年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第32回 地獄のような生活なんて送らない
退院後、どこでどうやって暮らすかが、私たち夫婦の第一の課題でした。
5年前に、退官後の生活を見据えて、家を新築したばかりでした。自然をいっぱい取り入れた、質素ながらお気に入りの家でした。怪我の後、いままでのような生活はできなくなったと思い込んでいた私たちにとって、「またそこで、気持ちよく暮らせばいいじゃないですか」などという松尾先生のアドバイスは、どれほど明るく聞こえたかわかりませんでした。ですから、「いままでの生活スタイルをできるだけ変えずに、自然豊かな自宅で暮らしを楽しみながら、大学やリハビリに通って暮らす」ことを大目的にしました。元気だった頃、家から研究室まで車で7分という条件が好都合でした。
そして、私もまた介護で汲々とするのでなく、さりげなく介護をしながら、夫との生活を大切にしたいと願っていました。言い換えれば、「障害はあるけれど、いままでのような、私たちらしい普通の暮らしを取り戻したい」という希望でした。
入院中のある日、PT室で夫に付き添っていた私に、一人の婦人がいかにも物言いたげに近寄って来ました。その人は、既に退院された後、リハビリを受けに通う脊髄損傷患者の奥さんで、ご主人に付き添って来ていたようです。私も脊髄損傷患者の妻だと察したらしく、「奥さん、この怪我は本人ばかりでなく、妻にとっても地獄ですよ。ちょっとでも傍を離れることができないし、これから世話が大変ですよ」と、その大変さをいろいろと話してくれました。そのときの言葉が長い間耳を離れませんでした。「地獄のような生活なんて送らない」と、私はひそかに決意していたからです。
自宅を建ててくれた設計士に飯塚の入院先まで来てもらい、夫の身体の変化を見た上で、医用工学研究部と改造の基本計画の話し合いに加わってもらいました。もちろん、私たちも参加しました。「雪国仕様の高床式住宅のため、駐車場は半地下にあり、車いすでの出入りには、半地下で自動車を降りてから1階や2階に上がるには、エレベーターの設置が不可欠であること。夫の居室は1階の和室を改造して充てること。また、既存の浴室は構造上、改造が不可能なので、居室の側に新たに設置すること」という改造の基本的な考えがまとまりました。先が少し見えてきて、二人とも嬉しかったものです。
エレベーターに関しては、環境制御装置という装置を使って、指だけでなくいろいろな身体部位で操作できるようにする共同研究が、医用工学研究部とフジテック社の間で進んでいたのです。それを使うと、電動車いすを使って移動する夫も一人でエレベーターを操作できるので、これを採用することにしました。環境制御装置の操作で、夫が一人で自由に出入りできるエレベーターになったわけです。
しかも、家の構造との関係から2方向出入口タイプになったので、夫にとっては大変使いやすいものとなりました(退官後のことですが、頑張った夫へのプレゼントとして、車いすでの移動がしやすいように、庭に回遊式の小道を造ったので、天気のよい日などは一人で庭へ散歩に出かけ、一人で帰って来るという楽しみも見つけていました)。
居間に続いていた和室8畳間の押し入れを取り払ってフローリングにし、10畳の夫の居室にしました。ベッドや机代わりになるパソコンの位置、車いすへの乗り降りなどを考えて、居室のレイアウトも同時に考えました。寝るとき以外はふすまを開けておくと、居間と一体になるので、いつも家の中心に夫がいることになり、夫に疎外感を感じさせずにすみました。建築当時に家の間取りをオープンにして仕切りを少なくしたことが、思いがけずバリアフリーに功を奏しました。1階部分はワンルームとなるので、台所以外は全て車いすで移動が可能だったからです。
5年前に、退官後の生活を見据えて、家を新築したばかりでした。自然をいっぱい取り入れた、質素ながらお気に入りの家でした。怪我の後、いままでのような生活はできなくなったと思い込んでいた私たちにとって、「またそこで、気持ちよく暮らせばいいじゃないですか」などという松尾先生のアドバイスは、どれほど明るく聞こえたかわかりませんでした。ですから、「いままでの生活スタイルをできるだけ変えずに、自然豊かな自宅で暮らしを楽しみながら、大学やリハビリに通って暮らす」ことを大目的にしました。元気だった頃、家から研究室まで車で7分という条件が好都合でした。
そして、私もまた介護で汲々とするのでなく、さりげなく介護をしながら、夫との生活を大切にしたいと願っていました。言い換えれば、「障害はあるけれど、いままでのような、私たちらしい普通の暮らしを取り戻したい」という希望でした。
入院中のある日、PT室で夫に付き添っていた私に、一人の婦人がいかにも物言いたげに近寄って来ました。その人は、既に退院された後、リハビリを受けに通う脊髄損傷患者の奥さんで、ご主人に付き添って来ていたようです。私も脊髄損傷患者の妻だと察したらしく、「奥さん、この怪我は本人ばかりでなく、妻にとっても地獄ですよ。ちょっとでも傍を離れることができないし、これから世話が大変ですよ」と、その大変さをいろいろと話してくれました。そのときの言葉が長い間耳を離れませんでした。「地獄のような生活なんて送らない」と、私はひそかに決意していたからです。
