『未来国家 ブータン』
高野秀行=著
発行:集英社、2012年
価格:¥1,575(税込)
発行:集英社、2012年
価格:¥1,575(税込)
ブータンでは、国民一人当たりの幸福を最大化することによって社会全体の幸福を最大化することを目指すべきだとする考えから「国民総幸福量(GNH=Gross National Hapiness)」を主唱している。これは、1972年にブータン王国の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの提唱で、ブータン王国で初めて調査され、以後、国の政策に活用されているものだという。
国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(最貧国)に分類されているので、もちろん、経済的な観念から幸福を云々するわけにはいかない。しかし、「世界でいちばん幸せな国」とも呼ばれている。そこにある「幸福」とは一体何かを探ったのが本書である。
「ブータンは『半鎖国国家』である。一般の旅行者は一日二百ドルも払う義務があり、基本的に観光ガイドを連れて、予定したルートしか回れないという」(32頁)
「ブータンでは、外国人旅行者によるトレッキングを認めているが、食料と燃料は必ず里から持参することが義務づけられている。山の上の人の生活や自然環境を少しでも乱してはいけないということだ」(42頁)
何が一体守られているのか。
「辺り一面に網の目のように細かい棚田がひろがっていた。まだ田植え前の田んぼは、水が鏡のように空の雲や畦道を歩く親子を映し出している。オレンジ色の嘴をした鳥が、バナナや椰子の葉っぱをすり抜け、小さな水路でばしゃばしゃと水浴びをし、吉祥の印である鳳凰が描かれた民家の屋根裏ではもっと小さな小鳥がばたばたと飛び回り大騒ぎをしている。/寺に着くと、小僧が物干し竿のように長い笛を暇そうにぷわーっと吹き、菩提樹の大木の下では茶色い犬がまどろんでいる。/まるで天国のようだ。桃源郷とはここのことじゃないか」(44頁)
「ひたすら幸せで何もやる気にならなかった。何かしようとするのがばかばかしい。ただここにいるだけでよかった」(45頁)
しかし、百年くらい前のブータンは、決してそうではなかった。
「ブータン人は毒矢で低地インドの民族を襲い、奴隷として連れ帰ってきた」(60頁)
「屠畜関係の被差別民は少なくとも二つあった。一つはシェンパという屠畜を生業とする者、もう一つはディクパという刃物をつくる職人だという」(61頁)
しかし、三代目国王が屠畜職人を自分の近臣にとりたてたことによって、差別は急速に薄れていった。
また、ブータンでは、化学肥料をほとんど使っていない「世界最先端の環境立国」と呼ばれているが、そもそもは環境保全が理由ではなく、「(化学肥料に頼ると)外国に依存してしまう」という日本人・中尾佐助の進言に基づくものだ。
「ブータンのGNH政策というのは仏教、近代化、国防、環境などを総合的に判断し、三代目、四代目の国王が個別に実施した政策の集成なんだよ」(62頁)
さて、人々は、一体どんな暮らしをしているのか。
「この(ラヤ)村の人は、十二月から四月までの冬は寒いのでヤクを連れて低地に下り、五月から十一月までの夏は暑いので、涼しい高地にヤクを連れて出かける。つまり、一年の大半の時期をヤクとともに村の外で過ごす。/春と秋のごく限られた時期、村に人が戻り、作物の種まき(あるいは収穫)と儀式を行う」(93頁)
「ブータン人はもともと遊牧民で移動社会を形成していた。(中略)そして、移動先の友人知人を『ニェップ』とブータンでは呼ぶ。/(中略)彼らはみな、ニェップのところに泊まる。誰が誰のニェップか、ほぼ決まっている。(中略)/ニェップがやって来ると歓待するのがしきたりなんだそうだ。血のつながりはなくとも、親戚のように頼り合い、助け合う関係なのである」(122〜123頁)
「学校は、学費や食費も無料で、朝食も出るからまずは朝飯を食べに登校するという」(131頁)
また、実の親が放牧地に行っている間、親代わりに子どもの面倒をみることもある。
「そういう子供代わりの存在をゾンカ語でプツォプというんです」(131頁)
こうした相互扶助の土壌があり、こんな風習もある。
