒」なるものが加わり、酒豪の多い出版界のつきあいもできちゃったのですが、加齢による血圧の自然上昇とともに時差も縮まり、そのうち夜中の1時になるとバタンキュー。こうなるとシンデレラの心境で、何が何でも12時には帰らなくちゃいけない。「タクシーチケット出してやるから、次の店に行こう」と引きとめられても、「カボチャに乗ったボロ姫に戻る前に帰らなくっちゃ」と焦りましたねぇ。
かく申すアタクシ、若年のころより「チョー低血圧」のせいか、「飲んでも飲んでも(そのときは)大丈夫」のウワバミ女。大学時代は学生コンパで最後にお勘定をすませ、ぶっ倒れた出席者をタクシーにほうりこんで女子寮まで連れて帰るのが役目でございました。
当時の門番は某週刊誌でその名をはせた「恐怖のバットマン」。女子寮の風呂場のぞきにくる近隣の男たちを、容赦なくバットを振り回して追い散らすオソロシイおじさんでしたが、「またアンタかい。いつも大変だねぇ」と同情して、門限過ぎのゲートを開けてタクシーを通してくれました。
二人で差しつ差されつして、先に酔いつぶれた男子学生をかつぎ、家まで送り届けたこともあります。出てきた彼の両親に白い目で睨まれて、あわれはかなく、小さな恋は散ってしまいましたけど…。
私の場合、血のめぐりが悪い分、アルコールの浸透度に時差があるらしいんですネ。夜中の3時ぐらいに突然意識不明になるのだけど、草木といっしょに皆も眠っているから誰も知らないだけなのです。
社会人になって「仕事酒」なるものが加わり、酒豪の多い出版界のつきあいもできちゃったのですが、加齢による血圧の自然上昇とともに時差も縮まり、そのうち夜中の1時になるとバタンキュー。こうなるとシンデレラの心境で、何が何でも12時には帰らなくちゃいけない。「タクシーチケット出してやるから、次の店に行こう」と引きとめられても、「カボチャに乗ったボロ姫に戻る前に帰らなくっちゃ」と焦りましたねぇ。
「神様、二度と飲みすぎないから、どうかアタシを歩かせて」
なんて祈っておりました。
翌朝、気がついたらスーツを着たままベッドにもぐりこんでいて、靴もバッグも玄関にころがっていたから、見かねた神様が担ぎあげてくれたのでしょう。それ以来、懲りて「外では」深酒をしていません。
お酒は健康的に飲もう、泥酔は厳禁
「酒は百薬の長」といわれます。19世紀のころまで日本では麹で米を発酵させてできる「甘酒」の少し手前のものをすり鉢でつぶしてドロドロにした「代用ミルク」を母乳代わりに使ったり、欧米では子どもの病気見舞いにも「ワインといちじく」を持って行ったといいますから、酒は栄養価の高い食品だったことは確かなようです。つまり、体ポカポカ、心もほかほか、友情もアップアップくらいの、楽しく陽気な気分になったへんが「切り上げどき」でしょう。
知り合いのスナックバーのママは気風のいい土佐女で、悪酔いする客の襟がみをつかんで「カネはいらないからとっとと帰りやがれ」と本当に放り出しちゃう豪傑でした。彼女のどなり声が響き渡ると店内の客も、隣の店の客までワクワクして表通りに飛び出します。最後は必ず「塩もっといで!」になり、肥満体の両手いっぱいの塩を水戸泉関のようにパアーッと頭上高く派手にまくから、やんやの喝采。この「パーフォーマンス」目当ての客も多かったのですが、残念ながら今はありません。
新聞社の幹部を「小僧っ子」扱いするママがいる新橋某店は、昭和30年代の見事にセピア色の世界です。
「小僧っ子」どもは自分で冷蔵庫からビールを出して栓を抜き、「何かつまみでも」と80代の老女将がブルブル震える手でお新香を切ろうとするのを「いいから、いいから」と制して、セルフ・サービスで袋入りのおつまみを皿に出して飲み始めました。それでも混み合ってくるから、適当なところで切り上げて、お勘定も自分たちでして、「じゃあ、おかあさん、また来るよ」。不思議なお店でしたが、まだ健在でしょうか?
お酒は「飲んでよし、帰ってよし」をちゃんと守れば、ほんとに楽しいお仲間です。これから忘年会シーズンですが、くれぐれも深酔いによる「遭難」にご注意くださいませ。
次回は、12月11日(金)掲載予定です。
知り合いのスナックバーのママは気風のいい土佐女で、悪酔いする客の襟がみをつかんで「カネはいらないからとっとと帰りやがれ」と本当に放り出しちゃう豪傑でした。彼女のどなり声が響き渡ると店内の客も、隣の店の客までワクワクして表通りに飛び出します。最後は必ず「塩もっといで!」になり、肥満体の両手いっぱいの塩を水戸泉関のようにパアーッと頭上高く派手にまくから、やんやの喝采。この「パーフォーマンス」目当ての客も多かったのですが、残念ながら今はありません。
新聞社の幹部を「小僧っ子」扱いするママがいる新橋某店は、昭和30年代の見事にセピア色の世界です。
「小僧っ子」どもは自分で冷蔵庫からビールを出して栓を抜き、「何かつまみでも」と80代の老女将がブルブル震える手でお新香を切ろうとするのを「いいから、いいから」と制して、セルフ・サービスで袋入りのおつまみを皿に出して飲み始めました。それでも混み合ってくるから、適当なところで切り上げて、お勘定も自分たちでして、「じゃあ、おかあさん、また来るよ」。不思議なお店でしたが、まだ健在でしょうか?
お酒は「飲んでよし、帰ってよし」をちゃんと守れば、ほんとに楽しいお仲間です。これから忘年会シーズンですが、くれぐれも深酔いによる「遭難」にご注意くださいませ。
次回は、12月11日(金)掲載予定です。
(2009年11月27日)
- 宮本まき子先生へのお問い合わせはホームページから
- http://homepage3.nifty.com/makiko-miyamoto/