10月1、2日に行われたユニットケア全国セミナーも今年で13回を数えました。東日本大震災以来、施設の役割を再び問い直す機会が増えていますが、本セミナーにおいても「出口は地域」のユニットケア本来のあり方を考える機会となりました。
Vol.102 感じて、考える。
そして行動しよう。
ユニットケアを超えた施設の役割の追求――第13回ユニットケア全国セミナー開催
被災地支援の中でのセミナー開催
実行委員長の武田和典さんは冒頭のあいさつで、参加者と発表者へのお礼に加えて「震災とは何だったのか、今を考え、歩みを出す一歩にすることが、私たちが担う将来への責任」と言います。「感じて、考え、そして声を上げて行動することです」。
事実を知り、将来に役立てる
1日目の「現場リポート1 3・11東日本大震災―介護現場に何が起きたのか」では、宮城県名取市の特別養護老人ホーム「うらやす」の佐々木恵子施設長から報告がありました。佐々木さんの所属する法人では、ケアハウスと老健、特養など3拠点10事業を運営していますが、うち8事業が地震による津波で被災しました。利用者43名、職員4名が犠牲になるという甚大な被害です。時折声を詰まらせながら当時の様子を語る佐々木さんは、今回発表するに至った理由として次のように話します。
「たくさんの利用者、職員が亡くなりましたが、事実を伝えることで皆さんの将来に役立ててほしいと思います。自分たちと同じ思いをする事業所がなくなりますように」
当日、「うらやす」では何が起こったのでしょうか――地震によりすべての機器が停止した施設では、施設長不在のため、介護係長の指示により、防災マニュアルに基づき隣接する3階建てのケアハウスに避難を開始します。しかし、地域の警官より、指定避難所である中学校に避難するよう指示が出たそうです。混乱の中、およそ1.3キロ離れた中学校に車でピストン輸送が開始されましたが、行った車が帰って来ない……。そうこうするうちに、津波が押し寄せました。
「以前も津波対策のマニュアルはありましたが、特に訓練はしていなかった」(佐々木さん)そうですが、昨年のチリ地震で津波警報が出た際に避難活動を経験しており、その経験が今回役に立ったといいます。
しかし、警察から避難場所の変更の指示が出たり、通信手段がない、車が戻ってこない、近隣のコンビナートの火災など、想定外の事態が続きます。津波の後、施設で孤立状態になった中で亡くなった利用者もいました。同法人の老健で通常勤務に戻ったのは3か月が経過した頃でしたが、佐々木さんは職員に対して「自分たちにできることはやったというものを持てば、今後の力になる」と言います。「災害時は、状況が刻々と変化します。最も大切なのは命、まずは自分の命です。そして優先順位を判断し、できることをしましょう」。
亡くなった職員と利用者の遺族には、佐々木さんと担当職員が事情説明に訪問したそうですが、その際の職員たちが一番心配だったと佐々木さんは言います。災害は残された者にも大きな傷を残すことを、私たちは忘れてはなりません。
「たくさんの利用者、職員が亡くなりましたが、事実を伝えることで皆さんの将来に役立ててほしいと思います。自分たちと同じ思いをする事業所がなくなりますように」
当日、「うらやす」では何が起こったのでしょうか――地震によりすべての機器が停止した施設では、施設長不在のため、介護係長の指示により、防災マニュアルに基づき隣接する3階建てのケアハウスに避難を開始します。しかし、地域の警官より、指定避難所である中学校に避難するよう指示が出たそうです。混乱の中、およそ1.3キロ離れた中学校に車でピストン輸送が開始されましたが、行った車が帰って来ない……。そうこうするうちに、津波が押し寄せました。
「以前も津波対策のマニュアルはありましたが、特に訓練はしていなかった」(佐々木さん)そうですが、昨年のチリ地震で津波警報が出た際に避難活動を経験しており、その経験が今回役に立ったといいます。
しかし、警察から避難場所の変更の指示が出たり、通信手段がない、車が戻ってこない、近隣のコンビナートの火災など、想定外の事態が続きます。津波の後、施設で孤立状態になった中で亡くなった利用者もいました。同法人の老健で通常勤務に戻ったのは3か月が経過した頃でしたが、佐々木さんは職員に対して「自分たちにできることはやったというものを持てば、今後の力になる」と言います。「災害時は、状況が刻々と変化します。最も大切なのは命、まずは自分の命です。そして優先順位を判断し、できることをしましょう」。
亡くなった職員と利用者の遺族には、佐々木さんと担当職員が事情説明に訪問したそうですが、その際の職員たちが一番心配だったと佐々木さんは言います。災害は残された者にも大きな傷を残すことを、私たちは忘れてはなりません。
被災地で、福祉施設は何ができるのか?