「もともとブータン人の男は、夜這いを重ねて、だんだん相手の娘の親にも認められ、そのうち家の仕事を手伝ったりするうちにいつの間にか婿として落ち着いているというのが普通だったという。だから当然、家事もせっせとやる(中略)。相手の親や娘が男に愛想をつかすと、ただ男の持ち物を玄関の外に置く。すると男は出て行かねばならない。次の落ち着き先を探して、とぼとぼ歩いていく。嗚呼、ブータンの男よ! と言いたくなる感じだったようだ」(114頁)
著者は、こんなコメントを記している。
「まったくブータン人からは学ぶべきところが多い。多すぎる」(133頁)
そして、人間を含め、以下のように、あらゆる生物に優しい政策も徹底されている。
「(シャブドゥン・クチェという祝日には)『土の中にいる小さな虫を殺してはいけないから』という理由で畑仕事とそれにまつわる作業は一切慎むという。/敬虔な仏教徒らしい。タイやミャンマーでも、六月から九月にかけての雨期は雨安居と呼ばれ、僧侶はなるべく外に出ないようにする。雨のために増えた小さな虫や草木の芽を踏みつぶさないためだ。この時期だけ出家するという人も多い。/やっぱり仏教は生物多様性と近い思想なんだなと思ってしまう。というのはティンプーからガサに行く途中、旧都のプナカ城の近く、モチェ川の岸辺が『保護区』になっているのを見ていたからだ。/(中略)ふつう、急に政府が『環境を大事にしろ』とか『生物多様性の時代だから』と言っても現地の人は簡単に納得しない。例えば昔私がアフリカ・コンゴの奥地に行ったとき、コンゴ人の生物学者が『ゴリラやチンパンジーは保護動物だから捕って食べてはいけない』としつこく繰り返したが、村の人たちは『わけわからん』という顔をしていた。昔から普通に食べているから急にそんなことを言われても理解できないのだ。/いや、アフリカどころか日本でも同じだ。大型のほ乳類や鳥ならともかく、道端の昆虫や水辺の草なんて全く顧みられていない。景気対策でどんどんいらない道路を造り、護岸工事で海や山の岸辺をコンクリートで固めている。/ところがブータンではなにしろこうやって『小さな虫にも命があるから大切にすべし』という教えが身にしみ込んでいる。仏教=GNHではないものの、環境問題や生物多様性は仏教の教えとひじょうにうまく重なる。だから一般の村人にもすぐ理解できてしまう。/ブータンが環境立国として世界のトップに立っているのは、仏教抜きには考えられない」(106〜108頁)
「ブータン方式とは国民の自発性を尊重しつつ明確に指導すること、もう一つは巧みな補完システム」(249頁)と著者はいう。
「ブータンを1ヵ月旅して感じたのは、この国には『どっちでもいい』とか『なんでもいい』という状況が実に少ないことだ。/何をするにも、方向性と優先順位は決められている。実は『自由』はいくらもないが、あまりに無理がないので、自由がないことに気づかないほどである。国民はそれに身を委ねていればよい。だから個人に責任がなく、葛藤もない。/アジアの他の国でも庶民は(純真な)瞳と笑顔の人が多いが、インテリになると、とたんに少なくなる。教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。/でもブータンのインテリにはそんな葛藤はない。庶民と同じようにインテリも迷いなく生きるシステムがこの国にはできあがっている。/ブータン人は上から下まで自由に悩まないようにできている。/それこそがブータンが『世界でいちばん幸せな国』である真の理由ではないだろうか」(249〜250頁)
「何が幸せなのか」は、受けとめる側の考え方に左右される要素も大きい。
「私がこれまで見たアジア・アフリカの国はすべて同じ道筋を歩んでいるように思える。/まず欧米の植民地になる。ならないまでも、経済的・文化的な植民地といえるほどの影響を受ける。独立を果たすと、政府は中央集権と富国強兵に努め、マイノリティや政府に反対する者を容赦なく弾圧する。自然の荒廃より今の景気を優先し、近代化に邁進する。たいてい独裁政治で抑圧はひどいが暮らしは便利になる。やがて、中産階級が現れ、自由、人権、民主主義などが推進される。迷信や差別とともに神仏への信仰も薄れていく。個人の自由はさらに広がり、マイノリティはよりきちんと理解されるとともに、共同体や家族は分解し、経済格差は開き、治安は悪くなる。政治が大衆化し、支配層のリーダーシップが失われる。そして、環境が大事だ、伝統文化が大切だという頃には環境も伝統文化も失われている――。/(中略)ただ一つ、ブータンだけが例外である」(258〜259頁)
