国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。
第31回 加藤奈央子(かとう・なおこ)さん
平成18年度試験合格
プロフィール
受験の動機
おばあちゃん子だったこと、気管支が弱くて幼少時は病院で長く過ごし周りの人にお世話になったこと、民生委員さんと出会ったこと、福祉に“人を幸せにする”という意味があると聞かされたこと。これらいろんなことが相まってもたらされた「福祉」に対するイメージがよいものだったことが、きっかけといえばきっかけです。
精神保健福祉士を目指そうと思ったのは、大学に入ってからです。子どもが好きなので保育士もいいなあと思っていました。プロフィールに入れていただいた“恩師”は、寺谷隆子先生(現・社会福祉法人JHC板橋会理事)です。パートナーシップを大切にソーシャルワーカーは人生の伴走者としてともに歩んでいくんだとか、その方の人生の物語を教えていただくんだとか、そういう話を聴いていて、あったかみのある先生だな、小柄だけどすごい存在感だな、先生の言ってることってたしかにそうかもと、どんどん惹きこまれていきました。私がクラブハウスモデルの事業所で勤務したいと思ったのも、寺谷先生の影響が少なくありません。
同じくプロフィールの“理不尽な出来事”とは、大学2年のときのことです。ホームヘルパー2級を取得しようと通っていた講座で出会った男性が精神疾患の診断を受けていました。恋人がいて、あるときその彼女に病気のことを打ち明けたらいい顔をされず、このままつき合っていけるかわからないと言われたと聞きました。長くつき合っていても、その病名を聞いただけで今までのことが全部なかったかのようにされてしまう。「あたりまえ」に暮らせなくなってしまう。なんか悔しさみたいなのがあって、そういうのが少しでもなくなればいいなと思い、精神保健福祉の分野に気持ちが向いていきました。
日本社会事業大学の社会福祉学部は、ほぼ全員が社会福祉士を受験しますので、社会福祉士は受けるものと思っていました。3年になったときはダブル受験を決めていました。
精神保健福祉士を目指そうと思ったのは、大学に入ってからです。子どもが好きなので保育士もいいなあと思っていました。プロフィールに入れていただいた“恩師”は、寺谷隆子先生(現・社会福祉法人JHC板橋会理事)です。パートナーシップを大切にソーシャルワーカーは人生の伴走者としてともに歩んでいくんだとか、その方の人生の物語を教えていただくんだとか、そういう話を聴いていて、あったかみのある先生だな、小柄だけどすごい存在感だな、先生の言ってることってたしかにそうかもと、どんどん惹きこまれていきました。私がクラブハウスモデルの事業所で勤務したいと思ったのも、寺谷先生の影響が少なくありません。
同じくプロフィールの“理不尽な出来事”とは、大学2年のときのことです。ホームヘルパー2級を取得しようと通っていた講座で出会った男性が精神疾患の診断を受けていました。恋人がいて、あるときその彼女に病気のことを打ち明けたらいい顔をされず、このままつき合っていけるかわからないと言われたと聞きました。長くつき合っていても、その病名を聞いただけで今までのことが全部なかったかのようにされてしまう。「あたりまえ」に暮らせなくなってしまう。なんか悔しさみたいなのがあって、そういうのが少しでもなくなればいいなと思い、精神保健福祉の分野に気持ちが向いていきました。
日本社会事業大学の社会福祉学部は、ほぼ全員が社会福祉士を受験しますので、社会福祉士は受けるものと思っていました。3年になったときはダブル受験を決めていました。
思い立ったのは3年の夏、始めたのは4年の12月
受験勉強に本腰を入れて取り掛かったのは、大学4年の12月です。試験勉強をやるぞと思ったのは早かったです。3年の夏でした。実は、模擬試験も3年から受験していました。絶対受かるんだとモチベーションも十分でした。
ところが、まったく手つかずになりました。3年の秋から社会福祉士の実習、報告会、報告書がずらっと入ってきて、4年の夏には精神保健福祉士の実習です。実習後に、もともと予定していた卒論のテーマを一から変更したことも影響して、9月から11月の終わりごろまで丸3カ月は実習関係の諸々と卒論の調査、論文作成にすべてをかける状況でした。