自宅を建ててくれた設計士に飯塚の入院先まで来てもらい、夫の身体の変化を見た上で、医用工学研究部と改造の基本計画の話し合いに加わってもらいました。もちろん、私たちも参加しました。「雪国仕様の高床式住宅のため、駐車場は半地下にあり、車いすでの出入りには、半地下で自動車を降りてから1階や2階に上がるには、エレベーターの設置が不可欠であること。夫の居室は1階の和室を改造して充てること。また、既存の浴室は構造上、改造が不可能なので、居室の側に新たに設置すること」という改造の基本的な考えがまとまりました。先が少し見えてきて、二人とも嬉しかったものです。
エレベーターに関しては、環境制御装置という装置を使って、指だけでなくいろいろな身体部位で操作できるようにする共同研究が、医用工学研究部とフジテック社の間で進んでいたのです。それを使うと、電動車いすを使って移動する夫も一人でエレベーターを操作できるので、これを採用することにしました。環境制御装置の操作で、夫が一人で自由に出入りできるエレベーターになったわけです。
しかも、家の構造との関係から2方向出入口タイプになったので、夫にとっては大変使いやすいものとなりました(退官後のことですが、頑張った夫へのプレゼントとして、車いすでの移動がしやすいように、庭に回遊式の小道を造ったので、天気のよい日などは一人で庭へ散歩に出かけ、一人で帰って来るという楽しみも見つけていました)。
居間に続いていた和室8畳間の押し入れを取り払ってフローリングにし、10畳の夫の居室にしました。ベッドや机代わりになるパソコンの位置、車いすへの乗り降りなどを考えて、居室のレイアウトも同時に考えました。寝るとき以外はふすまを開けておくと、居間と一体になるので、いつも家の中心に夫がいることになり、夫に疎外感を感じさせずにすみました。建築当時に家の間取りをオープンにして仕切りを少なくしたことが、思いがけずバリアフリーに功を奏しました。1階部分はワンルームとなるので、台所以外は全て車いすで移動が可能だったからです。
一方で、「浴室をどのようにするか」という問題に、考え方の違いが大きく現れました。
私たちは医用工学研究部の指導もあって、夫が毎日でも入浴できるように、しかも大きな身体の夫を私の力だけでも楽に入浴させられるように、ボタン一つで稼働可能なリフトを使っての入浴方法を考えました。元気だったときのように、座位で浴槽に浸かることができるので、夫だけでなく、家族も利用できるような普通の浴槽と、介助のために少し広めの洗い場がある一般的な浴室を考えました。
しかし、新潟の設計士からは「こちらのヘルパーや経験者の話によると、これからのこと、あるいは奥さんの労力のこと、また先生が吊り下げられる苦労などを考えると、ベッドサイドでの入浴、キャスター付きのバスタブをベッドサイドに持って行って、そこで済ますほうがいいのではないかという意見が圧倒的なんですが・・」と言って来ました。彼なりに情報を集めて考えてくれていたようでしたが、「そんなのは嫌だ」と、夫はきっぱり言いますし、OTの先生は「それじゃ、風呂場で寝るようなもんじゃないですか」と言われました。わざわざ来てもらって基本的な考えをわかってもらったと思っていましたが、少しがっかりしました。
この考え方の違いが、その後も尾を引く問題になりました。
「頸髄損傷で四肢麻痺では余程大変・・」という観念が先行していたのではないかと想像できました。“障害者ならば福祉用具”という考えがまずあったのではないかと思われました。廊下に洗濯槽とシャンプー台の設置も依頼していたのですが、帰ってみたら、上下に高さが変えられるような、いわゆる福祉用具が設置されていたことで、私にはそう感じられました。市販品で充分だったので、その型番まで指定していたにもかかわらずです。
私たちは医用工学研究部の指導もあって、夫が毎日でも入浴できるように、しかも大きな身体の夫を私の力だけでも楽に入浴させられるように、ボタン一つで稼働可能なリフトを使っての入浴方法を考えました。元気だったときのように、座位で浴槽に浸かることができるので、夫だけでなく、家族も利用できるような普通の浴槽と、介助のために少し広めの洗い場がある一般的な浴室を考えました。
しかし、新潟の設計士からは「こちらのヘルパーや経験者の話によると、これからのこと、あるいは奥さんの労力のこと、また先生が吊り下げられる苦労などを考えると、ベッドサイドでの入浴、キャスター付きのバスタブをベッドサイドに持って行って、そこで済ますほうがいいのではないかという意見が圧倒的なんですが・・」と言って来ました。彼なりに情報を集めて考えてくれていたようでしたが、「そんなのは嫌だ」と、夫はきっぱり言いますし、OTの先生は「それじゃ、風呂場で寝るようなもんじゃないですか」と言われました。わざわざ来てもらって基本的な考えをわかってもらったと思っていましたが、少しがっかりしました。
この考え方の違いが、その後も尾を引く問題になりました。
「頸髄損傷で四肢麻痺では余程大変・・」という観念が先行していたのではないかと想像できました。“障害者ならば福祉用具”という考えがまずあったのではないかと思われました。廊下に洗濯槽とシャンプー台の設置も依頼していたのですが、帰ってみたら、上下に高さが変えられるような、いわゆる福祉用具が設置されていたことで、私にはそう感じられました。市販品で充分だったので、その型番まで指定していたにもかかわらずです。