ベッド柵の使い方と対応に納得いきません!
左上下肢まひの利用者Aさんが、ベッド臥床時に左側のベッド柵を外して、床に落としたことがありました。Aさんの居室は多床室で、ベッドの左側が壁に面しています。健側の右半身は、ベッド柵を自分の身体より上に持ち上げるほどの力はありません。しかし、この一件がひやりハットととして報告され、対応策として取り外しができない固定式スイングバーのベッド柵を取り付けました。
何だか納得がいきません。本当にこれでよいのでしょうか?
より良いケアを提供するための手段は何かを考えよう
●原因を追求しよう
まず、納得いかないのはなぜでしょうか? 推察してみます。
・「外れたから外れないものに変える」というだけでは、対応としてあまりに短絡的すぎる
・利用者が外したがるものを外せないようにするのは「抑制」ではないだろうか
この2点が納得いかない理由と仮定した上で、考えてみましょう。
なぜ利用者はベッド柵を外して落としてしまったのでしょう。その考察は十分ですか?その結果によっては、実際に行われている対応=外れないベッド柵をつけるというケアが、「抑制」にも「自立支援」にもなり得ると考えます。
仮に、ベッド上での生活時間が長くストレスを感じ、その結果として、手に触れたものを動かして投げ落としてしまったのならば、そうした状況に対して「外せない柵を設置する」というのは、本質的な状況改善にはならないばかりか、「抑制」ともとらえることができます。
反対に、重度な左片まひの方で、自力での寝返りや起き上がり動作が困難でも、一番行いやすいベッド上での起居動作は『患側方向のベッド柵を健側で引きながら、患側方向へ寝返りする』動作です(右側健側方向への寝返りはより難しい動作です)。利用者が唯一行える動作を行おうとしてベッド柵を引いたとたん、外れて落ちてしまったということならば、ベッド柵を外れないようにすることは「自立支援」といってもよいでしょう。
つまり、あくまでそのような状況が起きてしまった原因の追求が大切です。
●より大きな目的を忘れずに
次は「ヒヤリハット」「リスクマネージメント」の考え方の問題です。どのような些細なことであっても、ヒヤリハット報告に上げられている状況には敬意を表します。しかし、なぜ些細なことでもヒヤリハット報告しないといけないのでしょう。その「目的」は何ですか?
些細なことを見逃すことで、本来ならば予想し回避できる重大な事故を起さないようにすること、それが「ヒヤリハット報告とその分析と対策施行」を行う理由です。しかし、より大きな『目的』があるはずです。それは「施設全体のケアの質の向上」であり、「利用者にとって、より良いケアを実現していくため」です。
そういう「より大きな目的」を忘れてしまうと、「事故さえ起こらなければよい」という表面的な対応に流れてしまい、「気づかない『抑制』」につながりかねません。
(回答者:大渕哲也)
まず、納得いかないのはなぜでしょうか? 推察してみます。
・「外れたから外れないものに変える」というだけでは、対応としてあまりに短絡的すぎる
・利用者が外したがるものを外せないようにするのは「抑制」ではないだろうか
この2点が納得いかない理由と仮定した上で、考えてみましょう。
なぜ利用者はベッド柵を外して落としてしまったのでしょう。その考察は十分ですか?その結果によっては、実際に行われている対応=外れないベッド柵をつけるというケアが、「抑制」にも「自立支援」にもなり得ると考えます。
仮に、ベッド上での生活時間が長くストレスを感じ、その結果として、手に触れたものを動かして投げ落としてしまったのならば、そうした状況に対して「外せない柵を設置する」というのは、本質的な状況改善にはならないばかりか、「抑制」ともとらえることができます。
反対に、重度な左片まひの方で、自力での寝返りや起き上がり動作が困難でも、一番行いやすいベッド上での起居動作は『患側方向のベッド柵を健側で引きながら、患側方向へ寝返りする』動作です(右側健側方向への寝返りはより難しい動作です)。利用者が唯一行える動作を行おうとしてベッド柵を引いたとたん、外れて落ちてしまったということならば、ベッド柵を外れないようにすることは「自立支援」といってもよいでしょう。
つまり、あくまでそのような状況が起きてしまった原因の追求が大切です。
●より大きな目的を忘れずに
次は「ヒヤリハット」「リスクマネージメント」の考え方の問題です。どのような些細なことであっても、ヒヤリハット報告に上げられている状況には敬意を表します。しかし、なぜ些細なことでもヒヤリハット報告しないといけないのでしょう。その「目的」は何ですか?
些細なことを見逃すことで、本来ならば予想し回避できる重大な事故を起さないようにすること、それが「ヒヤリハット報告とその分析と対策施行」を行う理由です。しかし、より大きな『目的』があるはずです。それは「施設全体のケアの質の向上」であり、「利用者にとって、より良いケアを実現していくため」です。
そういう「より大きな目的」を忘れてしまうと、「事故さえ起こらなければよい」という表面的な対応に流れてしまい、「気づかない『抑制』」につながりかねません。
(回答者:大渕哲也)