国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。
第26回 徐天楽(じょ・てんらく)さん
平成24年度試験合格
プロフィール
受験の動機
もともとのきっかけは、上海で開催された知的障害者の世界大会でした。通訳という形で初めて知的障害の人とかかわりをもったときに、福祉の言葉の意味がわからなくて、そもそも福祉というものがどういうものかもわからなくて、カルチャーショックを受けたのが発端です。日本人の方は、福祉の仕事をしていなくても、福祉と聞いてなんとなくイメージできるものがあるのではないでしょうか。その点が中国はけっこう遅れていて、例えば「介護」と聞いて、それはなんなんですかという反応が当たり前です。
私ぜんぜん知識もってないなと思い、福祉を勉強したいと思いました。どうせ勉強するなら、中国ではあまり注目されていなくて、知っている人もあまりいない分野に挑戦してみようと思いました。日本の中部学院大学に入学することが決まったとき、周りから何を勉強しに行くんですかと訊かれ、福祉を勉強しにと言うと、福祉ってなんですかと訊かれました。ほとんどの人がそうなのです。
日本を選んだのは単純で、私が日本語をわかるからです。日本に福祉の国家資格があることは、インターネットで学校を探していて知りました。どんな資格かはわかりませんでしたが、なんといっても国家資格ですから、その資格を目指すことで福祉を勉強できるのは間違いないだろうと思いました。資格の種類は特定していませんでした。
私ぜんぜん知識もってないなと思い、福祉を勉強したいと思いました。どうせ勉強するなら、中国ではあまり注目されていなくて、知っている人もあまりいない分野に挑戦してみようと思いました。日本の中部学院大学に入学することが決まったとき、周りから何を勉強しに行くんですかと訊かれ、福祉を勉強しにと言うと、福祉ってなんですかと訊かれました。ほとんどの人がそうなのです。
日本を選んだのは単純で、私が日本語をわかるからです。日本に福祉の国家資格があることは、インターネットで学校を探していて知りました。どんな資格かはわかりませんでしたが、なんといっても国家資格ですから、その資格を目指すことで福祉を勉強できるのは間違いないだろうと思いました。資格の種類は特定していませんでした。
第一印象は「えっ?」
1年生のときにまず思ったのは、トイレのお手伝いをするのが福祉なの?でした。福祉といったら老人、介護という色が強くて、私は老人の介護をするために勉強にきているつもりではないのにと正直思いました。なぜそう思ったかというと、私に知識がないからです。実際の授業はそんな限定して福祉をとらえていなかったはずで、そういう目でとらえてしまう私のほうの課題でした。でも、日本人にもそういう誤解をしている人はけっこう多いようです。福祉イコール介護という見方です。
ともかく、当時1年生の私は勉強の内容に少しがっかりして、でも自分が選んだ道だし、4年間無駄に過ごすのはもったいないと思いました。だから、将来この仕事には就かないと思うけど、とりあえず資格だけは取得して、資格を持って中国に帰ろうと思いました。特に専門用語についてはいっぱい勉強したいと思いました。なぜかというと、翻訳ができるからです。日本の介護は技術的にもきめ細かいサービスを提供しているわけですから、将来的に日本の福祉サービスや介護技術を中国語に翻訳して紹介する機会が出てくるかもしれません。
そんな思惑をもちながら1年生、2年生を過ごしました。翻訳するための専門知識を身につけるという、あとからくっついた、でも明確な目標がありましたから、授業はまじめに受けました。中部学院大学の留学生はほとんどが中国人で、だいたいはそういうのは私のやりたい仕事ではないと入学から早々に考えをかためて、無難に4年間を過ごして卒業して帰国する人たちです。そこは私もいっしょでしたが、学んだことを別の仕事で生かすぞという意気込みがあった点で、学業へのモチベーションは高かったのです。
ともかく、当時1年生の私は勉強の内容に少しがっかりして、でも自分が選んだ道だし、4年間無駄に過ごすのはもったいないと思いました。だから、将来この仕事には就かないと思うけど、とりあえず資格だけは取得して、資格を持って中国に帰ろうと思いました。特に専門用語についてはいっぱい勉強したいと思いました。なぜかというと、翻訳ができるからです。日本の介護は技術的にもきめ細かいサービスを提供しているわけですから、将来的に日本の福祉サービスや介護技術を中国語に翻訳して紹介する機会が出てくるかもしれません。
