年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第7回 これからがスタート
救急車で総合せき損センターに着いてすぐの検査の合間に、最初から付き添ってくれていたナースに、
「大丈夫ですか?」
と尋ねられた夫は、
「もう、僕の人生、これでダメだな、終わりだな」
と言ったのだそうです。医師への返答以外で彼が初めて口にした言葉だったとのこと。そのように考えているのかと思ったナースは、
「何を言っているんですか? ここへ来たということは、これからがスタートなんですよ。ダメなら、途中でダメになっています。ここまで来たんですから、いまから始まるんです。終わりじゃありませんよ。私たちがこれから一緒にやっていきますから大丈夫ですよ」
と励ましてくださったそうです。
これは入院後しばらく経ってから、担当になったそのナース・Nさんが話してくれたことです。事故以来、不安も恐ろしさも極限だったはずなのに、自分にも家族にも気丈に対していた夫の本音がそこに現れていたのでした。はたしてどうなるのかという大きな不安と恐怖に、つい本音が出たのでしょう。無事到着したのでホッとした気持ちもあって、声をかけてくれたナースについ漏らした弱音だったと思います。そして、その言葉に対するナースの励ましにどれだけ慰められたことでしょう。そのことが手術の前の「行ってくるぞ」という彼の力強い言葉になったのだと理解できました。
実際、それからの総合せき損センターでの医療は、患者を生かすためにみごとな歯車が回り出したという感じでした。しかし、私たちにはまだ、そこまで見通すことができず、夫の日々のこまごましたできごとから目が離せなく、先行きの不安ばかりが大きくてオロオロするばかりでした。
手術翌日、リハビリ科、泌尿器科の回診があって、それぞれの医師があちこちの感覚を調べていきました。さらに、ナースが関節のあれこれを調べて記録していきました。全身のレントゲンはベッドに寝たまま撮られました。その装置にさえ、私は目を見張りました。
院長が来て「このたびは大変なことでした。大丈夫です。ここの医師やスタッフは皆よくやります。頑張ってください」と言ってくださいました。
この言葉がどれほど心強かったかわかりません。私たちがその後もずっとこの病院に対して抱き続けることができた信頼感・安心感の原点が、あの言葉だったと思っています。夫の手記にも、
「経営トップがスタッフに寄せる信頼と自信が言葉だけのものでないことが入院生活の日を追うほど実感として受け止めていくことができた」
とあります。手術を待つ間に出張先の所長が、
「ここでは、日本で最高の医療・リハビリが受けられる」
と話してくださったことも思い出されました。新潟へ帰ることは考えず、ここで安心して治療に専心、専念しようと心から思いました。
「大丈夫ですか?」
と尋ねられた夫は、
「もう、僕の人生、これでダメだな、終わりだな」
と言ったのだそうです。医師への返答以外で彼が初めて口にした言葉だったとのこと。そのように考えているのかと思ったナースは、
「何を言っているんですか? ここへ来たということは、これからがスタートなんですよ。ダメなら、途中でダメになっています。ここまで来たんですから、いまから始まるんです。終わりじゃありませんよ。私たちがこれから一緒にやっていきますから大丈夫ですよ」
と励ましてくださったそうです。
これは入院後しばらく経ってから、担当になったそのナース・Nさんが話してくれたことです。事故以来、不安も恐ろしさも極限だったはずなのに、自分にも家族にも気丈に対していた夫の本音がそこに現れていたのでした。はたしてどうなるのかという大きな不安と恐怖に、つい本音が出たのでしょう。無事到着したのでホッとした気持ちもあって、声をかけてくれたナースについ漏らした弱音だったと思います。そして、その言葉に対するナースの励ましにどれだけ慰められたことでしょう。そのことが手術の前の「行ってくるぞ」という彼の力強い言葉になったのだと理解できました。
実際、それからの総合せき損センターでの医療は、患者を生かすためにみごとな歯車が回り出したという感じでした。しかし、私たちにはまだ、そこまで見通すことができず、夫の日々のこまごましたできごとから目が離せなく、先行きの不安ばかりが大きくてオロオロするばかりでした。
手術翌日、リハビリ科、泌尿器科の回診があって、それぞれの医師があちこちの感覚を調べていきました。さらに、ナースが関節のあれこれを調べて記録していきました。全身のレントゲンはベッドに寝たまま撮られました。その装置にさえ、私は目を見張りました。
院長が来て「このたびは大変なことでした。大丈夫です。ここの医師やスタッフは皆よくやります。頑張ってください」と言ってくださいました。
この言葉がどれほど心強かったかわかりません。私たちがその後もずっとこの病院に対して抱き続けることができた信頼感・安心感の原点が、あの言葉だったと思っています。夫の手記にも、
「経営トップがスタッフに寄せる信頼と自信が言葉だけのものでないことが入院生活の日を追うほど実感として受け止めていくことができた」
とあります。手術を待つ間に出張先の所長が、
「ここでは、日本で最高の医療・リハビリが受けられる」
と話してくださったことも思い出されました。新潟へ帰ることは考えず、ここで安心して治療に専心、専念しようと心から思いました。