要介護高齢者が「お世話になります。感謝ばかりです。・・でも、早くお迎えが来てほしい」と口にするのを耳にしたことはないだろうか。単に、「そんなことを言わないで!」などと反論するだけでなく、あらためて、確固とした幸福観に立脚する必要があると思う。
国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(最貧国)に分類されているので、もちろん、経済的な観念から幸福を云々するわけにはいかない。しかし、「世界でいちばん幸せな国」とも呼ばれている。そこにある「幸福」とは一体何かを探ったのが本書である。
「ブータンは『半鎖国国家』である。一般の旅行者は一日二百ドルも払う義務があり、基本的に観光ガイドを連れて、予定したルートしか回れないという」(32頁)
「ブータンでは、外国人旅行者によるトレッキングを認めているが、食料と燃料は必ず里から持参することが義務づけられている。山の上の人の生活や自然環境を少しでも乱してはいけないということだ」(42頁)
何が一体守られているのか。
「辺り一面に網の目のように細かい棚田がひろがっていた。まだ田植え前の田んぼは、水が鏡のように空の雲や畦道を歩く親子を映し出している。オレンジ色の嘴をした鳥が、バナナや椰子の葉っぱをすり抜け、小さな水路でばしゃばしゃと水浴びをし、吉祥の印である鳳凰が描かれた民家の屋根裏ではもっと小さな小鳥がばたばたと飛び回り大騒ぎをしている。/寺に着くと、小僧が物干し竿のように長い笛を暇そうにぷわーっと吹き、菩提樹の大木の下では茶色い犬がまどろんでいる。/まるで天国のようだ。桃源郷とはここのことじゃないか」(44頁)
「ひたすら幸せで何もやる気にならなかった。何かしようとするのがばかばかしい。ただここにいるだけでよかった」(45頁)
しかし、百年くらい前のブータンは、決してそうではなかった。
「ブータン人は毒矢で低地インドの民族を襲い、奴隷として連れ帰ってきた」(60頁)
「屠畜関係の被差別民は少なくとも二つあった。一つはシェンパという屠畜を生業とする者、もう一つはディクパという刃物をつくる職人だという」(61頁)
しかし、三代目国王が屠畜職人を自分の近臣にとりたてたことによって、差別は急速に薄れていった。
また、ブータンでは、化学肥料をほとんど使っていない「世界最先端の環境立国」と呼ばれているが、そもそもは環境保全が理由ではなく、「(化学肥料に頼ると)外国に依存してしまう」という日本人・中尾佐助の進言に基づくものだ。
「ブータンのGNH政策というのは仏教、近代化、国防、環境などを総合的に判断し、三代目、四代目の国王が個別に実施した政策の集成なんだよ」(62頁)
さて、人々は、一体どんな暮らしをしているのか。
「この(ラヤ)村の人は、十二月から四月までの冬は寒いのでヤクを連れて低地に下り、五月から十一月までの夏は暑いので、涼しい高地にヤクを連れて出かける。つまり、一年の大半の時期をヤクとともに村の外で過ごす。/春と秋のごく限られた時期、村に人が戻り、作物の種まき(あるいは収穫)と儀式を行う」(93頁)
「ブータン人はもともと遊牧民で移動社会を形成していた。(中略)そして、移動先の友人知人を『ニェップ』とブータンでは呼ぶ。/(中略)彼らはみな、ニェップのところに泊まる。誰が誰のニェップか、ほぼ決まっている。(中略)/ニェップがやって来ると歓待するのがしきたりなんだそうだ。血のつながりはなくとも、親戚のように頼り合い、助け合う関係なのである」(122〜123頁)
「学校は、学費や食費も無料で、朝食も出るからまずは朝飯を食べに登校するという」(131頁)
また、実の親が放牧地に行っている間、親代わりに子どもの面倒をみることもある。
「そういう子供代わりの存在をゾンカ語でプツォプというんです」(131頁)
こうした相互扶助の土壌があり、こんな風習もある。
「もともとブータン人の男は、夜這いを重ねて、だんだん相手の娘の親にも認められ、そのうち家の仕事を手伝ったりするうちにいつの間にか婿として落ち着いているというのが普通だったという。だから当然、家事もせっせとやる(中略)。相手の親や娘が男に愛想をつかすと、ただ男の持ち物を玄関の外に置く。すると男は出て行かねばならない。次の落ち着き先を探して、とぼとぼ歩いていく。嗚呼、ブータンの男よ! と言いたくなる感じだったようだ」(114頁)
