年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第24回 この姿で学生の前に立とうと決意しました――ターニングポイント
その2〜3日後、廊下で私は主治医のM先生と会って立ち話になりました。
「こんなこと言うのもなんですが、住宅の改造について、丸山さんのところは遠いし、時間もかかるから、いまからそろそろ相談に入ったほうがいいと思います。松尾さんがきめ細かく相談にのってくれます。是非家に連れて帰ってください。施設に入れるなんて考えないでください。職場復帰のことも是非やってほしいと思います」
「家に帰って、家から学校に行ったり、リハビリに通ったりできるといいなと思っているのですが……」
「それは絶対できます。是非そうしてほしいです。車いすがあるし、左手で食べられるし、頭がしっかりしているんですから。パソコンについての相談も、是非松尾さんにしてみてください」
「実はこのところ、医用工学研究所で大がかりな機器を見たり摘便に時間がかかったりして(このころはなるべく私が摘便をするようにしていましたが、時間がかかったり散らかし過ぎたりしてうまくいかないことが多かったのです)、将来が見えて来たものですから、少し落ち込んでいるところだったんです」と言いながら、涙が出そうでした。これは大きな励みになりました。大きな力が湧いてくるようでした。そのままリハ室へ飛んで行って、今度はM先生の言葉を全部夫に伝えました。しっかりと全部伝えました。術後3か月目が近い日のことでした。それは、告知から1か月目のM先生のフォローだったのです。
「3か月経ったなあ。人を見ていると変わってきている。皆頑張っているんだなあ」
夫は、しみじみと言いました。
3か月目のMRIの検査があって、その結果についてM先生から説明を受けました。画像を見ながらの説明でした。骨については大丈夫なこと、脊髄損傷の様子、それによって引き起こされたダメージと回復の可能性、中枢神経と末梢神経の話と痙性や痺れの関係などについて、受傷後初めて二人で詳しい説明を受けました。充分納得のいく説明でした。
同じ日に医用工学研究所を訪ねました。2回目の訪問でした。松尾先生がご自身の体験も合わせて具体的な話をしてくれました。「車いすはどんなものがよいのか。シートはどうか。どんな生活をするか。眠るとき、排泄は、車いすのときはどこで何をしているか、日常生活は、入浴は……。家の改造もそれに合わせて相談するので、写真と図面を用意するように。大学の改造も具体的に注文するように。5年後くらいには落ち着くから前向きに落ち着いた生活をしてほしい‥‥」と。居合わせた看護師長も「ご専門に合わせて、ご自身の経験をぜひ学生さんに話してください。これからもっといろんな人に会いますし、忙しくなりますよ」と言い添えてくれました。
「今日は将来について考えることの多い日だったね」
「うん、俺にとっては記念すべき日になったなあ」
と話しながら病室へ戻りました。
2日後のことでした。見舞ってくださった出張先の所長と弁護士に、「この姿で学生の前に立とうと決意しました」と夫が宣言してくれたのです。彼の気持ちが前向きになってくれたことと、そのことを他人に向かって公表してくれたことが嬉しくてなりませんでした。
数えてみたらちょうど受傷後100日目になっていました。ここまで100日かかったと思うと、感無量でした。お見舞いの方が、久しぶりに、しかも車いすでお会いする夫の姿を見ると、「生気があります」などと元気になったことに一様に驚かれました。3か月を経て、夫も頑張ってきたので、変わってきていたのでした。
回診時には、先生を待たずにさっさとリハビリに行ってしまうほど元気になっていました。M先生の回診は私が受けました。
「松尾さんのところはどうでしたか? 電動車いすで是非職場復帰してくださいね」
「MRIの結果の話にショックを受けながらも受け止められたようです。その後、松尾先生にいろいろ話を伺い、その中には体験談もあったので、俺にとっては記念すべき日だったと自身で言っていました。前向きになって来ました」
「誰でも後ろを向くと思います。僕らも自身のことだったらそうだと思いますが、丸山さんの場合、ご自身も、家族もそして周りの人にもその状態を支えていかれると思うから言うんです」
