年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第2回 病院に駆けつけて
医師の控室のような部屋のフィルムを挟むボードに、頸髄の写真が2枚貼ったままになっているのが見えて、瞬間、夫のものだと直感しました。廊下も、どこもここもごちゃごちゃしていました。
娘たちと救急救命の医師の説明を聴きました。ラフな図を描いて脳幹部のすぐ下を指し示して、
「頸髄の損傷です。ここのところですから、1センチずれていたら即死でした。しかし、炎症は後になってひどくなる場合もあります。呼吸中枢に炎症が及ばないように、直後から腫れと出血を止める治療をしています。まず、命を助けることと、自由になる部分をなるべく多く残すことを考えています。ただ、頭、脳、肺、腹、足、腰などを打っているはずですが、神経に麻痺があるので痛みの自覚がなく、発見が遅くなる可能性と恐れがあり、実際、24〜48時間後に現れることもあります。また、横隔膜まで影響があって、胸で息ができなくなっています。したがって、呼吸困難の心配はまだあることと、これから症状が進む心配のほうが大きいです。回復はまず不可能でしょう。よくて寝たきりと思います。あの身体ですから(178センチ・75キロぐらい)、褥瘡も3日でできます。午後からずれを戻すための手術をします」
などと説明されました。
私の全知識である「星野富弘さんと同じ怪我なのですか」と尋ねるのが精一杯でしたが、「でも、あの方は自力で呼吸していますからね、丸山さんの場合はまだわからない」というご返事でした。
必死にこらえている長女、声を上げて泣きじゃくる二女。やっと自分を保って「本人の意識がはっきりしているので、声をかけてよい」と言われて、一人でICUに入りました。ベッドの数が多くて、向きもあちこちでえらくごちゃごちゃしている部屋でした。
思ったより元気な声で、「すまん」「悔しい」と繰り返しました。事故当時の模様はかなりはっきり覚えていました。「身体がどうなっているのかわからないので、首をやられたと思った」と言いました。
「そのときからのことをよく覚えているんだ。身体が麻痺している。俺は頭も麻痺したかった」などと話したがりました。私はそれを聞いて、涙ながらに「今まで甘え過ぎたから、これからはあなたの手足になるよ」などと答えるのがやっとでした。
普通に話しているのに身体が動かないなんて、信じられませんでした。関係ないことなのに、ICUに入室時用のエプロン帽子が明らかに使用済みの物だったり、夫のベッドの下には処置のため切り落とされた髪の毛が散らばったままだったりしたことがとても気になりました。
夫の手記には、
「横断歩道に立ち止まって押しボタンを押した。車の流れが緩やかになって向こう側の車線の流れが止まるのを見た。信号は青になっていた。大股で踏み出して数歩だった。突然、右膝あたりにダーンという衝撃が来て身体が浮いた。救急車に運び込まれた。短時間で病院に着いた。不思議に痛みは感じなかった・・。手足の自由が全く利かなくなった自分をもう一人の冴えきった頭の自分がみつめていた。いろいろな想いが脳中を駆け巡りはじめて、一睡もできなかった。病室でほかの患者の動きや看護師の叫ぶような声も覚えている。自分の意識がはっきりしていると、絶えず確かめていたように思う。家族が着いたことを知らされ、早く顔を見たい、顔を見たらなんと言おうかいろいろ言葉を選んで待ち構えているのになかなか顔を見せない。長い長い時間を感じた」
と記されています。
会ったとたん、あふれる思いでたくさん話しかけたのだと、後になってわかりました。整形外科の主治医の話をあらためて聴きました。
「場合によっては、ここから1時間ほど先にあるせき損センターへ行くほうがよいかもしれないこと。危険性は今も十分あること。呼吸困難に陥った場合は人工呼吸器をつけることになること。そうなったら話すことができなくなるから息子さんを会わせるなら今のうちだ」と言われました。
夫と会えて声を聞いたことでほっとしたのもつかの間で、ことの重大さに押しつぶされそうでした。家の息子や夫の職場などに連絡をして、これからの、まず自分たちの宿泊先も考えなくては・・などと方々に気がいくものの、考えとしてまとまらず、ただおろおろするばかりでした。