就職先を一般企業に考えていたこともあり、3年の後半は就職活動の慌ただしさもありました。一般企業への就職を考えたのは、福祉以外の世界での見聞を広めたかったからです。大学は福祉に専門特化されたところで、このまま福祉の現場に行ったら世界が狭いかな、もったいないかなと思いました。違う業界のことを知っておきたいし、ビジネスマナーや他業界の感覚も学びたいと思いました。それと、一般企業でメンタルヘルスや障害者雇用に関することにかかわってみたいと思いました。
その時々に最優先にやらなくてはならないことがあって、ようやく片付いたと思ったら12月。周りからは、まずいよやばいよという声が聞かれ、ついにスタートラインに立ったのでした。
ところが、まったく手つかずになりました。3年の秋から社会福祉士の実習、報告会、報告書がずらっと入ってきて、4年の夏には精神保健福祉士の実習です。実習後に、もともと予定していた卒論のテーマを一から変更したことも影響して、9月から11月の終わりごろまで丸3カ月は実習関係の諸々と卒論の調査、論文作成にすべてをかける状況でした。
就職先を一般企業に考えていたこともあり、3年の後半は就職活動の慌ただしさもありました。一般企業への就職を考えたのは、福祉以外の世界での見聞を広めたかったからです。大学は福祉に専門特化されたところで、このまま福祉の現場に行ったら世界が狭いかな、もったいないかなと思いました。違う業界のことを知っておきたいし、ビジネスマナーや他業界の感覚も学びたいと思いました。それと、一般企業でメンタルヘルスや障害者雇用に関することにかかわってみたいと思いました。
その時々に最優先にやらなくてはならないことがあって、ようやく片付いたと思ったら12月。周りからは、まずいよやばいよという声が聞かれ、ついにスタートラインに立ったのでした。
ワークブック、養成講座、過去問の順
受験勉強は、中央法規さんのワークブック(『精神保健福祉士受験ワークブック(専門科目編)』『社会福祉士受験ワークブック(専門科目編)』『社会福祉士・精神保健福祉士受験ワークブック(共通科目編)』)をひたすらやりました。ワークブックでわからないときは、科目ごとに一冊ずつ分かれている中央法規さんの教科書(『新・精神保健福祉士養成講座』専門科目全9巻、『新・社会福祉士養成講座』全21巻)を使いました。学校に行くと、すべて揃っているので、わかるまで調べてノートに書き込んで理解するようにして、それでもわからないときは、友達と訊きあいました。
過去問(『精神保健福祉士国家試験過去問解説集』『社会福祉士国家試験過去問解説集』)は1月に入ってから着手しました。とにかく時期が押し迫っていたので、問題を解いてみて答えが合っていたら、よし大丈夫、はい次という感じで進め、解説などもわかるのは飛ばしていきました。
過去問(『精神保健福祉士国家試験過去問解説集』『社会福祉士国家試験過去問解説集』)は1月に入ってから着手しました。とにかく時期が押し迫っていたので、問題を解いてみて答えが合っていたら、よし大丈夫、はい次という感じで進め、解説などもわかるのは飛ばしていきました。
友達との勉強発表会が楽しく、役に立った
勉強は基本的に大学でやりました。家でやると眠くなってしまうのと、入学したときから仲のよかったグループの子が十数人いて、意外と勉強が進んでいない子が多かったので、みんなで自習室を借りて勉強しようとなりました。朝9時くらいに学校に行って、ごはんを食べるとき以外は教室にこもった状態です。図書館は夜の12時まで使えるので、閉まるまで勉強していた日もありました。
勉強方法で役に立ったし面白いとも思ったのは、自習室を使った友達との勉強発表会です。私は原論とか、私は保障論とか、それぞれ科目を分担して、数日間それぞれ担当の科目を猛勉強するんです。その発表の日をつくって、担当者がその科目の要点を説明したり、わからないところの質問を受けて答えたり、担当者も理解があいまいな部分をみんなで教えあったり。覚えにくかったところもすっと頭に入ってきて、すごくよかったです。
勉強方法で役に立ったし面白いとも思ったのは、自習室を使った友達との勉強発表会です。私は原論とか、私は保障論とか、それぞれ科目を分担して、数日間それぞれ担当の科目を猛勉強するんです。その発表の日をつくって、担当者がその科目の要点を説明したり、わからないところの質問を受けて答えたり、担当者も理解があいまいな部分をみんなで教えあったり。覚えにくかったところもすっと頭に入ってきて、すごくよかったです。
短期決戦、使える時間はすべて勉強に
