第2回 走ることの意味(2)
−私自身の走る意味−
自己実現と純粋な楽しみ
私は子どもの頃から走るのが大好きで、それが高じて長距離が速いことに気づき、競技として始めました。28歳で現役を引退するまで、トップを目指す競技者として生きました。あの頃の私にとって走る意味とは、走ることで自分がどこまで通用するか試す、いわば「自己実現」にあったと思います。実業団の指導者になってからは、選手達が活躍することによって、違った意味での自己実現、指導者としてのやりがいを感じていました。この指導者としての期間に5年間まったく走らないブランクがあり、再び走り出したのが、2001年にニッポンランナーズという市民ランナーのクラブチームを立ち上げる準備をしていた時のことです。市民ランナーを教えるわけですから、実業団の選手のように練習を見るだけでは通用しません。当然、一緒に走るわけです。そこで一緒に皇居を走ったところ、1周まともに走れませんでした。市民ランナーのペースについていけなかったのです。これに愕然として、これじゃいかんと再び走り始めたのです。そうして再び走り出した時、昔のようなスピードでは走れないけれど、改めて市民ランナーとして純粋に「走ることが気持ちいいな、楽しいな」と感じる自分がいたのです。
競技者として、走るからには一番を目指していた私にとって、この変化は大きいものでした。
競技者として、走るからには一番を目指していた私にとって、この変化は大きいものでした。
“生きている”という実感
純粋な楽しみとして走れるようになったとはいえ、やはり市民ランナーの指導者ですから、仕事として走っていることも確かでした。
その後、2006年にがんになって再び走れなくなり(このあたりのことは拙書(「走る意味」講談社現代新書)をご参照ください)、一時は死を覚悟した病気からなんとか復帰した時、私は再びフルマラソンにチャレンジしました。2007年のゴールドコーストマラソンです。5時間42分でゴールした時、足がものすごく痛かったのですが、不思議なことに痛いことが嬉しかったのです。痛くなるまで走れた嬉しさ、喜びが痛みを上回っていたのです。その痛みに、走ることそのものに、“自分は生きている”という実感を強く感じたのだと思います。この時から、走るたびに、今日も走れているという喜びや「生の実感」を得ることができるようになりました。
その後、2006年にがんになって再び走れなくなり(このあたりのことは拙書(「走る意味」講談社現代新書)をご参照ください)、一時は死を覚悟した病気からなんとか復帰した時、私は再びフルマラソンにチャレンジしました。2007年のゴールドコーストマラソンです。5時間42分でゴールした時、足がものすごく痛かったのですが、不思議なことに痛いことが嬉しかったのです。痛くなるまで走れた嬉しさ、喜びが痛みを上回っていたのです。その痛みに、走ることそのものに、“自分は生きている”という実感を強く感じたのだと思います。この時から、走るたびに、今日も走れているという喜びや「生の実感」を得ることができるようになりました。
「2007年ゴールドコーストマラソン」
これは、私が生死の境を体験したからこそ、強く感じたことなのかもしれませんが、「走る」ことで「生きている」ことを実感している人はたくさんいると思います。みなさんが、これからジョギングを始めたとき、達成感や気持ちよさのほかに「生の実感」もきっと味わえることでしょう。
ランナーの至福
これから始める人や、始めて日の浅い人には、わかりづらい感覚かもしれませんが、ゴールの達成感とは逆に「まだゴールしたくない」「この時間をもっと味わっていたい」というランナーの至福の時間というものがあります。
がんの手術の翌年にゴールドコーストマラソンを完走して、それからどんどん回復して、2009年のつくばマラソンでサブスリー(フルマラソンを3時間切って走ること)を出した時のことです。ゴールまで残り5kmになったとき、3時間を絶対切れると確信できると、ゴールするのがもったいなくなったのです。「今日は達成できた」という感覚をずっと味わっていたくなったのです。もちろん、そこまで37kmも走ってきていますから、とても苦しいのですが、その苦しさ、辛さも含めてずっと味わっていたいという感覚です。たとえるなら、自分の誕生日パーティが始まる数時間前の「今日は何が出てくるのだろう」というワクワク感に近いかもしれません。
マラソンはゴール後の「やった!」という達成感ももちろん大きな魅力ですが、実は、目標を定めて、それを達成できるとわかったときの残り数kmのすごく嬉しい、ワクワクするような感覚が味わえることも醍醐味の一つだと思います。
私は競技者からスタートしていますので、走ることそのものが自己実現であった時代から、ライフステージに応じてその意味合いは変遷してきています。「走ること」が「生きること」に通じることを実感している今、これまで走ることに縁がなかった人が1人でも多く、RUNの魅力に気づいて走り出してくれればいいなと願っています。
次回更新日は6月29日です。
2011年6月22日
がんの手術の翌年にゴールドコーストマラソンを完走して、それからどんどん回復して、2009年のつくばマラソンでサブスリー(フルマラソンを3時間切って走ること)を出した時のことです。ゴールまで残り5kmになったとき、3時間を絶対切れると確信できると、ゴールするのがもったいなくなったのです。「今日は達成できた」という感覚をずっと味わっていたくなったのです。もちろん、そこまで37kmも走ってきていますから、とても苦しいのですが、その苦しさ、辛さも含めてずっと味わっていたいという感覚です。たとえるなら、自分の誕生日パーティが始まる数時間前の「今日は何が出てくるのだろう」というワクワク感に近いかもしれません。
マラソンはゴール後の「やった!」という達成感ももちろん大きな魅力ですが、実は、目標を定めて、それを達成できるとわかったときの残り数kmのすごく嬉しい、ワクワクするような感覚が味わえることも醍醐味の一つだと思います。
私は競技者からスタートしていますので、走ることそのものが自己実現であった時代から、ライフステージに応じてその意味合いは変遷してきています。「走ること」が「生きること」に通じることを実感している今、これまで走ることに縁がなかった人が1人でも多く、RUNの魅力に気づいて走り出してくれればいいなと願っています。
次回更新日は6月29日です。
2011年6月22日
- 新連載開始のお知らせ
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金さんの「50代からのジョギング入門」の後を受けて
市橋有里(いちはし・あり)さんの
【ari's Basic Running 〜ココロもカラダもキレイに〜】が
スタートしました!こちらもよろしくお願いします!
http://www.caresapo.jp/senior/kantan/running/