ケアサービスを提供するうえで、鍵となる“記録”。その役割を再確認し、実践に活かすにはどうしたらよいか、考えてみましょう。本連載では、施設における“記録”を取り上げていきます。
第9回 他者に伝える(2)
情報共有の“Key Word”『伝聞推量』
「記録」が、他者と「共有」できない、伝わらない理由として、「根拠が明白でない」という要因が挙げられます。情報としての「記録」の根拠が明白でなければ、その内容の真偽が、読み手(情報受信者)には判断できず、読み手が困惑することになります。さらには、その後のサービス等に支障を来たすことも予測できます。
このように「根拠が明白でない記録」というものは、「共有」という目的を阻むものとして是非とも避けなければなりませんが、現場では、けっこう無意識に用いられ、様々なトラブルやリスクを引き起こす誘因となっているようです。
このように「根拠が明白でない記録」というものは、「共有」という目的を阻むものとして是非とも避けなければなりませんが、現場では、けっこう無意識に用いられ、様々なトラブルやリスクを引き起こす誘因となっているようです。
「○○のようだ」という表現
その一つの例が、「○○のようだ」という記載、つまり「伝聞推量」の形を用いた記録です。「○○のようだ」という「伝聞推量」で伝えられた情報は、一見すると、書き手(情報発信者)が、利用者の様子等をよく見て伝えた情報のようですが、これだけで済ませている「記録」は、他者との「共有」を第一義とする「記録」においては、全く使えない代物であることを十分ご理解ください。
例えば、「熱があるようだ」もしくは「痛みがあるようだ」という「記録」が残してあったとします。おそらく書き手は、利用者の所作や様子から異変を感じ取り、この記録を残したと思われます。しかも、この異変は、常日頃その利用者と係っている者が、細心の注意を払ったからこそ発見できたものだろうという想像がつきます。
そうであれば、これこそ、ケアサービスのプロが、専門職としての“仕事の証”として残した「記録」と言えそうなのですが、これがくせものなのです。
例えば、「熱があるようだ」もしくは「痛みがあるようだ」という「記録」が残してあったとします。おそらく書き手は、利用者の所作や様子から異変を感じ取り、この記録を残したと思われます。しかも、この異変は、常日頃その利用者と係っている者が、細心の注意を払ったからこそ発見できたものだろうという想像がつきます。
そうであれば、これこそ、ケアサービスのプロが、専門職としての“仕事の証”として残した「記録」と言えそうなのですが、これがくせものなのです。
プロとしての気づきが無駄になる可能性も
「熱」や「痛み」があるという、利用者からの言葉にならない“サイン”に気付き、これを「記録」に残したまではよいのですが、この後はどうなったのでしょうか? 異変に気付いただけで、その後は放置してしまったのでしょうか?
自分は、介護職であって、医療職ではない、だから「熱」や「痛み」の処置については自分の領域ではないから「記録」として残すことはできないということでしょうか?
もしそうであれば、これはケアサービスのプロとしての“仕事の証”ではなく、逆に職務怠慢の証、それどころか利用者に対する「虐待」の証ということすらできます。
また、この「熱があるようだ」、「痛みがあるようだ」という情報だけであれば、この「熱」や「痛み」という情報が、医療を領域としていない者の、何の根拠もない、私的な判断(単なる思い込み)としか評価されず、「記録」として成立しない恐れもあります。
しかし、この「記録」が残された現場において、事実は決してそうではなく、この後、サービス提供に結び付けて適切な対応が行われているはずです。だからこそ、「伝聞推量」で「記録」を済ませてはいけないのです。 「伝聞推量」の形でしか「記録」が残されていなければ、その記載事実の根拠が明白ではなく、読み手に誤解を与えてしまう可能性があります。プロとしての気づきを無駄にせず、“仕事の証”をしっかり残すためにも「伝聞推量」は使うべきではありません。
自分は、介護職であって、医療職ではない、だから「熱」や「痛み」の処置については自分の領域ではないから「記録」として残すことはできないということでしょうか?
もしそうであれば、これはケアサービスのプロとしての“仕事の証”ではなく、逆に職務怠慢の証、それどころか利用者に対する「虐待」の証ということすらできます。
また、この「熱があるようだ」、「痛みがあるようだ」という情報だけであれば、この「熱」や「痛み」という情報が、医療を領域としていない者の、何の根拠もない、私的な判断(単なる思い込み)としか評価されず、「記録」として成立しない恐れもあります。
しかし、この「記録」が残された現場において、事実は決してそうではなく、この後、サービス提供に結び付けて適切な対応が行われているはずです。だからこそ、「伝聞推量」で「記録」を済ませてはいけないのです。 「伝聞推量」の形でしか「記録」が残されていなければ、その記載事実の根拠が明白ではなく、読み手に誤解を与えてしまう可能性があります。プロとしての気づきを無駄にせず、“仕事の証”をしっかり残すためにも「伝聞推量」は使うべきではありません。