ケアサービスを提供するうえで、鍵となる“記録”。その役割を再確認し、実践に活かすにはどうしたらよいか、考えてみましょう。本連載では、施設における“記録”を取り上げていきます。
第7回 改めて「他者の目」を意識する
「第2回 記録を残す」で、「適切な記録を残し、他のメンバーと『共有』すること」が「記録」の目的だとお伝えしました。これは、ケアサービス全般に共通して言えることなのですが、特に「施設ケア」においては「共有」が大切であることは、皆さんも日常の業務(サービス)を通じて切に感じておられることだと思います。
しかし、この他者との「共有」がなかなか厄介な存在です。自分では上手く伝えたつもりなのに、伝わらなかったり、逆に他人からの「情報」を歪めて「受信」してしまったり、トラブルに発展することもしばしば見受けられるのです。
しかし、この他者との「共有」がなかなか厄介な存在です。自分では上手く伝えたつもりなのに、伝わらなかったり、逆に他人からの「情報」を歪めて「受信」してしまったり、トラブルに発展することもしばしば見受けられるのです。
「他者の目」に触れることを意識していますか?
お互いに、幼い頃から日常生活の中で用いている「日本語」を媒体としているのに、なぜこのような「困難性」が生じるのでしょうか。それは、主に「書き手(情報発信者)」が「読み手(情報受信者)」のことを意識せずに、記録を残しているための弊害だと思われます。
このように表現すると、「私は常に『伝えること』を意識して残している」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
そう思われたあなた、あなたが残した記録は「介護日記」になっていませんか? それも、自分自身のことを記した日記ではなく、利用者の日常の出来事を「他人」であるあなたが残したという全く奇妙な「ノンフィクション」が毎日着々と作成されていませんか?
(「ノンフィクション」ならまだいいのですが、最悪の場合、介護者が勝手に作った「フィクション(空想物語)」が「記録」として残されていることもあるのです…)
「日記」というものは、基本的に「他者」の目に触れることを想定せずに残されるものです。しかしながら、ケアサービスに必要な「記録」は常に「他者の目」に触れることを意識して残していかなければなりません。この点が、「日記」と「記録」の違いです。
「他者」には、「未来の自分」も含まれています。つまり、いついかなる時でも「記録」を確認することによって、自分が行ったサービスを正確に、詳細に、「説明」できなければなりません。さらに、この「他者」には、近年「第三者」も含まれてきているということは、前回までの【事案1】【事案2】で示した通りです。
このように表現すると、「私は常に『伝えること』を意識して残している」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
そう思われたあなた、あなたが残した記録は「介護日記」になっていませんか? それも、自分自身のことを記した日記ではなく、利用者の日常の出来事を「他人」であるあなたが残したという全く奇妙な「ノンフィクション」が毎日着々と作成されていませんか?
(「ノンフィクション」ならまだいいのですが、最悪の場合、介護者が勝手に作った「フィクション(空想物語)」が「記録」として残されていることもあるのです…)
「日記」というものは、基本的に「他者」の目に触れることを想定せずに残されるものです。しかしながら、ケアサービスに必要な「記録」は常に「他者の目」に触れることを意識して残していかなければなりません。この点が、「日記」と「記録」の違いです。
「他者」には、「未来の自分」も含まれています。つまり、いついかなる時でも「記録」を確認することによって、自分が行ったサービスを正確に、詳細に、「説明」できなければなりません。さらに、この「他者」には、近年「第三者」も含まれてきているということは、前回までの【事案1】【事案2】で示した通りです。
「日記」ではなく「記録」を残すには?
「他者の目」を意識して「記録」を残すには、多少の「ルール(原則)」や「テクニック(技術)」が必要で、ケアサービスに従事する者には、その習得が求められています。次回から、その点について、一つずつ、ご紹介していきたいと思います。