そんな思惑をもちながら1年生、2年生を過ごしました。翻訳するための専門知識を身につけるという、あとからくっついた、でも明確な目標がありましたから、授業はまじめに受けました。中部学院大学の留学生はほとんどが中国人で、だいたいはそういうのは私のやりたい仕事ではないと入学から早々に考えをかためて、無難に4年間を過ごして卒業して帰国する人たちです。そこは私もいっしょでしたが、学んだことを別の仕事で生かすぞという意気込みがあった点で、学業へのモチベーションは高かったのです。
国家資格を2つ持ち帰ろう
転機は3年生になって訪れました。福祉のコースは介護福祉と精神保健福祉の2つがあり、私は迷わず「精神」を選びました。理由は、介護をやりたくなかったから、それだけです。介護をばかにしているわけではなくて、選択肢があるなら介護の技術とは別のものを学びたいという単純な理由です。
精神保健福祉士という国家資格もせっかくなら取得したいと思いました。精神保健福祉士になりたいから資格を取りたいと思ったわけではありませんが、なんといっても国家資格ですから魅力がありました。このときに社会福祉士の受験も決めました。中部学院大学の合格者実績を調べたところ、精神と社会をダブルで受験した人のほうが合格率は高いことがわかりました。精神のコースを選択すれば、社会福祉士も受験できるし、両方受けたほうが合格できる確率も上がる。それなら迷うことはないと即決でした。
精神保健福祉士という国家資格もせっかくなら取得したいと思いました。精神保健福祉士になりたいから資格を取りたいと思ったわけではありませんが、なんといっても国家資格ですから魅力がありました。このときに社会福祉士の受験も決めました。中部学院大学の合格者実績を調べたところ、精神と社会をダブルで受験した人のほうが合格率は高いことがわかりました。精神のコースを選択すれば、社会福祉士も受験できるし、両方受けたほうが合格できる確率も上がる。それなら迷うことはないと即決でした。
実習で新体験、新感覚
その後もう一つの転機、本当の転機が訪れました。3年生、4年生の実習です。それまでは精神障害について勉強しているといっても、精神障害者がそもそもどういう人たちなのかは教科書の中でしか出てきません。どんなに説明してもらっても、イメージでしかありませんでした。
実習先の一カ所は、精神科の単科の病院でした。行ってみると、自分が想像していたのとは全然違った世界でした。
一つは、当事者に対する実習担当者の対応です。人を理解する姿勢、面接の技術に感心しました。思ったのは、日本の文化といったらよいのか、日本人と日本人のかかわり方が中国人同士のかかわり方とは違うことでした。
例えば、同じようなことを表現するときも、中国人はもっとストレートに伝えます。日本の場合は、表現がやわらかかったり、あいまいだったりして、グレーなゾーンが残っている。否定もしないし肯定もしないという部分がコミュニケーションのなかに自然に存在している。これは、私が今まで学び、日本語学校で教えるまでに習得したはずの日本語がもつ、言語というよりは文化に対する初めての理解でした。
中国で生活してきた28年間は、自分のことばかり考えてというとおかしいのですが、人のために何かをしてあげたいという気持ちをもつ機会そのものがありませんでした。どちらかというと、自分のことを自分で考えて、自分を幸せにすればよいという考えでした。一人っ子政策の国で生まれ、個人主義がふつうの人間にとって、実習で目に映るものは衝撃だったのです。
もう一つは、当事者の方とのかかわりから感じたことです。自分としてはそんなに深くは考えずに「がんばってください」と気軽に声をかけたら、「言ってくれてうれしい」と、本当にうれしそうな顔で答えてくれました。自分の発言が人の人生に影響を与える、そういう職業があるんだと思いました。このとき、なんだか私もうれしくなって、“ああ、人のことを考えることによって、自分も幸せになれるんだ”、そんな感覚をもったのです。
実習先の一カ所は、精神科の単科の病院でした。行ってみると、自分が想像していたのとは全然違った世界でした。
一つは、当事者に対する実習担当者の対応です。人を理解する姿勢、面接の技術に感心しました。思ったのは、日本の文化といったらよいのか、日本人と日本人のかかわり方が中国人同士のかかわり方とは違うことでした。