続く「現地リポート2 被災地の福祉施設の役割を問う」では、被災地にありながら被害の比較的少なかった施設が、いかに地域の支援拠点として機能してきたかを考える内容です。
宮城県石巻市の就労自立支援センターコスモスは震災当日、法人の6か所の施設を避難所として開放しました。利用者やその家族、地域住民ら300名以上が避難してきたといいます。コスモスの管理者・鈴木徳和さんは、法人としてのスケールメリットを活かし、マンパワーの集約をポイントとして挙げます。「職員をできるだけ1か所に集めることで、人員にも余裕が生まれます」。緊急時はどうしても超過勤務になりがちで、長期間の活動で職員が疲弊する例が少なくありません。ライフラインが寸断された状況では、1か所での対応が何かと便利ということもあるでしょう。
仙台市の仙台楽生園も、施設の被害はそれほどでもなく、震災当日から避難者を受け入れてきました。そこでは、介護ボランティアを被災施設に派遣するコーディネーターの役割も担っていましたが、物資や人はたくさんあるのに、コーディネート機能が全体としてはうまく機能していたかといえば、必ずしもそうではないといいます。統括施設長の佐々木薫さんは、介護職員を派遣する際のシステムづくりとして、次の8つを挙げています。
・被災施設でも受け入れやすいシステム
・派遣施設でも行きやすいシステム
・有資格者で数年以上の介護経験者
・基本は2人組の派遣
・認知症高齢者にも配慮した派遣期間
・一時的でない継続的なチームでの支援
・中・長期的な視点に立った派遣システム
・種別・団体にとらわれない相互乗り入れ
皆さんの中には、ボランティアとして現地で活動した人もいることでしょう。皆さんも現地で同じような印象を受けたのでしょうか。
宮城県石巻市の就労自立支援センターコスモスは震災当日、法人の6か所の施設を避難所として開放しました。利用者やその家族、地域住民ら300名以上が避難してきたといいます。コスモスの管理者・鈴木徳和さんは、法人としてのスケールメリットを活かし、マンパワーの集約をポイントとして挙げます。「職員をできるだけ1か所に集めることで、人員にも余裕が生まれます」。緊急時はどうしても超過勤務になりがちで、長期間の活動で職員が疲弊する例が少なくありません。ライフラインが寸断された状況では、1か所での対応が何かと便利ということもあるでしょう。
仙台市の仙台楽生園も、施設の被害はそれほどでもなく、震災当日から避難者を受け入れてきました。そこでは、介護ボランティアを被災施設に派遣するコーディネーターの役割も担っていましたが、物資や人はたくさんあるのに、コーディネート機能が全体としてはうまく機能していたかといえば、必ずしもそうではないといいます。統括施設長の佐々木薫さんは、介護職員を派遣する際のシステムづくりとして、次の8つを挙げています。
・被災施設でも受け入れやすいシステム
・派遣施設でも行きやすいシステム
・有資格者で数年以上の介護経験者
・基本は2人組の派遣
・認知症高齢者にも配慮した派遣期間
・一時的でない継続的なチームでの支援
・中・長期的な視点に立った派遣システム
・種別・団体にとらわれない相互乗り入れ
皆さんの中には、ボランティアとして現地で活動した人もいることでしょう。皆さんも現地で同じような印象を受けたのでしょうか。
物語は風化していく。しかし、思いを風化させてはならない
介護ボランティアも大切ですが、同じく被災地での対応として大切なことの一つに「住まい」が挙げられます。認知症の人とその家族は、避難所で寝泊りするのが心苦しく、車で暮らす人も多いといいます。阪神・淡路大震災や新潟県中越地震での教訓から、福祉避難所やケア付き仮設住宅の必要性を訴える――ディスカッション「震災対応を考える」では、過去の震災で尽力した人たちからの提言がなされました。
宝塚市社会福祉協議会事務局長の佐藤寿一さんからは福祉避難所(ケア付き避難所)、阪神共同福祉会理事長の中村大蔵さんからはグループハウス(24時間スタッフが常駐するケア付き住宅)、中越復興市民会議代表の稲垣文彦さんからは行政と市民をつなぐ中間支援組織の活動を通して、地域を分断する復興計画への懸念がなされましたが、現実は、過去の経験があまり活かされてはいないといいます。前述の武田和典さんは、東北関東大震災・共同支援ネットワーク事務局次長として石巻で活動を続けていますが、「制度は人を助けてはくれません。人を助けるのは人です」と、本セミナーの参加者に問いかけます。「終わりは始まりです。さぁ、何を始めますか?」。
