第26回 近江富士(2)
JR野洲(やす)駅から旧中山(仙)道へ
最寄りは、JR琵琶湖(湖西:こせい)線の野洲駅です。
南口の改札口を出ると、立ち寄り湯をはじめ、ビルやマンション、商店街の間に、その全容が見え隠れしています。周辺は、1972(昭和47)年に現在の駅舎ができて以来、工場の誘致によって京阪神のベッドタウンとして発展しています。近江富士と銅鐸(どうたく)が売り物の町です。
市の郊外を流れる野洲川は『万葉集』にも紹介されており、平家の落人の終焉(えん)の地や福林寺跡の磨崖仏、また、本殿が国宝、楼門と拝殿が重要文化財で、近江富士の三上山を守る御上(みかみ)神社など、歴史散策には欠かせません。先ごろの「平成の大合併」で、野洲、中主(ちゅうず)の両町が合併して野洲市として生まれ変わり、人口は合わせて約5万人になりました。
その地元のシンボル、近江富士は江戸期の地誌『近江輿(よ)地志略』に「三上山、俗に呼んで近江の富士という」と明記されており、由緒ある山であることがわかります。筆者の調査によると、富士と名のつく山は全国に約350ありますが、なかでも近江富士は、利尻富士の利尻山(1721メートル)、薩摩富士の開門岳(924メートル)などと並び、ハイキングコースとしても人気があります。
「おらが富士」といわんばかりに、通りに「おうみ富士」などの看板を掲げている事務所も少なくありません。ここ野洲市でも、ふるさとの富士で“まちおこし”をしているのです。