例えば、同じようなことを表現するときも、中国人はもっとストレートに伝えます。日本の場合は、表現がやわらかかったり、あいまいだったりして、グレーなゾーンが残っている。否定もしないし肯定もしないという部分がコミュニケーションのなかに自然に存在している。これは、私が今まで学び、日本語学校で教えるまでに習得したはずの日本語がもつ、言語というよりは文化に対する初めての理解でした。
中国で生活してきた28年間は、自分のことばかり考えてというとおかしいのですが、人のために何かをしてあげたいという気持ちをもつ機会そのものがありませんでした。どちらかというと、自分のことを自分で考えて、自分を幸せにすればよいという考えでした。一人っ子政策の国で生まれ、個人主義がふつうの人間にとって、実習で目に映るものは衝撃だったのです。
もう一つは、当事者の方とのかかわりから感じたことです。自分としてはそんなに深くは考えずに「がんばってください」と気軽に声をかけたら、「言ってくれてうれしい」と、本当にうれしそうな顔で答えてくれました。自分の発言が人の人生に影響を与える、そういう職業があるんだと思いました。このとき、なんだか私もうれしくなって、“ああ、人のことを考えることによって、自分も幸せになれるんだ”、そんな感覚をもったのです。
資格を取る目的が変わった
実習で経験したことは私の内面を揺るがしました。そして、精神保健福祉士の資格を取りたいというより、精神保健福祉士になりたい、ワーカーになりたいという気持ちが出てきました。日本で就職しようと思ったのがこのころです。
それで始めたのが、2回目(精神保健福祉士のほう)の実習先の自己開拓でした。精神保健福祉士になろうと思ったとき、就職の希望地は横浜でした。横浜は中華街がありますし、中国からの研修生や労働者も多いので、外国人の役にも立てることを考えました。
実習先の自己開拓は難航をきわめました。横浜市内の病院はクリニックも含めてほとんどすべてに電話をかけ、ほとんどすべてに断られました。断られる理由はいろいろで、個人的な依頼は受けていないとか、なぜ中国人の方が精神保健福祉士なんですかとか、実習生がたくさんいるのでとか、うちでは受けられませんが頑張ってくださいねとか、いちいちショックを受けていたら立ち直れないくらい惨敗でした。
そんななかで唯一、精神科が入っている総合病院で「見学なら」と言ってくれたところがありました。早速伺って、見学が終わったところで、「私、どうしても精神保健福祉士になりたいんですなりたいんですなりたいんです!」と言って、「ここで実習したいんですしたいんですしたいんです! させてくださいお願いします!」とお願いしたら、「はい、わかりました」と受け入れてくれました。
大学にそのことを話したら、よくそんなことができたねと驚かれました。私としては、目標がありましたので必死でした。この横浜での実習もすごく勉強になりました。総合病院ですから合併症の方もたくさんいて、合併症があるとかかわりもまた変わってくる、いろんな視点からの援助があるのだと知りました。
こんなふうに、精神保健福祉士という目標が日ごとに明確になっていきました。
それで始めたのが、2回目(精神保健福祉士のほう)の実習先の自己開拓でした。精神保健福祉士になろうと思ったとき、就職の希望地は横浜でした。横浜は中華街がありますし、中国からの研修生や労働者も多いので、外国人の役にも立てることを考えました。
実習先の自己開拓は難航をきわめました。横浜市内の病院はクリニックも含めてほとんどすべてに電話をかけ、ほとんどすべてに断られました。断られる理由はいろいろで、個人的な依頼は受けていないとか、なぜ中国人の方が精神保健福祉士なんですかとか、実習生がたくさんいるのでとか、うちでは受けられませんが頑張ってくださいねとか、いちいちショックを受けていたら立ち直れないくらい惨敗でした。
そんななかで唯一、精神科が入っている総合病院で「見学なら」と言ってくれたところがありました。早速伺って、見学が終わったところで、「私、どうしても精神保健福祉士になりたいんですなりたいんですなりたいんです!」と言って、「ここで実習したいんですしたいんですしたいんです! させてくださいお願いします!」とお願いしたら、「はい、わかりました」と受け入れてくれました。
大学にそのことを話したら、よくそんなことができたねと驚かれました。私としては、目標がありましたので必死でした。この横浜での実習もすごく勉強になりました。総合病院ですから合併症の方もたくさんいて、合併症があるとかかわりもまた変わってくる、いろんな視点からの援助があるのだと知りました。