12月の半ばから1月末の試験まで、1カ月ちょっとの期間に詰め込めるだけ詰め込みました。1日あたり14〜15時間はやっていたと思います。年末年始2日くらいは勉強を休みましたが、移動時間も無駄にはできず、教材は常に持ち歩いていました。無意識のうちに歴史の暗唱(たとえば「行く行く精神病院」1919年:精神病院法制定、など)をしていることもあって、駅で面識のない方に、ぶつぶつしゃべってるよと声をかけられることもありました(笑)。
お正月は友達と湯島天神に行き、必勝祈願の鉛筆も買って合格を祈りました。正月明けは、学校に行く時間ももったいなくなっていたのと、友達もがっちり勉強に集中する状況に入っていたので、週に2日くらい学校に行き、それ以外は喫茶店や図書館で勉強しました。
試験が迫ってからは、勉強する時間帯を朝方に変えました。3時くらいに起きて、夜は11時か遅くても12時には寝るようにしました。レム睡眠とノンレム睡眠のサイクルで1時間半の単位で睡眠をとるとよいとも聞いていたので、3時間きっかりの睡眠で起床したりもしました。
お正月は友達と湯島天神に行き、必勝祈願の鉛筆も買って合格を祈りました。正月明けは、学校に行く時間ももったいなくなっていたのと、友達もがっちり勉強に集中する状況に入っていたので、週に2日くらい学校に行き、それ以外は喫茶店や図書館で勉強しました。
試験が迫ってからは、勉強する時間帯を朝方に変えました。3時くらいに起きて、夜は11時か遅くても12時には寝るようにしました。レム睡眠とノンレム睡眠のサイクルで1時間半の単位で睡眠をとるとよいとも聞いていたので、3時間きっかりの睡眠で起床したりもしました。
微妙だった共通科目をクリア、念願のダブル合格
試験の手応えは微妙でした。精神の専門と社会の専門は変に自信がありましたが、共通科目はやっぱり難しく、見たこともない内容の問題も出ていました。解答速報で答え合わせはしましたが、自分がどちらの選択肢を選んだのかがわからない状態になっている問題もあって、完全には自己採点できませんでした。
ただ、合格できなかったとしても行く会社は決まっていたので、ダメだったらまた来年受けようと思いました。なかなか定まらない心持ちで発表の日を待ち、結果はどちらも合格。うれしかったですし、ほっとしました。
ただ、合格できなかったとしても行く会社は決まっていたので、ダメだったらまた来年受けようと思いました。なかなか定まらない心持ちで発表の日を待ち、結果はどちらも合格。うれしかったですし、ほっとしました。
一般企業を経て、「クラブハウスForUs」へ
私は大学を卒業後、一般企業に4年半勤めました。企業の人事でメンタルヘルスにかかわる仕事がしたいと思い、とにかく人事担当を志望しました。介護事業も行っている会社で、福祉とも接点はありました。新卒採用、障害者雇用、外国人採用、パート採用、メンタルヘルス……、さまざまなことを経験させていただいて、福祉の現場に行こうと思いました。
クラブハウスモデルを実践している事業所が千葉の市川市にあることは、大学時代から知っていて、寺谷先生や先輩や後輩の影響もあり、ずっと働いてみたい場所でした。今働いていて、この仕事は人の人生にかかわる仕事であることをすごく感じています。その重みや、クラブハウスモデルの素敵な点、その反面にある難しさなど日々いろいろなことに直面しています。悩むときも少なからずありますが、そういうときにスタッフやメンバーという立場を越えて、相談にのってくれたり、手を差し伸べてくれたり……。そんなあたたかい「ForUs」が大好きです。
障害があってもなくても、どんな人でも自分の地域で当たり前の暮らしができる。そういう場所を地元でもつくっていくのが今の目標です。
クラブハウスモデルを実践している事業所が千葉の市川市にあることは、大学時代から知っていて、寺谷先生や先輩や後輩の影響もあり、ずっと働いてみたい場所でした。今働いていて、この仕事は人の人生にかかわる仕事であることをすごく感じています。その重みや、クラブハウスモデルの素敵な点、その反面にある難しさなど日々いろいろなことに直面しています。悩むときも少なからずありますが、そういうときにスタッフやメンバーという立場を越えて、相談にのってくれたり、手を差し伸べてくれたり……。そんなあたたかい「ForUs」が大好きです。
障害があってもなくても、どんな人でも自分の地域で当たり前の暮らしができる。そういう場所を地元でもつくっていくのが今の目標です。