第6回 大文字山(下)
火床から望む京都の町並み
周りには、密集したホテルや商店、民家が軒を連ねており、遠く愛宕山(924メートル)が周囲を見下ろすようにたたずんでいます。右手の奥には大原から八瀬、鞍馬、北山へと続く山並みが見えます。そして、足元には送り火の火床…。
送り火の火床はレンガのような石を積み上げたもので、合わせて75床あり、長さが一画80メートル(19床)、二画160メートル(29床)、三画120メートル(27床)で「大」の字を山の斜面に描いています。その「大」の字の「一」と「人」の文字が重なる地点に立っていることがわかり、感無量です。
『京都市遺跡地図台帳』によると、応仁文明の乱のころの1469(応仁3)年、この周辺に多賀忠高が築城し、その後、足利義輝などが本丸を築いたと記されています。確かに、碁盤の目のように整備された京の動きを見守るには、ここは絶好の位置だったことがうなずけます。
また、1489(延徳元)年の初盆、相国(しょうこく)寺の僧の横川景三が、大文字山の山腹に初めて護摩(ごま)木(マキの割り木)に松葉や麦ワラを添え火を点(とも)して精霊送りをしたといわれていますが、現在は麓の浄土院の檀家でつくる保存会がこの伝統行事を受け継いでいます。
「哲学の道」は、哲学者の西田幾多郎や経済学者の河上肇などがよく歩き、思索にふけったといわれる約2キロの小道です。新緑や紅葉の名所としても知られており、ベンチもそここにあるので一休みするのもいいでしょう。
食通なら、南禅寺名物の湯豆腐に舌鼓を打てば、大文字山の印象もまたひとしおのことでしょう。
次回は「小浅間山」(長野)をご紹介します。7月13日(月)、更新予定です。