国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。
第30回 A.Oさん
—プロフィール—
東京都内の大学文学部卒。山梨県出身。高校時代に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症。服薬治療を何年と継続していくなかで、ほかにも何か方法があるのではないか、自分自身の病気のことや障害にかかわる制度のことをもっと知ったら、今の生活が変わるのではないかとの思いを募らせ、大学卒業を前にした時期に、それらのことが学べる精神保健福祉士の専門課程に進むことを決意した。大学の通信教育科に入学し、勉強するうちに資格取得が目標になっていった。初めて学ぶ分野だったが、所定の2年課程を修めて平成22年(平成21年度試験)に見事合格。就職活動をする前にアルバイトで働く感覚・体験を養い、同年9月に山梨県内の精神科病院に就職。デイケア勤務を経て、医療相談室に所属し、現在は精神障害者アウトリーチ推進事業の在宅訪問も兼務している。趣味はピアノ、書道、手芸、編み物、お菓子作り。最近ではマンドリンも。好きなものはスイーツ。今はまっているのはマカロン。それと動物、特に犬が好き。きらいなのは、人に強制されること。「病気の経験は、いろんなことに活かせる強みと思っています。自分で判断してどんどん動けるワーカーになりたい」とはっきりと目標を見据える29歳。
受験の動機
いきなり資格を取って働きたいと思ったわけではなくて、専門の勉強をしたいと思ったのがきっかけでした。精神科にかかっていると、病院の窓口で、「今月は上限に達したので、会計はいりませんよ」とか「薬だけもらっていってください」とか言われている方がいる。私は3割負担で毎週受診して月に何万円という医療費がかかるのに、まったくお金がかからない人がいるのはどうしてなんだろうと思いました。病院にかかっていながら、自立支援医療の制度があることも知らなくて、手帳(精神障害者保健福祉手帳)のことも耳にはしていてもそれがどういうものかはわかっていない。もちろん、病院の中にワーカーがいることも知りませんでした。
高校時代から大量の薬を飲んでいて、何かほかにもやり方があるのではないか、専門の勉強をしたらわかることがあるのではないかと思い続けながら、大学に通いました。体調が悪かったり薬を飲んで動けなくなったりすることが多く、卒業に6年かかりました。
卒業するときに、このまま就職するのは何か違う、今の自分の状態に関係する分野を勉強したいと思いました。当時、私はワーカー(ソーシャルワーカー)がいることを知らなかったので、ネットで検索したら「精神保健福祉士」という資格を見つけました。精神保健福祉士の仕事が紹介されている本を買って読み、この資格の勉強をしたら何かわかるかもしれないと思い、精神保健福祉士の資格を取れる学校を探しました。通学はこれまでの経過から難しかったので、通信教育をもっているいちばん近い学校の通信教育課程に進みました。
高校時代から大量の薬を飲んでいて、何かほかにもやり方があるのではないか、専門の勉強をしたらわかることがあるのではないかと思い続けながら、大学に通いました。体調が悪かったり薬を飲んで動けなくなったりすることが多く、卒業に6年かかりました。
卒業するときに、このまま就職するのは何か違う、今の自分の状態に関係する分野を勉強したいと思いました。当時、私はワーカー(ソーシャルワーカー)がいることを知らなかったので、ネットで検索したら「精神保健福祉士」という資格を見つけました。精神保健福祉士の仕事が紹介されている本を買って読み、この資格の勉強をしたら何かわかるかもしれないと思い、精神保健福祉士の資格を取れる学校を探しました。通学はこれまでの経過から難しかったので、通信教育をもっているいちばん近い学校の通信教育課程に進みました。
教科ごとのテキストをわかるまで読み込む
通信教育科に入学すると、精神保健福祉士の専門科目と共通科目の教科ごとのテキストがどっさり送られてきました。もともと専門の勉強がしたくて入った道でしたから、うわっという抵抗はなくて、テキストを大事に読み進めていきました。ただ、私にとっては初めての分野なので、見る単語は初めて目にするものばかりで、なんのことを言っているのかさっぱりわかりません。大学から参考図書が一覧で案内されていたので、用語辞典や医学、制度の本などを購入して、ちょっとでもわからない単語が出てきたら他の文献で調べる、わからないことがあるとわかるまで調べる、これらを書いて整理していました。
通信教育でしたが、私は働いていなかったので、やろうと思えばいくらでもできる時間がありました。納得するまで読むということを日頃からやっていたので、レポートの作成ともあわせて行うこれらの勉強が基礎固めになってくれたと思います。
通信教育でしたが、私は働いていなかったので、やろうと思えばいくらでもできる時間がありました。納得するまで読むということを日頃からやっていたので、レポートの作成ともあわせて行うこれらの勉強が基礎固めになってくれたと思います。
スクーリングで知り合った友達と情報交換
大学に行く機会は、年1回のスクーリングが8日間。1年目、2年目それぞれにありました。日数は少ないですが、スクーリングで知り合った友達とは、ふだんからメールでやりとりをしていました。今こういうことやってるよとか、レポート返ってきたねとか、この問題集買ってみたけどけっこういいよとか。勉強の進み具合も確認しあったりして、貴重な交流になっていました。
受験対策用の教材として私が購入したのは、中央法規出版のワークブック(『精神保健福祉士国家試験受験ワークブック(専門科目編)』『社会福祉士・精神保健福祉士国家試験受験ワークブック(共通科目編)』)と過去問(『精神保健福祉士国家試験過去問解説集』)でした。
