年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第29回 神経因性膀胱・直腸障害
神経因性膀胱・直腸障害に関する問題は、とても大きなものでした。有無を言わさず受け止めざるを得ない出来事ではありましたが、あらゆる後遺障害のうち、最も精神的なダメージを受けた障害でした。
それを知ったときは、大袈裟ではなく、人間の尊厳に関わると思われるほどの精神的な打撃を受けました。目に見えない障害であるだけに、私たちには信じがたいことでした。排泄困難は一時的なもので、ずっと続くものとは思ってもいなかったからです。「排泄は食事をとるのと同等の、大事なことと考えるようにしよう」と、夫も私も、心に決めるまでには、ずいぶん時間と覚悟が必要でした。
排便日は決められたものの、少しも落ち着きませんでした。習慣作りのためといって、そこまで降りてきているのに「明日がその日だから」と摘便してもらえず、眠れないまま夜中に便失禁したこともあったりして、全く不定期という感じでした(退院後もそうでした。食べた物や、講演会や外出の前など、精神的な緊張感からも影響を受けました。ですから、出かける前には必ず摘便することにしていました)。
一方、膀胱の変化もなかなか出て来ませんでした。受傷後1週間目に膀胱のカテーテルを抜いてからは、ずっと日に3回の導尿が続いていました。週に1度冷水を注入して反応を調べるのですが、全く反応はありませんでした。あまりの反応のなさに焦り始めた頃、泌尿器科の主治医であるI先生は、「焦らないで。半年ぐらいは様子を見ましょう。出なければ方策はあるのですから、いまは身体を動かすことのほうが大事です」と、常に励ましてくださいました。
4か月経って慢性期病棟に移動後、今後の見通しについて、I先生から、「もし、知らせ(尿意の復帰)がなかった場合、括約筋の切開という見通しです。丸山さんにはこれからまだまだ活躍してもらわねばならないので、膀胱漏とか管で取るというのは不便です。収尿器をつけるという方法を採ることになるでしょう」との説明がありました。付け加えて、「泌尿器科の治療は、これからですからね」と言っていただいて、焦りの気持ちが楽になった気がしました。泌尿器科の主治医であるI先生も、復職を念頭に置いてくださったのがありがたかったです。
受傷後半年が経ち、膀胱内に冷水を多く注入しても反応がないので、手術を受けることになりました。「膀胱内の圧を高めたり、炎症を起こさないために、内視鏡で括約筋を少し切開する。膀胱に圧を加えると出る程度に切り、その後は念のために収尿器で対応する」という治療の説明を受けました。さらに、研修に来ていた医学生に「脊損患者の場合、かつては尿意の有無に関わらず、尿が出てくるようにすることが最終目的であった。尿意がなくても出てくるのだから、いわゆる失禁である。しかし、今回の治療は括約筋を切開して膀胱に溜まったら出てくるという治療で、これから膀胱のリハビリが始まる。軽く叩いたり、または押して出したりできれば、膀胱が空っぽになって、その間は出ないということになる。それでも、失禁ということに備えて収尿器を装着する。留置カテーテルや膀胱漏では、尿道や膀胱の炎症、潰瘍や褥瘡の発生、膀胱萎縮等の可能性が大であるのと同時に、カテーテル装着によって、身体的、社会的に束縛される不利益がある」と説明されたのを聴いていてよりよく理解できました。
それを知ったときは、大袈裟ではなく、人間の尊厳に関わると思われるほどの精神的な打撃を受けました。目に見えない障害であるだけに、私たちには信じがたいことでした。排泄困難は一時的なもので、ずっと続くものとは思ってもいなかったからです。「排泄は食事をとるのと同等の、大事なことと考えるようにしよう」と、夫も私も、心に決めるまでには、ずいぶん時間と覚悟が必要でした。
排便日は決められたものの、少しも落ち着きませんでした。習慣作りのためといって、そこまで降りてきているのに「明日がその日だから」と摘便してもらえず、眠れないまま夜中に便失禁したこともあったりして、全く不定期という感じでした(退院後もそうでした。食べた物や、講演会や外出の前など、精神的な緊張感からも影響を受けました。ですから、出かける前には必ず摘便することにしていました)。
一方、膀胱の変化もなかなか出て来ませんでした。受傷後1週間目に膀胱のカテーテルを抜いてからは、ずっと日に3回の導尿が続いていました。週に1度冷水を注入して反応を調べるのですが、全く反応はありませんでした。あまりの反応のなさに焦り始めた頃、泌尿器科の主治医であるI先生は、「焦らないで。半年ぐらいは様子を見ましょう。出なければ方策はあるのですから、いまは身体を動かすことのほうが大事です」と、常に励ましてくださいました。
4か月経って慢性期病棟に移動後、今後の見通しについて、I先生から、「もし、知らせ(尿意の復帰)がなかった場合、括約筋の切開という見通しです。丸山さんにはこれからまだまだ活躍してもらわねばならないので、膀胱漏とか管で取るというのは不便です。収尿器をつけるという方法を採ることになるでしょう」との説明がありました。付け加えて、「泌尿器科の治療は、これからですからね」と言っていただいて、焦りの気持ちが楽になった気がしました。泌尿器科の主治医であるI先生も、復職を念頭に置いてくださったのがありがたかったです。
受傷後半年が経ち、膀胱内に冷水を多く注入しても反応がないので、手術を受けることになりました。「膀胱内の圧を高めたり、炎症を起こさないために、内視鏡で括約筋を少し切開する。膀胱に圧を加えると出る程度に切り、その後は念のために収尿器で対応する」という治療の説明を受けました。さらに、研修に来ていた医学生に「脊損患者の場合、かつては尿意の有無に関わらず、尿が出てくるようにすることが最終目的であった。尿意がなくても出てくるのだから、いわゆる失禁である。しかし、今回の治療は括約筋を切開して膀胱に溜まったら出てくるという治療で、これから膀胱のリハビリが始まる。軽く叩いたり、または押して出したりできれば、膀胱が空っぽになって、その間は出ないということになる。それでも、失禁ということに備えて収尿器を装着する。留置カテーテルや膀胱漏では、尿道や膀胱の炎症、潰瘍や褥瘡の発生、膀胱萎縮等の可能性が大であるのと同時に、カテーテル装着によって、身体的、社会的に束縛される不利益がある」と説明されたのを聴いていてよりよく理解できました。