年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第38回 万感の想いでメールを発信
5か月過ぎたゴールデンウイークに、訪ねて来た二女の感想です。
「2か月目のとき以来だったけど、左手でご飯を食べたり、車いすを操作しているところを見るのは初めてだったので、とっても感動しました。自由にものを食べたり、行きたい場所に行けるようになって、だいぶ生活のレベルが変わってきたね。左手だけでも動くことができて本当によかったね。こんなに違うんだもの」
「2か月目のとき以来だったけど、左手でご飯を食べたり、車いすを操作しているところを見るのは初めてだったので、とっても感動しました。自由にものを食べたり、行きたい場所に行けるようになって、だいぶ生活のレベルが変わってきたね。左手だけでも動くことができて本当によかったね。こんなに違うんだもの」
実際、左手首までの動きが残されたことが大きかったと思います。まず始まったのは食事の訓練でした。
訓練は、受傷後2か月目から始まりました。左掌と手首を固定する自助具を装着し、それに改造したフォークを指し込んで刺して食べる訓練でした。
サイコロに切ったカステラから始まりました。肩を上げるとフォークが下を向く、刺す、肘を曲げると腕が反ってフォークが上を向く、その要領で覚えるように、OTの先生から指導されました。「肩の力はあるのだから補助具はなくてもいいでしょう」とのことでしたが、道理はわかっていてもほかのところに力が入ってしまい、なかなかうまくできませんでした。「何気なくすっとできるのは、確率として10分の1かな?」と、もどかしそうでした。辛抱強く、毎食後に試みました。カステラがバナナになり、キュウリになっていきましたが、夫は、
「フォーク、スプーンの食事訓練はかなり重労働だった。『楽しくてこそ身に付く栄養』と何度考えたことか」
と書き残していました。けれど、投げ出したことは、一度もありませんでした(このころのOTの先生には、食事訓練の評価は朝夕ともに60点と言われました)。精神的にも落ち込んでいた頃のことです。
もう一つ、左手首を使った大切な動きがありました。それは、パソコンの操作でした。文字が書けなくなってしまったので、仕事に復帰するには欠かせないことでした(実は、文字を書く練習も試みたのですが、これだけは続けようとしませんでした。その訳は言わずじまいでしたし、私も無理強いはしませんでした)。文章を書く、調べ物をする、通信ができる等、パソコンのある時代でよかったと心底思いました。元々仕事で使っていたので、違和感はありませんでしたが、操作方法をどうするかが問題でした。
最初、主治医は音声入力も考えられたようですが、左腕に残された動きがものを言いました。医用工学のK先生が力になってくれました。彼は夫の食事の様子を見に来て、その左手の動きに合わせて方法を考えてくれました。キーボードを打つには最初マウススティックも試みましたが、くわえたままでは疲れるし、不潔になりやすい上に、くわえたり放したりするのに、人の手が要ります。そこで、ヘッドスティックを試したところ、大変使いやすいので、それに決めました。身体に負担がかからず、人手も頼らずにできて、人と会話しながら仕事ができる点が一番いいのだと、気に入ったようでした。
マウスは、装具で固定した左手を遣ってトラックボール(マウスなどと同様に、コンピュータの操作に用いるポインティングデバイスの一種)で操作しました。やり方が見つかってからは、いつでも使って操作に慣れるように、モデルを病室に設置してもらえたので、充分練習ができました。「お母さんもマックを覚えなさい」と、子どもたちにも言われて私も学習することができました。夫にパソコンが不可欠だったということは、私にもそれは必要だということでした。
病院には併設の職業訓練施設があって、そこのパソコンでインターネット通信ができました。9月に入って初めてのメールを大学の学長あてに送りました。
「いま、私はパソコンに向かい、万感の想いでメールを発信しようとしています。ご無沙汰いたしております。これまでの数々のご厚意、ご支援に感謝いたします。頭部に装着したスティックでキーボードを、わずかに動く左腕に付けた補助器具でトラックボールを操作しています。リハビリの一環として、病院内の職業センターからこの記念すべきメールの第一報を学長宛に発信できるようになったことを喜んでいます。私の復帰にあたってのご尽力のほどを伝え聞いて感動いたしております。同時に、日々の療養生活に具体的な目標を得て勇気づけられました。今後の予定は自宅の改造計画の進捗状況によりますが、10月末もしくは11月中の退院になると思います。学長におかれましては、改革期の激務の中にあってご自愛専一になさってください。適度な運動でストレス解消を図ってください。教職員の皆様によろしくお伝えください。丸山 芳郎」
という内容でした。万感の想いでメールを打っている夫の姿を見て私も万感の思いがしました。
夫が送ったメールに感動した学長は全学のアドレスにそれを転送されたそうで、たくさんの方から返事が来て、私たちは大喜びしました。子どもたちや、友人ともつながって、以降はその時間が大変楽しいものになりました。