その間に、夫は手術室に入っていたのだと後でわかりました。
娘たちと救急救命の医師の説明を聴きました。ラフな図を描いて脳幹部のすぐ下を指し示して、
「頸髄の損傷です。ここのところですから、1センチずれていたら即死でした。しかし、炎症は後になってひどくなる場合もあります。呼吸中枢に炎症が及ばないように、直後から腫れと出血を止める治療をしています。まず、命を助けることと、自由になる部分をなるべく多く残すことを考えています。ただ、頭、脳、肺、腹、足、腰などを打っているはずですが、神経に麻痺があるので痛みの自覚がなく、発見が遅くなる可能性と恐れがあり、実際、24〜48時間後に現れることもあります。また、横隔膜まで影響があって、胸で息ができなくなっています。したがって、呼吸困難の心配はまだあることと、これから症状が進む心配のほうが大きいです。回復はまず不可能でしょう。よくて寝たきりと思います。あの身体ですから(178センチ・75キロぐらい)、褥瘡も3日でできます。午後からずれを戻すための手術をします」
などと説明されました。
私の全知識である「星野富弘さんと同じ怪我なのですか」と尋ねるのが精一杯でしたが、「でも、あの方は自力で呼吸していますからね、丸山さんの場合はまだわからない」というご返事でした。
必死にこらえている長女、声を上げて泣きじゃくる二女。やっと自分を保って「本人の意識がはっきりしているので、声をかけてよい」と言われて、一人でICUに入りました。ベッドの数が多くて、向きもあちこちでえらくごちゃごちゃしている部屋でした。
思ったより元気な声で、「すまん」「悔しい」と繰り返しました。事故当時の模様はかなりはっきり覚えていました。「身体がどうなっているのかわからないので、首をやられたと思った」と言いました。
「そのときからのことをよく覚えているんだ。身体が麻痺している。俺は頭も麻痺したかった」などと話したがりました。私はそれを聞いて、涙ながらに「今まで甘え過ぎたから、これからはあなたの手足になるよ」などと答えるのがやっとでした。
普通に話しているのに身体が動かないなんて、信じられませんでした。関係ないことなのに、ICUに入室時用のエプロン帽子が明らかに使用済みの物だったり、夫のベッドの下には処置のため切り落とされた髪の毛が散らばったままだったりしたことがとても気になりました。
夫の手記には、
「横断歩道に立ち止まって押しボタンを押した。車の流れが緩やかになって向こう側の車線の流れが止まるのを見た。信号は青になっていた。大股で踏み出して数歩だった。突然、右膝あたりにダーンという衝撃が来て身体が浮いた。救急車に運び込まれた。短時間で病院に着いた。不思議に痛みは感じなかった・・。手足の自由が全く利かなくなった自分をもう一人の冴えきった頭の自分がみつめていた。いろいろな想いが脳中を駆け巡りはじめて、一睡もできなかった。病室でほかの患者の動きや看護師の叫ぶような声も覚えている。自分の意識がはっきりしていると、絶えず確かめていたように思う。家族が着いたことを知らされ、早く顔を見たい、顔を見たらなんと言おうかいろいろ言葉を選んで待ち構えているのになかなか顔を見せない。長い長い時間を感じた」
と記されています。
会ったとたん、あふれる思いでたくさん話しかけたのだと、後になってわかりました。整形外科の主治医の話をあらためて聴きました。
「場合によっては、ここから1時間ほど先にあるせき損センターへ行くほうがよいかもしれないこと。危険性は今も十分あること。呼吸困難に陥った場合は人工呼吸器をつけることになること。そうなったら話すことができなくなるから息子さんを会わせるなら今のうちだ」と言われました。
夫と会えて声を聞いたことでほっとしたのもつかの間で、ことの重大さに押しつぶされそうでした。家の息子や夫の職場などに連絡をして、これからの、まず自分たちの宿泊先も考えなくては・・などと方々に気がいくものの、考えとしてまとまらず、ただおろおろするばかりでした。
その間に、夫は手術室に入っていたのだと後でわかりました。