第51回 山とバリアフリー(上)
下界と山のバリアフリー
高齢社会の到来やノーマライゼーションという言葉の浸透でしょうか。わが国でも、ようやく高齢者や障がいのある人たちにとっても、移動しやすい建築物や生活環境のあり方が話題になるようになりました。
最近では、玄関や廊下、駐車場の段差の解消、手すりの取り付け、さらには家族のライフスタイルに応じ、増改築が可能な建売住宅の販売、電車やバス内の低床のステップ、優先席、駅のホームや構内、ホテル、映画館、各種ホール、レストランなどでのスロープや車椅子の常備、係員の配置など、あらゆるところにバリアフリーの考え方が広まっています。専用駐車場の設置なども見受けられます。
ところが、このような多くの配慮は下界での話で、山や高原のホテル、山小屋、キャンプサイト(場)などではまだまだ不十分です。まして登山道ともなると、わが国はもとより、欧米やオセアニアなどでもバリアフリーへの対応はこれからです。
最近では、玄関や廊下、駐車場の段差の解消、手すりの取り付け、さらには家族のライフスタイルに応じ、増改築が可能な建売住宅の販売、電車やバス内の低床のステップ、優先席、駅のホームや構内、ホテル、映画館、各種ホール、レストランなどでのスロープや車椅子の常備、係員の配置など、あらゆるところにバリアフリーの考え方が広まっています。専用駐車場の設置なども見受けられます。
ところが、このような多くの配慮は下界での話で、山や高原のホテル、山小屋、キャンプサイト(場)などではまだまだ不十分です。まして登山道ともなると、わが国はもとより、欧米やオセアニアなどでもバリアフリーへの対応はこれからです。
山の魅力とバリアフリーの現状
確かに、山や高原ではバリアフリーへの対策がきわめて不十分です。それは、そもそも山は麓から歩いて登るものだからでしょう。
また、山に登るには、それなりの体力と技術、経験が求められます。その体力や技術、経験を少しずつ積みながら、目標や計画を立て、より高い山、より美しい山をめざします。そして、より困難な山を求めるスポーツとして受け止められているのでしょう。
しかし、高齢者や障害者も山が好きで、そのような欲求も同じようにあるはずです。
たとえば、若いころは山歩きを楽しんでいたのに、加齢に伴って体力が衰え、次第に山から遠のき、“机上登山”になってしまった。また、交通事故や病気などによって障がいが残ってしまったため、山歩きを断念せざるを得なくなってしまった。あるいは、生まれつき障がいがあるため、体が不自由で山登りをしたことがないという人もいるでしょう。
このような方も、他の人と同じように山歩きを楽しめないものでしょうか。
社会主義者、労働運動家であるとともに、作家であり、また、元衆議院議員としても知られている荒畑寒村(1887-1981)が、自分の死を悟ったとき、「死ぬ前に、あのスイスアルプスをもう一度この目で見たい」といって、家族やボランティア、旅行会社の協力のもと、車椅子で現地を訪れたエピソードは有名です。山の神々(こうごう)しさには、山歩きの愛好家ならずとも魅了されるということでしょう。
また、山に登るには、それなりの体力と技術、経験が求められます。その体力や技術、経験を少しずつ積みながら、目標や計画を立て、より高い山、より美しい山をめざします。そして、より困難な山を求めるスポーツとして受け止められているのでしょう。
しかし、高齢者や障害者も山が好きで、そのような欲求も同じようにあるはずです。
たとえば、若いころは山歩きを楽しんでいたのに、加齢に伴って体力が衰え、次第に山から遠のき、“机上登山”になってしまった。また、交通事故や病気などによって障がいが残ってしまったため、山歩きを断念せざるを得なくなってしまった。あるいは、生まれつき障がいがあるため、体が不自由で山登りをしたことがないという人もいるでしょう。
このような方も、他の人と同じように山歩きを楽しめないものでしょうか。
社会主義者、労働運動家であるとともに、作家であり、また、元衆議院議員としても知られている荒畑寒村(1887-1981)が、自分の死を悟ったとき、「死ぬ前に、あのスイスアルプスをもう一度この目で見たい」といって、家族やボランティア、旅行会社の協力のもと、車椅子で現地を訪れたエピソードは有名です。山の神々(こうごう)しさには、山歩きの愛好家ならずとも魅了されるということでしょう。