受験対策用の教材として私が購入したのは、中央法規出版のワークブック(『精神保健福祉士国家試験受験ワークブック(専門科目編)』『社会福祉士・精神保健福祉士国家試験受験ワークブック(共通科目編)』)と過去問(『精神保健福祉士国家試験過去問解説集』)でした。
通信2年目の9月から本格始動
受験勉強を本格的に始めたのは、2年目の9月からです。担当教諭に9月から始めなさいと言われていたので、9月1日から始めました。勉強方法は、ワークブックを順に読んでいって、科目ごとの最後にある一問一答形式の問題を解き、間違えたところやよくわからないところは解説に遡り、ひたすら書いて理解する。そのあと過去問を解いて、できなかったところは同じように解説に遡って、書いて覚える。このくり返しです。基礎の勉強がテキストの読み込みである程度できていたようで、わりとスムーズな出だしでした。
3週間にわたり一睡もせず試験本番
ところが、10月に体調を崩して入院することになってしまいました。12月の中旬まで入院し、退院してからも体調が悪くてなかなか起きていられない状態でした。年末まではまったく勉強ができず、ようやく勉強を再開できたのは1月に入ってからでした。
すると、今度は眠れなくなりました。一睡もできない状態です。どうしようと思いましたが、ここで開き直りました。切羽詰まってもいたので、眠れないのなら勉強不足もあるので勉強していればいいやと思い、ひたすら机に向かいました。一日3時間だけは眠れなくても体を横にして休み、それ以外は起きていました。疲れれば眠れるかなとも思いましたが、眠れなくなった1月8日から国家試験が終了する1月末まで、本当に一睡もできませんでした。横になっている3時間を除くと、食事とお風呂以外で1日19時間は勉強していました。
幸いなのか、眠っていなくても思考能力が落ちることはありませんでした。試験当日もまったく寝ていない状態で会場に向かいましたが、意外に元気でした。
すると、今度は眠れなくなりました。一睡もできない状態です。どうしようと思いましたが、ここで開き直りました。切羽詰まってもいたので、眠れないのなら勉強不足もあるので勉強していればいいやと思い、ひたすら机に向かいました。一日3時間だけは眠れなくても体を横にして休み、それ以外は起きていました。疲れれば眠れるかなとも思いましたが、眠れなくなった1月8日から国家試験が終了する1月末まで、本当に一睡もできませんでした。横になっている3時間を除くと、食事とお風呂以外で1日19時間は勉強していました。
幸いなのか、眠っていなくても思考能力が落ちることはありませんでした。試験当日もまったく寝ていない状態で会場に向かいましたが、意外に元気でした。
発表を見て、体がほわっと熱くなった
試験の手応えはまずまずでした。私が受験した年は、カリキュラムの変更により試験のときから科目名が変わっていたのでそれが気になったのと、1科目でも0点だと不合格になってしまうのでそれが気がかりでしたが、解答速報の確認では、専門科目も不安だった共通科目も点数はとれていました。
合格を知ったときはうれしかったです。発表前はすごくどきどきして、携帯を持ったまま、はらはらしていました。そのとき私はデイケアに通っていて、発表時間はプログラム中だったので、どこで見ようかなと場所を探して、こっそり見ました。自分の番号を見つけたとき、体がほわっと熱くなりました。あったと。体がぽかぽかしてきたのをよく覚えています。
合格を知ったときはうれしかったです。発表前はすごくどきどきして、携帯を持ったまま、はらはらしていました。そのとき私はデイケアに通っていて、発表時間はプログラム中だったので、どこで見ようかなと場所を探して、こっそり見ました。自分の番号を見つけたとき、体がほわっと熱くなりました。あったと。体がぽかぽかしてきたのをよく覚えています。
アルバイトで働く経験をして、希望の職へ
試験に合格した当時は、就職先が決まっていませんでした。地元の山梨県内にこれという求人がなかったこと、また私自身に働いた経験がなく、就職する前にどこかで働く経験をしたほうがいいと大学の先生からアドバイスをもらっていたことから、求人を待つ形で回転寿司のチェーン店でアルバイトをしました。
キッチンだったのでかなり忙しくて大変でしたが、1日4時間から5時間のパート勤務をこなしました。アルバイトをしているなかで山梨県内の精神科病院から求人が出され、就職試験を受けたのが8月です。採用が決まって平成22年9月から勤め始めました。
就職試験の面接で、院長から、病気の経験はあなたにとってどんなものですかと尋ねられました。私は「強みです」と答えました。強みという言葉は、ピアノが弾けるとかクッキーを焼けるとか、自分の中の特技と同じような意味合いでした。
私は病気の経験がこれからいろんなことに活かせると思っています。自分の体調を気遣いながら、入院にならないように仕事を長く続けたいと思っています。先輩のように、自分で判断してどんどん動けるワーカーになることが目標です。
キッチンだったのでかなり忙しくて大変でしたが、1日4時間から5時間のパート勤務をこなしました。アルバイトをしているなかで山梨県内の精神科病院から求人が出され、就職試験を受けたのが8月です。採用が決まって平成22年9月から勤め始めました。
就職試験の面接で、院長から、病気の経験はあなたにとってどんなものですかと尋ねられました。私は「強みです」と答えました。強みという言葉は、ピアノが弾けるとかクッキーを焼けるとか、自分の中の特技と同じような意味合いでした。
私は病気の経験がこれからいろんなことに活かせると思っています。自分の体調を気遣いながら、入院にならないように仕事を長く続けたいと思っています。先輩のように、自分で判断してどんどん動けるワーカーになることが目標です。