どれだけ甚大な被害も、時間の洗礼を受ければ風化します。しかし、人々の思いを風化させてはなりません。皆さんは何を思い、何を始めますか。
宝塚市社会福祉協議会事務局長の佐藤寿一さんからは福祉避難所(ケア付き避難所)、阪神共同福祉会理事長の中村大蔵さんからはグループハウス(24時間スタッフが常駐するケア付き住宅)、中越復興市民会議代表の稲垣文彦さんからは行政と市民をつなぐ中間支援組織の活動を通して、地域を分断する復興計画への懸念がなされましたが、現実は、過去の経験があまり活かされてはいないといいます。前述の武田和典さんは、東北関東大震災・共同支援ネットワーク事務局次長として石巻で活動を続けていますが、「制度は人を助けてはくれません。人を助けるのは人です」と、本セミナーの参加者に問いかけます。「終わりは始まりです。さぁ、何を始めますか?」。
どれだけ甚大な被害も、時間の洗礼を受ければ風化します。しかし、人々の思いを風化させてはなりません。皆さんは何を思い、何を始めますか。
ユニットケアを推進するための視点
1日目のセミナーは震災一色の感がありましたが、2日目はマネジメントコースと現場実践コースに分かれて、介護の専門性を追求する機会となりました。ここでは、現場実践コースの模様をお伝えします。
「食事が変われば暮らしも変わる〜個別ケアを食事から考える〜」では、2つの施設から利用者の食事への取り組みが報告されました。茨城県常陸大宮市の特養「御前山フロイデガーデン」からは、利用者の生活歴を通した食事支援から個別ケアを推進した事例、大阪市の特養「博愛の園」からは、施設の常識を打ち破る食事の提供の事例です。
2つの施設に共通するのは、職員目線ではなく、利用者の目線に立って物事を考え、疑問提議すること。「それって普通なの?」という問いかけがなければ、個別ケアの推進はありえないということです。
次の報告は、逆デイサービスの実践です。逆デイはユニットケアを推進するための手段の一つですが、長野県佐久市の老健「安寿苑」と京都府京丹後市の特養「丹後園」からの報告では、逆デイによって利用者、職員、地域が変わるという好循環がみえました。
最後の報告はリーダー育成と組織づくりです。岐阜県池田町の特養「サンビレッジ新生苑」と山口県防府市の特養「防府あかり園」からの報告では、組織を育てる「人」を育てる取り組みのいくつかが報告されました。
「食事が変われば暮らしも変わる〜個別ケアを食事から考える〜」では、2つの施設から利用者の食事への取り組みが報告されました。茨城県常陸大宮市の特養「御前山フロイデガーデン」からは、利用者の生活歴を通した食事支援から個別ケアを推進した事例、大阪市の特養「博愛の園」からは、施設の常識を打ち破る食事の提供の事例です。
2つの施設に共通するのは、職員目線ではなく、利用者の目線に立って物事を考え、疑問提議すること。「それって普通なの?」という問いかけがなければ、個別ケアの推進はありえないということです。
次の報告は、逆デイサービスの実践です。逆デイはユニットケアを推進するための手段の一つですが、長野県佐久市の老健「安寿苑」と京都府京丹後市の特養「丹後園」からの報告では、逆デイによって利用者、職員、地域が変わるという好循環がみえました。
最後の報告はリーダー育成と組織づくりです。岐阜県池田町の特養「サンビレッジ新生苑」と山口県防府市の特養「防府あかり園」からの報告では、組織を育てる「人」を育てる取り組みのいくつかが報告されました。
報告のとおり、今回のユニットケアセミナーは震災対応が主となりました。ユニットケアの実践を期待した参加者は、少し物足りない印象を抱いたかもしれません。しかし、ユニットケア自体も施設ケアをよくする「手段」です。地域で施設はどうあるべきか? 震災をはじめとする緊急時の対応は、ユニットケアを実践するうえでもきっと役に立つはずです。