年間約5000名の新患者が発生するという脊髄損傷。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
ここでは、その受傷直後から患者およびその家族がどのような思いを抱きながら治療に臨むのかを、時系列に沿ってご紹介します(執筆:丸山柾子さん)。
それに呼応する形で、医療関係者によるアプローチ、そして当事者の障害受容はどのような経緯をたどるのか、事例の展開に応じて、専門家が詳細な解説を示していきます(執筆:松尾清美先生)。
第17回 褥瘡は一度も創りませんでした
一方、褥瘡予防に関しても徹底した管理が直後から行われました。最初の病院で「よくて寝たきり、褥瘡も3日でできます」と言われた言葉が耳から離れませんでしたが、後にわかってきたその本当の怖さは知らずに済んだといえます。
他病院から転入院してくる患者の中には褥瘡患者が意外に多く、また転退院した先や自宅で褥瘡を創って再入院してくる患者が後を絶たないということ、手遅れになると大がかりな手術と長期の治療を必要とし、リハビリに支障をきたすし、患部によっては仰向けで寝ることもできなくなるという例をたくさん見聞きすることになったのです。
せき損センターでは「手術後にしっかりガードした上で早くから動かし、褥瘡も創りません」と言われましたし、入院直後にベテランナース・Kさんから「褥瘡はナースの恥です」とはっきり、堂々と言われたものです。入念に管理がなされたおかげで褥瘡は最後まで知らずにすみました。身体の一部に長時間、体圧がかからないように、着る物や履くものなど身につける物から、車いすのクッション、ベッド等に細心の注意が払われました。右膝靭帯断裂には褥瘡ができるからという理由で、ギプスではなくコルセット装着の方法が取られました。そして、毎日コルセットを外してはスキンチェックされたのも、まさにその一環でした。朝から夕方までは、リハビリなどで身体を動かしているので心配ないのですが、問題なのは夕食後から翌朝までの管理です。
ちなみに、術後15日目の1日のスケジュールは以下のようでした。
夕食後18時に横向き、就寝時21時は反対横向き、真夜中24時は両腰に棒座を入れて上向き、目覚めの6時には棒座を抜き、平らに上向きにする体交(体位交換)というナース2人で行われるその大切な作業が、寝返りさえできない身体を褥瘡から救ってくれたのです。
体幹を保てない身体を支えるための大きなクッション状の体交枕と棒座と呼ばれる直径15センチ、長さ40センチほどの棒状枕が2個ずつ、いつも用意されていました。
夫の手記です。
「体位交換は、通常二人のナースによる共同作業でテキパキと行われる。患者の尻の下には、シーツの上に常にネル地の布が横長に敷かれている。『丸山さーん、向きを変えます。どっち向きますか?』私の返事が終わるか終らないうちに、二人はベッドを挟んで立ち、ネル布をつかんで、『よいしょ』の掛け声で、私の身体を一方のサイドに寄せてから横向きにする。素早く体交枕が背後に挟み込まれる。両足の組み方を整えて両膝の間にも体交枕が挟まれて作業が終わる。就寝時にはその反対を向き、真夜中には仰向き姿勢に戻す作業に目を覚まされる。逆の手順であっという間もなく上向きになり、ネル布が左右交互に軽く持ち上げられてできた隙間に棒座という縦長の棒状枕が差し込まれ、臀部が軽く浮き上がったところで完了する。毎日定時に何十人もの患者を対象に繰り返されるこの作業のおかげで、恐ろしい褥瘡から守られていると思うと感謝のほかはない。が、作業が整然と効率的に機械的にテキパキと進行すればするほど、身体に伝わる感触は『物』として扱われたような後味が残る。その後味を仕分けしてみれば、およそ、人間、ヒト、物の順になろうか。人間を相手にした仕事には、熟練、慣れ、馴れなどの落とし穴があるものだ。“サッと引き、グッと返して枕入れ、立ち去る手際の見事さに、ああ、いま俺は物かと苦笑す”」
長い入院中にも、苦情などはほとんど口にしなかった夫の珍しい文章です。ですが、ともかくも褥瘡の怖さは知らずに過ごせたことは、彼女たちの努力の賜物と言えます。そのやり方を見習い、退院に備えてマイ棒座や足首を浮かせるための足枕なども作って自宅でも体交を続けました。退院後にもとうとう一度も褥瘡は創りませんでした。
退院後のあるとき、2週間ほど新潟の病院に入院したことがありました。そこのナースたちは「奥さんが今まで褥瘡を創らなかったのに、私たちが創ってはいけない」と緊張して管理してくれました。あの身体で褥瘡を一度も創らなかったことについては多くの人から「それはすごいことだよ」と私が褒められましたが、せき損センターのナースたちの見事なやり方を見習っていたに過ぎなかったのです。ありがたいことでした。そして、それは、私の介護歴の中で、今でもちょっとした誇りです。
