ケアサービスを提供するうえで、鍵となる“記録”。その役割を再確認し、実践に活かすにはどうしたらよいか、考えてみましょう。本連載では、施設における“記録”を取り上げていきます。
第11回 他者に伝える(4)
情報共有の“Key Word”『主観的表現』
第8回から「他者に伝える」をテーマに、確実に情報を共有するためのポイントをご説明してきましたが、その根幹をなしている鉄則が「根拠が明白な『事実』を残していくこと」だということはご理解いただけたでしょうか?
記録を残す上で、至極あたりまえのことなのですが、いざ自分で記録を残し、他者に伝えようとすると、この当たり前の事が意外とできておらず、他者との摩擦や誤解が生じてしまうことも多いものです。皆さんの現場での体験でも、そういうことが誘因となったトラブルや、ちょっとした行き違いが結構存在するのではないでしょうか。
記録を残す上で、至極あたりまえのことなのですが、いざ自分で記録を残し、他者に伝えようとすると、この当たり前の事が意外とできておらず、他者との摩擦や誤解が生じてしまうことも多いものです。皆さんの現場での体験でも、そういうことが誘因となったトラブルや、ちょっとした行き違いが結構存在するのではないでしょうか。
「主観的表現」はすぐそこにある落とし穴
そういったトラブルの中でも結構な割合を占めるのが、今回取り上げる「主観的表現」というものです。この「主観的表現」は、記録を書き慣れていない新人や、非常勤勤務の従事者に多く見られる不適切な記録の例なのですが、ベテランの従事者(サービス提供者)でも、「根拠が明白な『事実』を伝える」という「記録の鉄則」についての十分な理解がないと、犯してしまいがちな「誤り」の一例です。
例えば、利用者に対して「わがままで短気だ」という評価(?)を記録として残したとします。さて、この「わがままで、短気」というのは果てして「事実」なのでしょうか?また、それを「明白な事実」とする「根拠(証拠)」は存在するのでしょうか?
この記録を残した従事者が、相対的にそのように感じたから、また、言動からそう思ったからというのは、「根拠」とはなり得ません。なぜなら、利用者が「わがままで短気」なのは、その利用者が元来持っている気質ではなく、それに相対している従事者(サービス提供者)のコミュニケーション技術の未熟、または接遇における配慮の欠如から来る「批判」なのかもしれないからです。もしそうであれば、提供者側の能力(スキル)不足がその要因にあるのに、いかにも利用者側に問題があるような記載をしてしまっている恐れがあるのです。
例えば、利用者に対して「わがままで短気だ」という評価(?)を記録として残したとします。さて、この「わがままで、短気」というのは果てして「事実」なのでしょうか?また、それを「明白な事実」とする「根拠(証拠)」は存在するのでしょうか?
この記録を残した従事者が、相対的にそのように感じたから、また、言動からそう思ったからというのは、「根拠」とはなり得ません。なぜなら、利用者が「わがままで短気」なのは、その利用者が元来持っている気質ではなく、それに相対している従事者(サービス提供者)のコミュニケーション技術の未熟、または接遇における配慮の欠如から来る「批判」なのかもしれないからです。もしそうであれば、提供者側の能力(スキル)不足がその要因にあるのに、いかにも利用者側に問題があるような記載をしてしまっている恐れがあるのです。
「主観的表現」はなぜダメなのか
これでは「根拠が明白な『事実』」であるとは言えません。このような記録を他の従事者に伝えた場合、その従事者がその利用者と面識がなく、その記録を「事前の情報」として入手したら、注意をしていても、どうしても先入観が邪魔をしてしまい、適切なサービス(処遇)ができなくなってしまう可能性も存在します。また、多少口調が厳しく、要求が多い利用者であるという「事実」があったにしても、かかわり方やかかわる者によっては、その姿が「わがままや短気」ではなく、「主張がはっきりしていて、かかわりやすい」と映るかもしれません。
このように、従事者次第で「事実」が“正”と“負”の全く異なる情報になる可能性があるものは、記録として成立しません。「主観的表現」は、そうなる可能性が高く、避けなければなりません。
「わがままで短気」という「主観的表現」が示された記録は、もし、利用者側から「開示」を求められた場合、“負”の情報として残した「根拠」を説明のしようがないばかりか、トラブルが大きくなるのは必定です。リスクマネジメントの視点からも避けなければならない表現です。気をつけてください。
この点については、リスクマネジメントについて説明する機会に改めて取り上げます。
このように、従事者次第で「事実」が“正”と“負”の全く異なる情報になる可能性があるものは、記録として成立しません。「主観的表現」は、そうなる可能性が高く、避けなければなりません。
「わがままで短気」という「主観的表現」が示された記録は、もし、利用者側から「開示」を求められた場合、“負”の情報として残した「根拠」を説明のしようがないばかりか、トラブルが大きくなるのは必定です。リスクマネジメントの視点からも避けなければならない表現です。気をつけてください。
この点については、リスクマネジメントについて説明する機会に改めて取り上げます。