第11回 再度山(上)
ミナト・コウベを見下ろす再度山
再度(ふたたび)山(標高470メートル)はミナト・コウベを見下ろす六甲山系の一つで、神戸市の中央区と北区にまたがっています。かつて「多々部(たたべ)山」といわれ、山頂付近に和気清麻呂の創建による観音霊場がありました。現在の大龍(たいりゅう)寺は、その後身といわれています。
弘法大師(空海)が、平安時代の804(延暦23)年、遣唐使の留学僧として唐に渡る際、航海の安全と学問の成就を念じてこの山に登り、帰国後、感謝のために再び登って修行したといわれています。そこで、この故事にならい、再度山と名付けられたそうです。
全山が花崗(かこう)岩で、江戸時代までは禿(はげ)山でしたが、明治30年代以降、水害による被害を防ぐために植樹された木々が育ち、現在のような緑豊かなオアシスになりました。また、展望にも恵まれているため、明治のころから在留する外国人や地元の神戸っ子に広く愛されており、「毎日登山」ゆかりの人気のコースとなっています。
この再度山に登るコースはいくつかありますが、今回は、関東や東海など遠方の人たちでも気軽に登りやすい、新幹線の新神戸駅からのコースをご紹介しましょう。
弘法大師(空海)が、平安時代の804(延暦23)年、遣唐使の留学僧として唐に渡る際、航海の安全と学問の成就を念じてこの山に登り、帰国後、感謝のために再び登って修行したといわれています。そこで、この故事にならい、再度山と名付けられたそうです。
全山が花崗(かこう)岩で、江戸時代までは禿(はげ)山でしたが、明治30年代以降、水害による被害を防ぐために植樹された木々が育ち、現在のような緑豊かなオアシスになりました。また、展望にも恵まれているため、明治のころから在留する外国人や地元の神戸っ子に広く愛されており、「毎日登山」ゆかりの人気のコースとなっています。
この再度山に登るコースはいくつかありますが、今回は、関東や東海など遠方の人たちでも気軽に登りやすい、新幹線の新神戸駅からのコースをご紹介しましょう。
新神戸駅から歩き出す
新神戸駅の改札口を出たら、駅前を左に折れて新幹線のガードをくぐると、突き当たりに登山の案内板があります。ここで、これからたどるコースを確認し、石段を上って山中に入ります。
六甲山系の麓を流れる生田(いくた)川沿いの「滝道」を行くと、布引(ぬのびき)の滝にさしかかります。雌滝、鼓滝、夫婦滝、そして、雄滝と次々に現れます。歩き始めてまだ10分しか経っていないというのに森閑とした雰囲気で、なるほど、多くの市民に愛されていることがわかります。
これらの滝は摩耶山(702メートル)や再度山の水を集め、総称して布引の滝と呼ばれています。なかでも雄滝は落差43メートルの岩肌を数段に折れ、滝つぼに落下しているシンボル的な存在です。これから頂上まで2時間はかかりますが、まずはこの景観を何人ものハイカーが楽しんでいます。
「こきちらす たきのしら玉 拾ひおきて 世のうきときの なみだにぞかる」
『古今集』に収められているこの歌は、兄の文徳天皇の御代の事情により、須磨にわびて居住していたとき、松風村雨の姉妹を愛した在原行平朝臣(あそん)が、この滝を眺めて当時を述懐したものといわれています。
これらの滝は摩耶山(702メートル)や再度山の水を集め、総称して布引の滝と呼ばれています。なかでも雄滝は落差43メートルの岩肌を数段に折れ、滝つぼに落下しているシンボル的な存在です。これから頂上まで2時間はかかりますが、まずはこの景観を何人ものハイカーが楽しんでいます。
「こきちらす たきのしら玉 拾ひおきて 世のうきときの なみだにぞかる」
『古今集』に収められているこの歌は、兄の文徳天皇の御代の事情により、須磨にわびて居住していたとき、松風村雨の姉妹を愛した在原行平朝臣(あそん)が、この滝を眺めて当時を述懐したものといわれています。
やがて、前方に滝見(雄滝)茶屋が見えてきますが、この茶屋の横を抜け、砂子橋から上ってくる「尾根道」と合流した先で展望広場に出ます。ここからの眺めはその名のとおりの絶景で、神戸の街から大阪、さらには和歌山方面まで見渡せ、大勢のハイカーが写真を撮ったり、ラジオ体操をしたりしています。
持参したペットボトルのミネラルウオーターでのどを潤し、再び登山道に戻って歩き出すと、「猿の架け橋」と名付けられた、ツタのからまる吊り橋(といっても鉄のロープとコンクリートの橋ですが…)が見えてきます。
しかし、この橋は渡らず、花崗岩からなる渓谷や新神戸ロープウエーを見ながらジグザグに上っていくと、前方に大きな貯水池が見えてきます。 これが布引貯水池です。神戸市民の“水がめ”として、1900(明治33)年に完成した、わが国最古の上水道の施設です。
公園のようなサイトの広場に腰を下ろして周囲を見渡すと、つややかな緑が水面に映えており、心が洗われそうです。早色づき始めているカエデも見えます。紅葉のころはハイカーで一段とにぎわうことでしょう。
持参したペットボトルのミネラルウオーターでのどを潤し、再び登山道に戻って歩き出すと、「猿の架け橋」と名付けられた、ツタのからまる吊り橋(といっても鉄のロープとコンクリートの橋ですが…)が見えてきます。
しかし、この橋は渡らず、花崗岩からなる渓谷や新神戸ロープウエーを見ながらジグザグに上っていくと、前方に大きな貯水池が見えてきます。 これが布引貯水池です。神戸市民の“水がめ”として、1900(明治33)年に完成した、わが国最古の上水道の施設です。
公園のようなサイトの広場に腰を下ろして周囲を見渡すと、つややかな緑が水面に映えており、心が洗われそうです。早色づき始めているカエデも見えます。紅葉のころはハイカーで一段とにぎわうことでしょう。