第23回 薩埵峠(3)
峠をめざして旧東海道を行く
さて、興津川に架かる橋を渡り、東海道線のガードをくぐると川越しの遺跡があります。一見、何の変哲もない河川敷のようですが、広重の「東海道五十三次」の作品で、相撲取りが馬の背中に乗り、川を渡っているように、当時は「越すに越されぬ」大井川に次ぐ川越しの一つでした。
その遺跡をあとに、民家が続く道をしばらく歩き、瑞泉(ずいせん)寺を過ぎると、前方に峠への案内板が見えてきます。その案内板に導かれるように右に折れ、さらに民家の間を縫い、墓地の間の急な切り通しを上り詰めると、峠にさしかかります。駿河湾に没する山の断崖をくり抜いた薩埵トンネルにさしかかったわけです。
右側の絶壁に転落しないよう、防護柵に注意しながら階段を慎重に上っていくと、前方に富士山、眼下に東海道線や国道1号線、東名高速道路が海岸線に向け、大きな弧を描いている景色が目に飛び込んできます。
思わず息を飲むほどですが、広重の浮世絵や観光ポスターで有名な景観の展望台はもう少し先です。
興津駅から1時間ほどで着く木製の展望台からは、波静かな紺碧の駿河湾を従えたかのような富士山の雄姿、そして、その手前に愛鷹(あしたか)山が鎮座しており、遠く伊豆半島も指呼の間にあります。
峠の頂上に旧東海道の歴史などを記した碑や東屋も設けられています。この辺り一帯は、南北朝時代の1351(正平6=観応2)年、足利尊氏の軍勢と足利直義の軍勢との間で合戦が広げられた所です。
また、戦国時代には武田信玄と北条氏真が戦った場所でもありますし、1655(明暦元)年、朝鮮の通信使が通った道でもあります。