他病院から転入院してくる患者の中には褥瘡患者が意外に多く、また転退院した先や自宅で褥瘡を創って再入院してくる患者が後を絶たないということ、手遅れになると大がかりな手術と長期の治療を必要とし、リハビリに支障をきたすし、患部によっては仰向けで寝ることもできなくなるという例をたくさん見聞きすることになったのです。
せき損センターでは「手術後にしっかりガードした上で早くから動かし、褥瘡も創りません」と言われましたし、入院直後にベテランナース・Kさんから「褥瘡はナースの恥です」とはっきり、堂々と言われたものです。入念に管理がなされたおかげで褥瘡は最後まで知らずにすみました。身体の一部に長時間、体圧がかからないように、着る物や履くものなど身につける物から、車いすのクッション、ベッド等に細心の注意が払われました。右膝靭帯断裂には褥瘡ができるからという理由で、ギプスではなくコルセット装着の方法が取られました。そして、毎日コルセットを外してはスキンチェックされたのも、まさにその一環でした。朝から夕方までは、リハビリなどで身体を動かしているので心配ないのですが、問題なのは夕食後から翌朝までの管理です。
ちなみに、術後15日目の1日のスケジュールは以下のようでした。
6:00 | 目覚め、棒座を抜く。 |
7:30 | 座位をとって、顔拭き、朝食、歯磨き、痰。 |
8:45 | 導尿、清拭(妻が行う)、着替え、呼吸訓練、回診。 |
10:30 | 回診後身支度、助手さんにリフトで車いすに移乗してもらう、 リハ(PT)。 |
12:00 | 部屋に帰り、ベッドに上がって、昼食、休憩。 |
13:30 | 車いすに移乗して、リハ(OT)。 |
15:30 | 部屋に帰り、ベッドへ、身支度を解く(上半身はシャツ1枚、下半身はおむつを当て、バスタオルを横がけにして布団をかける)。 |
16:00 | 導尿、便の始末。 |
17:00 | 夕食、歯磨き。 |
18:00 | 体交(横向き)。 |
21:00 | 体交(反対横向き)。 |
24:00 | 体交(棒座を入れて仰向き)。 |
夕食後18時に横向き、就寝時21時は反対横向き、真夜中24時は両腰に棒座を入れて上向き、目覚めの6時には棒座を抜き、平らに上向きにする体交(体位交換)というナース2人で行われるその大切な作業が、寝返りさえできない身体を褥瘡から救ってくれたのです。
体幹を保てない身体を支えるための大きなクッション状の体交枕と棒座と呼ばれる直径15センチ、長さ40センチほどの棒状枕が2個ずつ、いつも用意されていました。
夫の手記です。
「体位交換は、通常二人のナースによる共同作業でテキパキと行われる。患者の尻の下には、シーツの上に常にネル地の布が横長に敷かれている。『丸山さーん、向きを変えます。どっち向きますか?』私の返事が終わるか終らないうちに、二人はベッドを挟んで立ち、ネル布をつかんで、『よいしょ』の掛け声で、私の身体を一方のサイドに寄せてから横向きにする。素早く体交枕が背後に挟み込まれる。両足の組み方を整えて両膝の間にも体交枕が挟まれて作業が終わる。就寝時にはその反対を向き、真夜中には仰向き姿勢に戻す作業に目を覚まされる。逆の手順であっという間もなく上向きになり、ネル布が左右交互に軽く持ち上げられてできた隙間に棒座という縦長の棒状枕が差し込まれ、臀部が軽く浮き上がったところで完了する。毎日定時に何十人もの患者を対象に繰り返されるこの作業のおかげで、恐ろしい褥瘡から守られていると思うと感謝のほかはない。が、作業が整然と効率的に機械的にテキパキと進行すればするほど、身体に伝わる感触は『物』として扱われたような後味が残る。その後味を仕分けしてみれば、およそ、人間、ヒト、物の順になろうか。人間を相手にした仕事には、熟練、慣れ、馴れなどの落とし穴があるものだ。“サッと引き、グッと返して枕入れ、立ち去る手際の見事さに、ああ、いま俺は物かと苦笑す”」
長い入院中にも、苦情などはほとんど口にしなかった夫の珍しい文章です。ですが、ともかくも褥瘡の怖さは知らずに過ごせたことは、彼女たちの努力の賜物と言えます。そのやり方を見習い、退院に備えてマイ棒座や足首を浮かせるための足枕なども作って自宅でも体交を続けました。退院後にもとうとう一度も褥瘡は創りませんでした。
退院後のあるとき、2週間ほど新潟の病院に入院したことがありました。そこのナースたちは「奥さんが今まで褥瘡を創らなかったのに、私たちが創ってはいけない」と緊張して管理してくれました。あの身体で褥瘡を一度も創らなかったことについては多くの人から「それはすごいことだよ」と私が褒められましたが、せき損センターのナースたちの見事なやり方を見習っていたに過ぎなかったのです。ありがたいことでした。そして、それは、私の介護歴の中で、今でもちょっとした誇りです。