介護をもうやめたいと思うあなたへ。
第1回 介護に正解はない
今回のけあサポ’s EYEでは、家庭介護がいきづまったときに思い出してほしい「考え方のヒント」を4回にわたって特集します。介護をもうやめたいと思っているあなた、またそう話す介護者のそばにいるあなたに読んでいただきたい特集です。
お話をうかがった須田木綿子(すだ・ゆうこ)さんは、日本とアメリカの合同研究チーム「日米介護保険研究会」のメンバーとともに、秋田県大館市と東京都葛飾区で、家族介護者と要介護高齢者に聴き取り調査を行ってきました。
須田さんたちのインタビューはあしかけ6年にわたり、のべ1,400人の方に介護の実体験についてお話を聴いてきました。
お話をうかがった須田木綿子(すだ・ゆうこ)さんは、日本とアメリカの合同研究チーム「日米介護保険研究会」のメンバーとともに、秋田県大館市と東京都葛飾区で、家族介護者と要介護高齢者に聴き取り調査を行ってきました。
須田さんたちのインタビューはあしかけ6年にわたり、のべ1,400人の方に介護の実体験についてお話を聴いてきました。
介護ができてよかったと思っているお嫁さん
須田さんとともに調査研究をした、児玉寛子さん(東京都老人総合研究所)。
看取りを終えた秋田のお嫁さんを中心に聴き取りをしてきました。
長い介護生活の末に看取りを終え、「介護ができてよかった」と語ってくれたお嫁さんも多くいたそうです。
しかし、そうした人たちでも、「介護する・しない」というのは必ずしも自分で選べることではありませんでした。
長男の嫁になった段階で、その先にある舅・姑の介護は目に見えていました。
介護は結婚当初から折り込み済みの話だったわけで、状況としては「あなたがやらなきゃ誰がやる」という義務的なものでした。
とあるお嫁さんの場合、「義両親に介護が必要になったとき、どうしよう」と何度も何度も考えたそうです。
言わば、心の中でシミュレーションを繰り返し、心の準備をしてきました。
そして、実際、いざ始まるときにもう一回、「よし、やろう」と自分で確認し、本当の引き受けをしたと言います。
児玉さんは、状況としては選びようもない義務的なものだったとしても、「自分で選び直す心の作業」が大切だと感じたそうです。
看取りを終えた秋田のお嫁さんを中心に聴き取りをしてきました。
長い介護生活の末に看取りを終え、「介護ができてよかった」と語ってくれたお嫁さんも多くいたそうです。
しかし、そうした人たちでも、「介護する・しない」というのは必ずしも自分で選べることではありませんでした。
長男の嫁になった段階で、その先にある舅・姑の介護は目に見えていました。
介護は結婚当初から折り込み済みの話だったわけで、状況としては「あなたがやらなきゃ誰がやる」という義務的なものでした。
とあるお嫁さんの場合、「義両親に介護が必要になったとき、どうしよう」と何度も何度も考えたそうです。
言わば、心の中でシミュレーションを繰り返し、心の準備をしてきました。
そして、実際、いざ始まるときにもう一回、「よし、やろう」と自分で確認し、本当の引き受けをしたと言います。
児玉さんは、状況としては選びようもない義務的なものだったとしても、「自分で選び直す心の作業」が大切だと感じたそうです。
シミュレーションを繰り返すことが大切
一方で、介護がずっと負担で、とても嫌なつらい思いをしてきたお嫁さんも少なからずいました。
本当は介護したくなかったけれど、状況に翻弄され、なしくずし的に始めざるをえなかった人に多いといいます。
前述の、介護を前向きのとらえたお嫁さんも、最後まで否定的な感情がぬぐえなかったお嫁さんも、長男の嫁、将来の介護、イヤだなぁという本音など、双方のスタート地点ではそれほど違いはありませんでした。
違いがあるとすれば、本当に介護が始まる前に「自分で選び直す心の作業」ができたかどうかでした。
本当は介護したくなかったけれど、状況に翻弄され、なしくずし的に始めざるをえなかった人に多いといいます。
前述の、介護を前向きのとらえたお嫁さんも、最後まで否定的な感情がぬぐえなかったお嫁さんも、長男の嫁、将来の介護、イヤだなぁという本音など、双方のスタート地点ではそれほど違いはありませんでした。
違いがあるとすれば、本当に介護が始まる前に「自分で選び直す心の作業」ができたかどうかでした。
前向きにとらえることだけが、正解じゃない
そうした調査結果を前に、須田さんはこう言います。
成長しなければならない・学習しなければならない・前向きにならなければならない、ということは本質ではありません。
これらはあくまで結果です。
目の前のことに一生懸命生きてきた結果、ふとしたきっかけで、狙ったわけではないけれど、たまたま学習し・成長し・前向きになったということなのです。
自分の力が及ばないときには、逃げたり、負けたりがある。
そういうものが人生。
介護も、前向きに乗り切る人は乗り切る、そうじゃない人はそう。
それでいいじゃないかと思います。介護の出口はどこでもいいのです。
本来は、それを選べることが大切なのです。
本当は別の人生設計や夢があったのに、と悔しい思いをしたり、後悔したり。
毎日、介護をして、肉体的にも精神的にもヘトヘト。
道徳的に「正しいか正しくないか」を判断すること以前に、「もう無理」という状況で、周囲から「介護して偉いわね」と言われる。
このひとことは、批判されることと同じくらい傷つきます。
大切なのは、介護者本人が出した答えが、いちばん尊重されることです。
成長しなければならない・学習しなければならない・前向きにならなければならない、ということは本質ではありません。
これらはあくまで結果です。
目の前のことに一生懸命生きてきた結果、ふとしたきっかけで、狙ったわけではないけれど、たまたま学習し・成長し・前向きになったということなのです。
自分の力が及ばないときには、逃げたり、負けたりがある。
そういうものが人生。
介護も、前向きに乗り切る人は乗り切る、そうじゃない人はそう。
それでいいじゃないかと思います。介護の出口はどこでもいいのです。
本来は、それを選べることが大切なのです。
本当は別の人生設計や夢があったのに、と悔しい思いをしたり、後悔したり。
毎日、介護をして、肉体的にも精神的にもヘトヘト。
道徳的に「正しいか正しくないか」を判断すること以前に、「もう無理」という状況で、周囲から「介護して偉いわね」と言われる。
このひとことは、批判されることと同じくらい傷つきます。
大切なのは、介護者本人が出した答えが、いちばん尊重されることです。
取材にご協力いただいた方
須田 木綿子(すだ・ゆうこ)さん
1960年、東京生まれ。明治学院大学社会福祉学科卒業。東京大学医学系研究科保健学専攻。保健学博士。現在、東洋大学社会学部社会福祉学科教授。
日米介護保険研究会のメンバー(写真)とともに、東京都葛飾区と秋田県大館市における家庭介護者と要介護高齢者へのパネル調査研究を行い、研究結果を近く上梓予定。
1960年、東京生まれ。明治学院大学社会福祉学科卒業。東京大学医学系研究科保健学専攻。保健学博士。現在、東洋大学社会学部社会福祉学科教授。
日米介護保険研究会のメンバー(写真)とともに、東京都葛飾区と秋田県大館市における家庭介護者と要介護高齢者へのパネル調査研究を行い、研究結果を近く上梓予定。
須田先生のお話をもっとくわしく知りたい人のために
<新・MINERVA福祉ライブラリー5>
●日米LTCI研究会=編
●高橋龍太郎・須田木綿子=編集代表
●A5判、約292頁、2010年2月刊行予定
●定価 3,500円(税別)