著者は、こんなコメントを記している。
「まったくブータン人からは学ぶべきところが多い。多すぎる」(133頁)
そして、人間を含め、以下のように、あらゆる生物に優しい政策も徹底されている。
「(シャブドゥン・クチェという祝日には)『土の中にいる小さな虫を殺してはいけないから』という理由で畑仕事とそれにまつわる作業は一切慎むという。/敬虔な仏教徒らしい。タイやミャンマーでも、六月から九月にかけての雨期は雨安居と呼ばれ、僧侶はなるべく外に出ないようにする。雨のために増えた小さな虫や草木の芽を踏みつぶさないためだ。この時期だけ出家するという人も多い。/やっぱり仏教は生物多様性と近い思想なんだなと思ってしまう。というのはティンプーからガサに行く途中、旧都のプナカ城の近く、モチェ川の岸辺が『保護区』になっているのを見ていたからだ。/(中略)ふつう、急に政府が『環境を大事にしろ』とか『生物多様性の時代だから』と言っても現地の人は簡単に納得しない。例えば昔私がアフリカ・コンゴの奥地に行ったとき、コンゴ人の生物学者が『ゴリラやチンパンジーは保護動物だから捕って食べてはいけない』としつこく繰り返したが、村の人たちは『わけわからん』という顔をしていた。昔から普通に食べているから急にそんなことを言われても理解できないのだ。/いや、アフリカどころか日本でも同じだ。大型のほ乳類や鳥ならともかく、道端の昆虫や水辺の草なんて全く顧みられていない。景気対策でどんどんいらない道路を造り、護岸工事で海や山の岸辺をコンクリートで固めている。/ところがブータンではなにしろこうやって『小さな虫にも命があるから大切にすべし』という教えが身にしみ込んでいる。仏教=GNHではないものの、環境問題や生物多様性は仏教の教えとひじょうにうまく重なる。だから一般の村人にもすぐ理解できてしまう。/ブータンが環境立国として世界のトップに立っているのは、仏教抜きには考えられない」(106〜108頁)
「ブータン方式とは国民の自発性を尊重しつつ明確に指導すること、もう一つは巧みな補完システム」(249頁)と著者はいう。
「ブータンを1ヵ月旅して感じたのは、この国には『どっちでもいい』とか『なんでもいい』という状況が実に少ないことだ。/何をするにも、方向性と優先順位は決められている。実は『自由』はいくらもないが、あまりに無理がないので、自由がないことに気づかないほどである。国民はそれに身を委ねていればよい。だから個人に責任がなく、葛藤もない。/アジアの他の国でも庶民は(純真な)瞳と笑顔の人が多いが、インテリになると、とたんに少なくなる。教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。/でもブータンのインテリにはそんな葛藤はない。庶民と同じようにインテリも迷いなく生きるシステムがこの国にはできあがっている。/ブータン人は上から下まで自由に悩まないようにできている。/それこそがブータンが『世界でいちばん幸せな国』である真の理由ではないだろうか」(249〜250頁)
「何が幸せなのか」は、受けとめる側の考え方に左右される要素も大きい。
「私がこれまで見たアジア・アフリカの国はすべて同じ道筋を歩んでいるように思える。/まず欧米の植民地になる。ならないまでも、経済的・文化的な植民地といえるほどの影響を受ける。独立を果たすと、政府は中央集権と富国強兵に努め、マイノリティや政府に反対する者を容赦なく弾圧する。自然の荒廃より今の景気を優先し、近代化に邁進する。たいてい独裁政治で抑圧はひどいが暮らしは便利になる。やがて、中産階級が現れ、自由、人権、民主主義などが推進される。迷信や差別とともに神仏への信仰も薄れていく。個人の自由はさらに広がり、マイノリティはよりきちんと理解されるとともに、共同体や家族は分解し、経済格差は開き、治安は悪くなる。政治が大衆化し、支配層のリーダーシップが失われる。そして、環境が大事だ、伝統文化が大切だという頃には環境も伝統文化も失われている――。/(中略)ただ一つ、ブータンだけが例外である」(258〜259頁)
