3月11日に発生した東日本大震災。マグニチュード9.0という世界最大級の地震は、岩手、宮城、福島の3県を中心に未曾有の被害をもたらしました。
震災から3週間が過ぎた4月初め、甚大な被害を受けた宮城県仙台市と近隣の町を訪れました。すでにライフラインの復旧も進み、徐々に普通の生活が戻りつつありましたが、大津波の爪痕はいまだ歴然と残っています。
震災から3週間が過ぎた4月初め、甚大な被害を受けた宮城県仙台市と近隣の町を訪れました。すでにライフラインの復旧も進み、徐々に普通の生活が戻りつつありましたが、大津波の爪痕はいまだ歴然と残っています。
Vol.96 フォトレポート・東日本大震災
宮城県名取市の様子。津波に襲われた場所はがれきで埋め尽くされていました。
ひっくり返るように港に打ち上げられた船、倉庫の入り口を縦にふさぐ自動車などが、津波の力を物語っています。
家屋の瓦礫、変形した自動車――こうした光景は、沿岸に沿ってずっと続いています。200人を超える遺体が発見された仙台市荒浜地区の住宅地では、基礎だけを残してほとんどの住宅が流されていました。
同地区にある特別養護老人ホームの入り口には、防風林の松が突き刺さるように残っています。
その被害の大きさは、衛星画像を見ると一目瞭然です。例えば、アメリカのニュース制作会社、ABCNewsのサイトでは、津波によって大きな被害を受けた地域で、その前後を比較できる画像を掲載しています。住宅地であったところが、津波によって、ほぼなにもなくなっているのがわかります。
一方、仙台市内の津波に襲われなかった地区では、スーパーやコンビニエンスストアなども営業を開始しており、東京都内よりも商品が豊富な店もありました。ただ、同じ市内でも、地区によっては物資の配給に並ぶ人々の姿も見られます。住民に尋ねると、ガソリン不足もあって物資の豊富さは地域差が大きく、海外沿いではまだ十分に物が届かないところもあるということでした。
一方、仙台市内の津波に襲われなかった地区では、スーパーやコンビニエンスストアなども営業を開始しており、東京都内よりも商品が豊富な店もありました。ただ、同じ市内でも、地区によっては物資の配給に並ぶ人々の姿も見られます。住民に尋ねると、ガソリン不足もあって物資の豊富さは地域差が大きく、海外沿いではまだ十分に物が届かないところもあるということでした。
街の所々では、自衛隊に混ざって民家の瓦礫や泥を片づけるボランティアの方々の姿もみられました。現在、多くの法人、団体、個人などのボランティアが、街の復興や人々の支援のために被災地に入っています。支援の内容も、当初の生命を維持するための物的支援から、生活をも視野に入れた人的支援という要素も増えてきました。行政による支援とともに、草の根的なボランティア活動も復興の鍵を握っているといえそうです。
こうした大きな被害は、時の経過とともに人々の記憶から風化しがちです。しかし、被災者の悲しみは風化されることがないでしょう。専門職を対象としたボランティアも募集されていますが、現地に行かなくとも、自分たちに何ができるのか、そう自問し続けていくことが必要です。