年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第10回 苦しくても、それは必ず過去のものになります
夫は、痰に苦しんでいました。痰が絡まると、昼夜をおかず、ネブライザーをかけては、胸を押してもらって、少しずつ痰を出します。「肺炎が怖いからだ」とナースが話してくれました。「少なくなった肺機能での痰出しはマラソンみたいだ」と、夫は言っていました。手記にはこうあります。
「呼吸は浅くしかできず、その分早い回数で補っている状態の中で、絶え間なく襲ってくるのが『ゼーゼー』という痰の引っかかりで、息苦しさは倍加する。自力では吐き出すことができないからナースに助けを求めるしかない。ベッドサイドに付き添う妻は、昼夜別なく、ナースを呼ぶために起こされる。痰の兆候があると、ネブライザーを鼻口に当て湿気を吸い込んで肺内を湿らせ、14、5分経つと、『ゴロゴロ』という音に変わる。そのとき駆けつけたナースが胸に両手を当て、『セーノ、えいっ』とばかり圧力をかける。そのとき、口中に痰が飛び出してきたときの感じはたとえようがないほど快い。巧くいくときばかりではない。ベッド上から馬乗りになって両肺の圧迫を繰り返すが、引っかかったまま、ビクともしないときもある」
ナースによっては得手不得手もあって、「あの人巧いから呼んできて」と、その日の担当でないナースを名指したりするので、彼女らの仕事のタイミングを見ながら無理して来てもらったりしたことも多々ありました。
ある日、朝食前から痰と悪戦苦闘してグッタリしているのを見たM先生は、
「痰を出して。痰との戦いです。苦しくても、それは必ず過去のものになります。『あのときは苦しかった』というように。今はそれを頑張りましょう」
とおっしゃいました。そんなときがはたして来るのだろうかと半信半疑ながらも、その言葉は苦しいときの支えでした。朝も昼も夜中も、出しても出しても痰は出続けました。痰出しでグッタリ疲れ切ってしまい、その後は眠ってしまいます。と、また痰が上がってきて…、という繰り返しが続きました。
「いつも見る夢は、元気いっぱいの自分であった。バスケットボールに興じている若いころの自分だったりした。走りまくって息が絶え絶えになって目覚めると、痰にあえいでいる自分がいつもそこにいた」
とも書いていました。管で痰を取るのは苦しいからと嫌がったので、ほとんどは押してもらって出していました。
「消灯の頃になって(21時)、二度、痰に挑戦。Tナースが上手にとってくれる。『これでよかろう。(できないと)管で取ると脅かすけんね』と言いながら」
と、私の日記にもあります。私も、胸を押すコツなどを見様見真似で覚えました。次第に、ナースを呼ばなくてもできるようになりました。そして、退院後にもそれはとても役に立ちました。
「呼吸は浅くしかできず、その分早い回数で補っている状態の中で、絶え間なく襲ってくるのが『ゼーゼー』という痰の引っかかりで、息苦しさは倍加する。自力では吐き出すことができないからナースに助けを求めるしかない。ベッドサイドに付き添う妻は、昼夜別なく、ナースを呼ぶために起こされる。痰の兆候があると、ネブライザーを鼻口に当て湿気を吸い込んで肺内を湿らせ、14、5分経つと、『ゴロゴロ』という音に変わる。そのとき駆けつけたナースが胸に両手を当て、『セーノ、えいっ』とばかり圧力をかける。そのとき、口中に痰が飛び出してきたときの感じはたとえようがないほど快い。巧くいくときばかりではない。ベッド上から馬乗りになって両肺の圧迫を繰り返すが、引っかかったまま、ビクともしないときもある」
ナースによっては得手不得手もあって、「あの人巧いから呼んできて」と、その日の担当でないナースを名指したりするので、彼女らの仕事のタイミングを見ながら無理して来てもらったりしたことも多々ありました。
ある日、朝食前から痰と悪戦苦闘してグッタリしているのを見たM先生は、
「痰を出して。痰との戦いです。苦しくても、それは必ず過去のものになります。『あのときは苦しかった』というように。今はそれを頑張りましょう」
とおっしゃいました。そんなときがはたして来るのだろうかと半信半疑ながらも、その言葉は苦しいときの支えでした。朝も昼も夜中も、出しても出しても痰は出続けました。痰出しでグッタリ疲れ切ってしまい、その後は眠ってしまいます。と、また痰が上がってきて…、という繰り返しが続きました。
「いつも見る夢は、元気いっぱいの自分であった。バスケットボールに興じている若いころの自分だったりした。走りまくって息が絶え絶えになって目覚めると、痰にあえいでいる自分がいつもそこにいた」
とも書いていました。管で痰を取るのは苦しいからと嫌がったので、ほとんどは押してもらって出していました。
「消灯の頃になって(21時)、二度、痰に挑戦。Tナースが上手にとってくれる。『これでよかろう。(できないと)管で取ると脅かすけんね』と言いながら」
と、私の日記にもあります。私も、胸を押すコツなどを見様見真似で覚えました。次第に、ナースを呼ばなくてもできるようになりました。そして、退院後にもそれはとても役に立ちました。