こんなふうに、精神保健福祉士という目標が日ごとに明確になっていきました。
受験勉強はくり返し学習
受験を意識して勉強し始めたのは、4年生の夏を過ぎたくらいからです。勉強はおもしろくて、退屈だとかつらいとか思うことはありませんでした。それはやはり私が外国人だからだと思います。日本のことに興味があって、いろんなことが新鮮で飽きることがないんです。
教材は、久美出版の「問題分析と受験対策シリーズ」をそろえました。過去問と模擬問題集です。社会福祉士のほうでは、中央法規の『見て覚える!社会福祉士国試ナビ』を、特に受験勉強の後半の時期に重宝しました。
勉強は、共通科目、精神保健福祉士の専門科目、社会福祉士の専門科目の3つを1週間単位で順々に回していく方法で進めました。共通科目であれば11科目あるので、1週間でそれほど細かいところまではできませんが、それよりも全部にほどよく、頻度は多めにすべての科目の内容にふれることを重視しました。
実は、この方法をとる前に失敗をしました。私の性格もあるのですが、わからないところがあると、関係することをどんどん調べたくなる。掘り下げて掘り下げて、気づくと国家試験からずいぶん遠ざかっている。大学の先生に聞くと、そんな問題出たことない、見たこともないと言われるのですが、絶対出ないとは言えないでしょ、今年は何が出るかわからないでしょと言って、試験とは関係ないことまで勉強していました。
でも、改めて過去の試験問題などを見るうちに、そういうやり方が間違っていて、広く浅く基本を押さえることが大事だと気づきました。専門家になるために国家試験を受けるのであって、受ける人が専門家ではないことを考えれば、受験者に対してそんなに難しいものは求めていないという当たり前の道理です。
経験からお話しすると、例えば「権利擁護」の科目が苦手だった場合に、これだけを初めに集中して勉強するというやり方はやめたほうがいいです。勉強する時間を増やせば習得できると思いますが、対時間の効率ではあまりよくないです。それよりは、しっかり覚えていなくても、適当なところで他の科目に移って、そのかわり、またその科目(権利擁護)に戻ってくる頻度を増やしたほうが効率的で、覚えもよくなります。
グループ学習に効果あり
もう一つ、効果があったのが国家試験を受ける仲間との勉強会でした。何がよかったかというと、それぞれが別々の勉強をしているなかでのお互いの質問です。
例えば、Aさんは社会保障、Bさんは現代社会と福祉、Cさんは社会調査を勉強している。こういうなかで、誰かが「○○の法律って何年の成立だっけ?」と口にすると、それぞれは別の勉強をしているので、ぱっとは答えが出てこない。でも、誰かからふと答えが出てきたりする。そうすると、まったく別の勉強をしているなかで登場したその質問と答えというのが、頭に残ります。答えがその場で出てこなくてもいいんです。何年だっけと携帯電話のインターネットで調べて何年でしたとか、答えを適当に口にしたら、Aさんは当たっていた、私は1年ずれていた、うーん悔しいとか。こういうエピソードが一緒になって、いつのまにか覚えているという感じです。ただ雑談しただけで帰ることもあって、それでもその場で出てきた勉強の話はしっかり頭に入っている。意外な効果でした。
例えば、Aさんは社会保障、Bさんは現代社会と福祉、Cさんは社会調査を勉強している。こういうなかで、誰かが「○○の法律って何年の成立だっけ?」と口にすると、それぞれは別の勉強をしているので、ぱっとは答えが出てこない。でも、誰かからふと答えが出てきたりする。そうすると、まったく別の勉強をしているなかで登場したその質問と答えというのが、頭に残ります。答えがその場で出てこなくてもいいんです。何年だっけと携帯電話のインターネットで調べて何年でしたとか、答えを適当に口にしたら、Aさんは当たっていた、私は1年ずれていた、うーん悔しいとか。こういうエピソードが一緒になって、いつのまにか覚えているという感じです。ただ雑談しただけで帰ることもあって、それでもその場で出てきた勉強の話はしっかり頭に入っている。意外な効果でした。
失敗を確信
一日あたり約10時間の勉強をコンスタントにこなし、それなりに順調に試験に臨めたと思います。そして、試験の当日。初日の精神専門科目はよかったのですが、2日目午前の共通科目で、“不合格”を確信してしまいました。「権利擁護」の失敗です。