そして、私に運転免許を取るように勧められました。ドクターの温かいフォローが身にしみて、すぐにリハ室の夫に報告に行きました。もちろん、全部伝えました。夫が嬉しそうにうなずいていました。
「こんなこと言うのもなんですが、住宅の改造について、丸山さんのところは遠いし、時間もかかるから、いまからそろそろ相談に入ったほうがいいと思います。松尾さんがきめ細かく相談にのってくれます。是非家に連れて帰ってください。施設に入れるなんて考えないでください。職場復帰のことも是非やってほしいと思います」
「家に帰って、家から学校に行ったり、リハビリに通ったりできるといいなと思っているのですが……」
「それは絶対できます。是非そうしてほしいです。車いすがあるし、左手で食べられるし、頭がしっかりしているんですから。パソコンについての相談も、是非松尾さんにしてみてください」
「実はこのところ、医用工学研究所で大がかりな機器を見たり摘便に時間がかかったりして(このころはなるべく私が摘便をするようにしていましたが、時間がかかったり散らかし過ぎたりしてうまくいかないことが多かったのです)、将来が見えて来たものですから、少し落ち込んでいるところだったんです」と言いながら、涙が出そうでした。これは大きな励みになりました。大きな力が湧いてくるようでした。そのままリハ室へ飛んで行って、今度はM先生の言葉を全部夫に伝えました。しっかりと全部伝えました。術後3か月目が近い日のことでした。それは、告知から1か月目のM先生のフォローだったのです。
「3か月経ったなあ。人を見ていると変わってきている。皆頑張っているんだなあ」
夫は、しみじみと言いました。
3か月目のMRIの検査があって、その結果についてM先生から説明を受けました。画像を見ながらの説明でした。骨については大丈夫なこと、脊髄損傷の様子、それによって引き起こされたダメージと回復の可能性、中枢神経と末梢神経の話と痙性や痺れの関係などについて、受傷後初めて二人で詳しい説明を受けました。充分納得のいく説明でした。
同じ日に医用工学研究所を訪ねました。2回目の訪問でした。松尾先生がご自身の体験も合わせて具体的な話をしてくれました。「車いすはどんなものがよいのか。シートはどうか。どんな生活をするか。眠るとき、排泄は、車いすのときはどこで何をしているか、日常生活は、入浴は……。家の改造もそれに合わせて相談するので、写真と図面を用意するように。大学の改造も具体的に注文するように。5年後くらいには落ち着くから前向きに落ち着いた生活をしてほしい‥‥」と。居合わせた看護師長も「ご専門に合わせて、ご自身の経験をぜひ学生さんに話してください。これからもっといろんな人に会いますし、忙しくなりますよ」と言い添えてくれました。
「今日は将来について考えることの多い日だったね」
「うん、俺にとっては記念すべき日になったなあ」
と話しながら病室へ戻りました。
2日後のことでした。見舞ってくださった出張先の所長と弁護士に、「この姿で学生の前に立とうと決意しました」と夫が宣言してくれたのです。彼の気持ちが前向きになってくれたことと、そのことを他人に向かって公表してくれたことが嬉しくてなりませんでした。
数えてみたらちょうど受傷後100日目になっていました。ここまで100日かかったと思うと、感無量でした。お見舞いの方が、久しぶりに、しかも車いすでお会いする夫の姿を見ると、「生気があります」などと元気になったことに一様に驚かれました。3か月を経て、夫も頑張ってきたので、変わってきていたのでした。
回診時には、先生を待たずにさっさとリハビリに行ってしまうほど元気になっていました。M先生の回診は私が受けました。
「松尾さんのところはどうでしたか? 電動車いすで是非職場復帰してくださいね」
「MRIの結果の話にショックを受けながらも受け止められたようです。その後、松尾先生にいろいろ話を伺い、その中には体験談もあったので、俺にとっては記念すべき日だったと自身で言っていました。前向きになって来ました」
「誰でも後ろを向くと思います。僕らも自身のことだったらそうだと思いますが、丸山さんの場合、ご自身も、家族もそして周りの人にもその状態を支えていかれると思うから言うんです」
そして、私に運転免許を取るように勧められました。ドクターの温かいフォローが身にしみて、すぐにリハ室の夫に報告に行きました。もちろん、全部伝えました。夫が嬉しそうにうなずいていました。