年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第25回 「第23回 何とか、もう一度学生の前に立たせたい」「第24回 この姿で学生の前に立とうと決意しました――ターニングポイント」の解説
受傷後に告知を受けてから間もなく、私が所属する医用工学研究室へ、丸山さんは主治医の紹介で来られました。主治医から大まかな状況を聞いていましたし、近日中に来られることも聞いていました。“あと2年の在職期間の最後の1年はぜひとも復職したい“という奥様の相談に、私が見せたのは研究室の展示室にあるたくさんの機器や入浴、食事、排泄などの写真です。また、私が言ったことは、「要はどんな生活がしたいですか。どんな仕事、どんな暮らしがしたいか、それがはっきりすれば道具はそれについていきます」ということでした。そのことで、奥様はあらためて「大変なことだ」と思い、丸山さんも「こんなになるんか……」と重く受け止めていたと記述されています。ほかの脊髄損傷者が介助を受けている機器や写真を見ても、退院後の自分たちの生活を具体的に思い描くまでに至らなかったころで、そんな姿を否定したい気持ちもあり、複雑な気持ちで聞いていたのでしょう。
お会いして2日目の奥様の日記にある「近ごろ、自分の将来の姿が段々見えてきて、ちょっと憂鬱だ」という記述がそのときの状況を表しています。脊髄損傷後の回復期に入ってからの障害の受容過程で、障害を持った自分の生活が見え始めると、健常であったときと比べ、惨めになったり憂鬱になったりするのです。しかし、排泄とか入浴行為の方法など生活全般が見え始めると、気持ちが吹っ切れて自分の行いたいことがクローズアップされてくることが多いのです。“生命あるところ希望あり”という言葉は、全く同感です。
数日後、丸山さんご夫婦のやりたいことがはっきりしてきたようです。「家に帰って、家から学校に行ったり、リハビリに通ったりできるといいな」と思っていることを主治医に伝達したところ、主治医は「それは絶対できます。是非そうしてほしいです。車いすがあるし、左手で食べられるし、頭がしっかりしているんですから。パソコンについての相談も、是非松尾さんにしてみてください」と伝達しています。重度の障害を持って生活せざるを得ない人にとって、障害受容ができると、自分ではできないと思っている動作や行為でも適切な福祉用具を正しく使えば、安全にかつできることが増えていくことを知っている主治医だったのです。また、自分でできることが少しずつ増えていくと、本人も家族も生活への自信を獲得していくのです。これから先は、リハビリテーションセラピストとリハビリテーションエンジニアの活躍が求められる時期であり、本人にとってはしたいことと出来ることを増やしていく時期に入っていくのです。
「車いすはどんなものがよいのか。シートはどうか。どんな生活をするか。眠るとき、排泄は、車いすのときはどこで何をしているか、日常生活は、入浴は……。家の改造もそれに合わせて相談するので、写真と図面を用意するように。大学の改造も具体的に注文するように。5年後くらいには落ち着くから前向きに落ち着いた生活をしてほしい‥‥」と私がお話ししたところ、居合わせた看護師長も「ご専門に合わせて、ご自身の経験をぜひ学生さんに話してください。これからもっといろんな人に会いますし、忙しくなりますよ」と言い添えてくれたことは、まさにプロの仕事だと思います。そして、本人は、見舞いに来た出張先の所長と弁護士に「この姿で学生の前に立とうと決意しました」と宣言し、それを頼もしく嬉しく感じている奥様の様子がよくわかります。運転免許を取得する必要性や勇気もこうして生まれたと考えています。また、「俺にとっては記念すべき日だった」という丸山さんの言葉から、脊髄損傷を受け入れて生活をしていくという覚悟を決めたターニングポイントであったことがわかります。
お会いして2日目の奥様の日記にある「近ごろ、自分の将来の姿が段々見えてきて、ちょっと憂鬱だ」という記述がそのときの状況を表しています。脊髄損傷後の回復期に入ってからの障害の受容過程で、障害を持った自分の生活が見え始めると、健常であったときと比べ、惨めになったり憂鬱になったりするのです。しかし、排泄とか入浴行為の方法など生活全般が見え始めると、気持ちが吹っ切れて自分の行いたいことがクローズアップされてくることが多いのです。“生命あるところ希望あり”という言葉は、全く同感です。
数日後、丸山さんご夫婦のやりたいことがはっきりしてきたようです。「家に帰って、家から学校に行ったり、リハビリに通ったりできるといいな」と思っていることを主治医に伝達したところ、主治医は「それは絶対できます。是非そうしてほしいです。車いすがあるし、左手で食べられるし、頭がしっかりしているんですから。パソコンについての相談も、是非松尾さんにしてみてください」と伝達しています。重度の障害を持って生活せざるを得ない人にとって、障害受容ができると、自分ではできないと思っている動作や行為でも適切な福祉用具を正しく使えば、安全にかつできることが増えていくことを知っている主治医だったのです。また、自分でできることが少しずつ増えていくと、本人も家族も生活への自信を獲得していくのです。これから先は、リハビリテーションセラピストとリハビリテーションエンジニアの活躍が求められる時期であり、本人にとってはしたいことと出来ることを増やしていく時期に入っていくのです。
「車いすはどんなものがよいのか。シートはどうか。どんな生活をするか。眠るとき、排泄は、車いすのときはどこで何をしているか、日常生活は、入浴は……。家の改造もそれに合わせて相談するので、写真と図面を用意するように。大学の改造も具体的に注文するように。5年後くらいには落ち着くから前向きに落ち着いた生活をしてほしい‥‥」と私がお話ししたところ、居合わせた看護師長も「ご専門に合わせて、ご自身の経験をぜひ学生さんに話してください。これからもっといろんな人に会いますし、忙しくなりますよ」と言い添えてくれたことは、まさにプロの仕事だと思います。そして、本人は、見舞いに来た出張先の所長と弁護士に「この姿で学生の前に立とうと決意しました」と宣言し、それを頼もしく嬉しく感じている奥様の様子がよくわかります。運転免許を取得する必要性や勇気もこうして生まれたと考えています。また、「俺にとっては記念すべき日だった」という丸山さんの言葉から、脊髄損傷を受け入れて生活をしていくという覚悟を決めたターニングポイントであったことがわかります。