要介護高齢者が「お世話になります。感謝ばかりです。・・でも、早くお迎えが来てほしい」と口にするのを耳にしたことはないだろうか。単に、「そんなことを言わないで!」などと反論するだけでなく、あらためて、確固とした幸福観に立脚する必要があると思う。
介護に役立つ共想法−認知症の予防と回復のための新しいコミュニケーション
大武美保子=著
発行:中央法規出版
ISBN:978-4-8058-3593-7
定価:2,100円
発行:中央法規出版
ISBN:978-4-8058-3593-7
定価:2,100円
「コミュニケーションはむずかしいもの」というとらえ方や見方に共感することから始まっている本書は、「コミュニケーションとは何か」ということよりも、ふれやすく、また楽しめるようなコミュニケーションの機会(チャンス)を丁寧に設定し直しているところに特徴があるといえます。コミュニケーションがむずかしくなく、ほのぼのとした交流が生まれるように、暮らしの中で体験することや、見聞きすることを写真という媒体に記憶させ、他の人との会話に生かしているのです。
「共想法」という命名の由来は、1人ひとりの体験・話が連鎖して新しい話さえも生み出していくことにあるように思われます。
共想法は話の時間を区切り、話す順番が用意されています。こうしてみると、コミュニケーションの自由度が制限され過ぎていると思われるかもしれません。しかし、時間を区切ることで、逆に会話をしている人たちが楽に、無理をせず、ひとときを豊かに過ごすことができるように構成されています。
また、集まって話したことを共想法の参加者が記録をしていくという発想自体、コミュニケーションに関して今までにほとんどなかったといえます。
個性的な著者の実践が詰め込まれている本書は、専門職をはじめ、多くの人たちに読まれることで、日常生活上のコミュニケーションの可能性を豊かに広げてくれるかもしれないおすすめの1冊です。
「共想法」という命名の由来は、1人ひとりの体験・話が連鎖して新しい話さえも生み出していくことにあるように思われます。
共想法は話の時間を区切り、話す順番が用意されています。こうしてみると、コミュニケーションの自由度が制限され過ぎていると思われるかもしれません。しかし、時間を区切ることで、逆に会話をしている人たちが楽に、無理をせず、ひとときを豊かに過ごすことができるように構成されています。
また、集まって話したことを共想法の参加者が記録をしていくという発想自体、コミュニケーションに関して今までにほとんどなかったといえます。
個性的な著者の実践が詰め込まれている本書は、専門職をはじめ、多くの人たちに読まれることで、日常生活上のコミュニケーションの可能性を豊かに広げてくれるかもしれないおすすめの1冊です。
「相談力」入門 対人援助職のためのコミュニケーションスキル36
ケアマネジャーや社会福祉士をはじめとする対人援助職は、利用者の思いを受け止め、信頼関係を築きながら、相談対応を進めることが基本となります。しかし、相談対応の具体的・実践的方法を学ぶ教材や研修会は少ないため、ともすると現場では、画一的な相談対応に陥りがちとなります。
この本は、対人援助職者に向けた、相談対応の実践的入門書です。相談対応を、「(1)信頼関係を築く」→「(2)相談者に受け取る準備をしてもらう」→「(3)相談者に変化をもたらす」という3つのステップに分け、各段階にあわせた36のスキルを、具体的に解説していきます。相談力をアップさせたい人にはおすすめの一冊です。
この本は、対人援助職者に向けた、相談対応の実践的入門書です。相談対応を、「(1)信頼関係を築く」→「(2)相談者に受け取る準備をしてもらう」→「(3)相談者に変化をもたらす」という3つのステップに分け、各段階にあわせた36のスキルを、具体的に解説していきます。相談力をアップさせたい人にはおすすめの一冊です。
●著者のおすすめスキルBest5
- 1.ニーズとウォンツで変化をもたらす
- →他人を動かすアプローチ法
- 2.相談を演出する
- →「あなたを大切にしている」ことを表現する
- 3.相談スイッチをONにする
- →「相談」と「日常会話」を区別する
- 4.相談したいと思われる
- →信頼できるか? 専門性を持っているか?
- 5.自分のストレスや感情をコントロールする
- →異なる「価値観」と対峙する