第12回 再度山(下)
再度山の上りと味
貯水池の淵の歩道を進むと舗装路に変わりますが、少し行くと再び林の中へ入り、脇には渓流が続きます。一番奥の桜茶屋に差しかかると、川原の方から歓声が響き渡ってきました。ここが市ケ原です。
河原に張りめぐらされたカラフルなテントのそばで、バーベキューを楽しんでいる若者たちの姿があちこちに見えます。川原に下りて傍らの石に腰を下ろし、新神戸駅の売店で買った「牛めし弁当」を開いて昼食をとりました。コーべ・ビーフが数枚入った駅弁ですが、ここならではの美味です。
河原に張りめぐらされたカラフルなテントのそばで、バーベキューを楽しんでいる若者たちの姿があちこちに見えます。川原に下りて傍らの石に腰を下ろし、新神戸駅の売店で買った「牛めし弁当」を開いて昼食をとりました。コーべ・ビーフが数枚入った駅弁ですが、ここならではの美味です。
一息入れて小橋を渡ると、「旧跡・蛇ケ谷」の案内看板が見えてきます。清麻呂が道鏡の刺客に襲われたとき、大蛇がこの場所に現れ助けたそうです。その看板を背に再度山に向かう歩道を上ると、舗装路に出ます。上り下りを繰り返し、再度山ドライブウエイを横切ると、正面に大龍寺の朱塗りの山門が見えます。
この寺には、弘法大師が大輪田の泊(現神戸港)に着くと大師を守る大きな龍が海から現れ、摩耶山と鍋蓋山の間の摩尼山の方に飛んでいったため、龍は摩尼山の観世音のお守りに違いないとされ、大龍寺と名付けられたという伝説があります。この大師が上った山道は「大師道」、また、修行した場所は「修法ヶ原」と呼び親しまれています。
この寺には、弘法大師が大輪田の泊(現神戸港)に着くと大師を守る大きな龍が海から現れ、摩耶山と鍋蓋山の間の摩尼山の方に飛んでいったため、龍は摩尼山の観世音のお守りに違いないとされ、大龍寺と名付けられたという伝説があります。この大師が上った山道は「大師道」、また、修行した場所は「修法ヶ原」と呼び親しまれています。
帰りは、山門から先は、六甲山系の縦走路の鍋蓋山(487メートル)に行く道と諏訪山公園に行く大師道に分かれます。しかし、その日のうちに帰京しなければいけなかったため、元来た道をそのまま下りました。
日程に余裕のある人は「毎日登山発祥の地」の石碑が立つ善助茶屋跡を訪ね、「毎日登山」が始まったことに思いを馳せてはいかがでしょうか。1905(明治38)年ごろから、神戸に居留する外国人がこの茶屋にノートを常備し、「登山の記念に」と、その都度、署名した慣わしが地元の商社マンなど市民に広まったという説明書きや、当時の登山者の名前が刻印されています。
次回は、岐阜市のシンボルの金華山をご紹介しましょう。