認知症の人の歴史を学びませんか
第3回 在宅以外で暮らす認知症の人の歴史
今回の特集では、より認知症に関する理解を深めていただくため、これまで認知症の人がどのような所で生活し、生きてきたのかの歴史を取り上げています。第3回目は、在宅以外で暮らす認知症の人の生活がどのように変わったのかについてお伝えします。
認知症の歴史に関する数多くの講演会をしている宮崎和加子さんの著書『認知症の人の歴史を学びませんか』(中央法規出版、1月刊行予定)の内容をもとにご紹介します。
認知症の歴史に関する数多くの講演会をしている宮崎和加子さんの著書『認知症の人の歴史を学びませんか』(中央法規出版、1月刊行予定)の内容をもとにご紹介します。
精神病院で暮らす
1980年代後半まで、認知症は精神疾患だから、精神病患者は医療の対象であって、福祉の対象ではないという認識が一般的でした。そのため、家で生活することが困難になった認知症の人は、精神病院へと入院するしかありませんでした。
そこで、認知症の人はどのような扱いをうけていたのでしょうか。
大熊一夫さんという新聞記者が、アルコール依存症を装って当時の精神病院に潜入し、そこでのむごい実態を暴いた『ルポ・精神病棟』という本を出版しました。
そこで、認知症の人はどのような扱いをうけていたのでしょうか。
大熊一夫さんという新聞記者が、アルコール依存症を装って当時の精神病院に潜入し、そこでのむごい実態を暴いた『ルポ・精神病棟』という本を出版しました。
当時の精神病院の状況がわかる記述を引用します。
そこは部屋と廊下が鉄の柵で仕切られていた。一部屋八畳間に畳が六枚。それに、例の便所。ここでは長方形でなく楕円形だった。そこに生ける屍があった。仰向けに寝て、ジッと天井の一点をみつめながら、パンをもぐもぐ食べる。不自由な手で箸をとり、みそ汁を飲むのだが、具のタマネギがうまく口にはいらず、鼻の下にひっかかった。それを、必死に口へ入れようともがく。幼児のこんなかっこうは可愛らしくもあるが、老人のそれは鬼気せまる。別の一人は、水洗便所の水をアルミのコップですくって飲んだ。便意を催したか、もう一人がその穴の上にしゃがんだ。 『ルポ・精神病棟』朝日新聞社
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特別養護老人ホーム
特別養護老人ホームは1963年の老人福祉法の制定にともなって創設されましたが、当時は認知症の人の入所は認められていませんでした。「認知症=精神疾患」ととらえられていたからです。認知症の人が正式に入所できるようになったのは、1980年代半ばからです。
老人病院登場
介護が必要な高齢者を入院させ、死ぬまで預かる病院は、俗に老人病院と呼ばれていました。登場するのは、1970年ころからです。正式に制度化されたのは、1983年に老人保健法が施行されたときです。特養ホームでは認知症の人を受け入れてくれない状況にあったり、低額の自己負担で長期入院が可能だったことから、老人病院の利用者は急増しました。
老人保健施設の誕生
老人保健施設は1986年の老人保健法の改正によってできた「医療保険」で入所できる施設です。「中間施設」と呼ばれ、「在宅」と「施設」、「福祉」と「医療」の中間という意味をもっています。
それまでの特養ホームや病院と違い、施設の建物も雰囲気も「生活」の雰囲気でした。
それまでの特養ホームや病院と違い、施設の建物も雰囲気も「生活」の雰囲気でした。
宅老所・グループホームはじまる
日本で、多く宅老所やグループホームが広まったのは1990年前後からです。「宅老所」という言葉は今ではよく耳にしますが、「老人を必要なときに預かってくれるところ」として、「託児所」にちなんで、「託老所」や「宅老所」などと言われています。
宅老所・グループホームの特徴は「小規模」という点です。それまでの高齢者施設や病院は、50人以上の規模でしたが、大規模ゆえの管理的・集団的な弊害を改善しようと、小規模での生活を目指すことになったのです。
このように、在宅以外は精神病院しか居場所がなかった時代から、様々な人の活動や制度の変遷を経て、認知症の人の居場所が増えました。
誰がどのようにこの歴史を変えてきたのかは、『認知症の人の歴史を学びませんか』に詳しく載っていますので、ご参照ください。
宅老所・グループホームの特徴は「小規模」という点です。それまでの高齢者施設や病院は、50人以上の規模でしたが、大規模ゆえの管理的・集団的な弊害を改善しようと、小規模での生活を目指すことになったのです。
このように、在宅以外は精神病院しか居場所がなかった時代から、様々な人の活動や制度の変遷を経て、認知症の人の居場所が増えました。
誰がどのようにこの歴史を変えてきたのかは、『認知症の人の歴史を学びませんか』に詳しく載っていますので、ご参照ください。