認知症の人の歴史を学びませんか
第2回 在宅で暮らす認知症の人の歴史
今回の特集では、より認知症に関する理解を深めていただくため、これまで認知症の人がどのような所で生活し、生きてきたのかの歴史を取り上げています。第2回目は、今と昔では在宅で暮らす認知症の人の生活がどのように変わったのかについてお伝えします。
認知症の歴史に関する数多くの講演会をしている宮崎和加子さんの著書『認知症の人の歴史を学びませんか』(中央法規出版、1月刊行予定)の内容をもとにご紹介します。
認知症の歴史に関する数多くの講演会をしている宮崎和加子さんの著書『認知症の人の歴史を学びませんか』(中央法規出版、1月刊行予定)の内容をもとにご紹介します。
座敷牢で暮らす認知症の人
日本では1960年代後半から、「寝たきり老人」問題が議論され始めましたが、認知症の人に関してはその実態がまったくわからないような状況でした。その後、1972年に出版された『恍惚の人』(新潮社)によって、認知症という状態が社会的な問題としてとらえられるようになりました。しかし、具体的な対策が講じられるのは、だいぶ先のことになります。
1970年代、在宅で暮らす認知症の人の多くは、いわゆる「座敷牢」という部屋に閉じ込められたり、虐待を受けて生活していました。以下に当時の様子がわかる記述を引用します。
私が出会った人に、森さん(仮名)という73歳の男性がいました。森さんは、4畳半の部屋に外から鍵をかけられ、閉じ込められていました。いわゆる「座敷牢」です。森さんは、家にいるのに「家に帰る」と言って出て行こうとしたり、夜眠らずにウロウロしたり、周りにあるものをみんなちぎって紐にしたりすることが多くありました。また、失禁があるのでおむつをつけていましたが、自分ではずしてしまい、尿や便だらけの部屋でスッポンポンになっていることもありました。 パートとして働いていた息子さんの妻の久子さんは、目が離せないからと、申し訳ないと思いながらも、部屋のドアに外から鍵をかけていました。 『認知症の人の歴史を学びませんか』より
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認知症は差別視され、家族の縁談などに対して悪影響があるとされ、「家の恥」と思われていたようです。部屋に閉じ込めるだけではなく、納屋や家畜小屋、ちょっと離れた畑の隅の作業小屋などに「隔離」されていることもあったようです。
家にいられない人は老人病院へ
1963年公布の老人福祉法で老人家庭奉仕員(現在のホームヘルパーのようなもの)が制度化されましたが、当初の対象者は生活保護世帯のみでした。1965年に低所得世帯も含むようになり、また同年に寝たきり老人家庭奉仕員が制度化され、65歳以上で常に臥床している低所得者で、家族以外のものに介護されているか、または家族が病弱などで介護できない場合に派遣されるものでした。派遣回数は、1日2時間で週2回程度。援助内容は家事援助が中心です。
つまり、在宅で暮らす認知症の人はほとんど訪問してもらえず、派遣されても週2回程度では、中度から重度の人は家にいられなかったということです。
それでは家で面倒をみることができなくなった場合、認知症の人はどうなったのでしょうか。行き先は、精神病院か老人病院(介護が必要な高齢者が入る病院)でした。当時は、認知症の人が特別養護老人ホームへ入所するのはほとんど不可能でしたし、老人保健施設もまだありませんでした。
老人病院はその名の通り病院ですので、認知症の人は治療の対象として扱われていました。
つまり、在宅で暮らす認知症の人はほとんど訪問してもらえず、派遣されても週2回程度では、中度から重度の人は家にいられなかったということです。
それでは家で面倒をみることができなくなった場合、認知症の人はどうなったのでしょうか。行き先は、精神病院か老人病院(介護が必要な高齢者が入る病院)でした。当時は、認知症の人が特別養護老人ホームへ入所するのはほとんど不可能でしたし、老人保健施設もまだありませんでした。
老人病院はその名の通り病院ですので、認知症の人は治療の対象として扱われていました。
現在、在宅で暮らす認知症の人は…
現在は、訪問介護、訪問看護、訪問診療、訪問入浴など在宅にいながら利用できるもの、またデイサービスといった通いで利用できるものなど、認知症になってもさまざまな選択肢があります。また、小規模多機能型居宅介護という同じ場所で「泊り」「通い」「訪問」の利用ができるサービスもあります。
現在は、認知症だからといって家に閉じ込められることはなく、自分にあったサービスを選んで(または家族が選んで)、生き生きと生活している人が増えています。
現在は、認知症だからといって家に閉じ込められることはなく、自分にあったサービスを選んで(または家族が選んで)、生き生きと生活している人が増えています。