これまで模擬テストなどで毎回の成績は悪くなく、合格ラインをはるかに超えているのがふつうでした。ただ、苦手科目があって、社会保障と権利擁護では何回も0点を取っていました。このことが気になっていました。
試験会場では絶対答え合わせするなと先生には言われていました。でも、苦手なこの2つだけは答え合わせをして安心しておきたいと思い、昼休みに大学の受験者仲間と答え合わせをしました。すると、模擬テストで毎回トップの彼女と一問も答えが合わない。Aさん、Bさんとも一問も合わない。この瞬間、すべてが終わったと思い、その場で号泣してしまいました。
泣いて泣いて、隣の席の人からはあなた静かにしてよという目で見られ、周囲からもそういう視線を感じて、周りに迷惑もかけたし午後の試験を受けても意味がないから帰ろうとしました。泣きすぎてコンタクトレンズが曇って、前が全然見えなくて、これじゃあ受けても問題解けないよという状態にもなっていました。
それでも友達が今まで頑張ってきたじゃないですかと懸命に引き留めてくれて、ダメでも最後までやろうという気になりました。コンタクトレンズが曇って文字がはっきり見えませんでしたし、どうせ落ちていると思ったので、時間も全然気になりませんでした。気が楽になったせいか、どの問題もそんなに難しくは感じられず、なんだ私コンタクト曇ってても合格できたんだと思いました。
これまで模擬テストなどで毎回の成績は悪くなく、合格ラインをはるかに超えているのがふつうでした。ただ、苦手科目があって、社会保障と権利擁護では何回も0点を取っていました。このことが気になっていました。
試験会場では絶対答え合わせするなと先生には言われていました。でも、苦手なこの2つだけは答え合わせをして安心しておきたいと思い、昼休みに大学の受験者仲間と答え合わせをしました。すると、模擬テストで毎回トップの彼女と一問も答えが合わない。Aさん、Bさんとも一問も合わない。この瞬間、すべてが終わったと思い、その場で号泣してしまいました。
泣いて泣いて、隣の席の人からはあなた静かにしてよという目で見られ、周囲からもそういう視線を感じて、周りに迷惑もかけたし午後の試験を受けても意味がないから帰ろうとしました。泣きすぎてコンタクトレンズが曇って、前が全然見えなくて、これじゃあ受けても問題解けないよという状態にもなっていました。
それでも友達が今まで頑張ってきたじゃないですかと懸命に引き留めてくれて、ダメでも最後までやろうという気になりました。コンタクトレンズが曇って文字がはっきり見えませんでしたし、どうせ落ちていると思ったので、時間も全然気になりませんでした。気が楽になったせいか、どの問題もそんなに難しくは感じられず、なんだ私コンタクト曇ってても合格できたんだと思いました。
*
絶対落ちていると思っていました。不合格を言い渡されるのを3月15日まで待っている。そんな心持ちでした。この日、私は就職が内定していた「クラブハウスはばたき」に来ていました。発表は午後2時。5分くらい前に誰かがお菓子を持ってきてくれました。インターネットで番号を見ていくと、私の番号がありました。うれしくて、胸がいっぱいになって、お菓子が食べられなくなりました。この日はごはんも食べられませんでした。すごくうれしかったです。
これから
まずは、クラブハウスはばたきの中で勉強をして、ワーカーとして一人前になることが目標です。将来的には、中国の同じ分野の人たちと交流ができる架け橋になれたらいいなと思います。日本のことを中国の人にいっぱい知ってもらいたいですし、中国もきっと日本のことを知りたいんだと思います。
そんな私の目標とあわせて、一つお知らせをさせていただきます。日本に5カ所あるクラブハウスからなる日本クラブハウス連合が「第1回日本クラブハウス会議」を開催します。大会の期日は9月21日(土)、22日(日)の2日間。場所は、明治学院大学白金キャンパス(東京都港区)です。大会当日は1スタッフとして動き回っていると思います。ご参加いただけたらうれしいです。
そんな私の目標とあわせて、一つお知らせをさせていただきます。日本に5カ所あるクラブハウスからなる日本クラブハウス連合が「第1回日本クラブハウス会議」を開催します。大会の期日は9月21日(土)、22日(日)の2日間。場所は、明治学院大学白金キャンパス(東京都港区)です。大会当日は1スタッフとして動き回っていると思います。ご参加いただけたらうれしいです。
「クラブハウスはばたき」のミーティング風景です