第20回 山と歴史
エベレスト(山)は海の底だった
一口に山の歴史といってもいろいろな切り口があるため、あらゆる視点に立ったうえで山を語ることなど、しょせんは無理です。このため、今回は地質的、登山史的に、さらには、その国や地域の時代的な背景から、どのような影響を受け、歴史をたどってきたのかを雑学的にお話ししてみます。
そこで、まずは地球儀を思い浮かべて下さい。ご存知のように、地球は赤道をはさんで北半球と南半球に分かれており、その両面に太平洋や大西洋、インド洋などの大海原が広がり、これらを従えるかのように、ロッキーやアンデス、天山(てんざん)、崑崙(こんろん)、ヒマラヤ、ヨーロッパアルプスなどの山脈が連なっています。
このうち、「世界の屋根」といわれているのが標高8848メートルのエベレスト(山)(中国名:チョモラ(ル)ンマ、ネパール名:サガルマータ)で、1953年にニュージーランドの登山家、エドモンド・ヒラリーとシェルパ(案内人)のテンジン・ノルゲイが初登頂しました。
また、その頂上付近で、近年になってウミユリやサンヨウチュウなどの生物の化石が発見され、エベレスト(山)も太古は海の底で、地殻変動によって現在の山容が成り立ったことがわかっています。
そこで、まずは地球儀を思い浮かべて下さい。ご存知のように、地球は赤道をはさんで北半球と南半球に分かれており、その両面に太平洋や大西洋、インド洋などの大海原が広がり、これらを従えるかのように、ロッキーやアンデス、天山(てんざん)、崑崙(こんろん)、ヒマラヤ、ヨーロッパアルプスなどの山脈が連なっています。
このうち、「世界の屋根」といわれているのが標高8848メートルのエベレスト(山)(中国名:チョモラ(ル)ンマ、ネパール名:サガルマータ)で、1953年にニュージーランドの登山家、エドモンド・ヒラリーとシェルパ(案内人)のテンジン・ノルゲイが初登頂しました。
また、その頂上付近で、近年になってウミユリやサンヨウチュウなどの生物の化石が発見され、エベレスト(山)も太古は海の底で、地殻変動によって現在の山容が成り立ったことがわかっています。
アルピニズムの登山形態
このエベレスト(山)の初登頂を遂げたのはイギリス隊で、以後、イギリス人、それも植民地の確保や維持に関わる高級官僚、駐在武官、研究者などの山好きな人々がインドやネパール、チベットなどを探訪して未開の山地を切り開き、やがて、ヨーロッパアルプスにも足を延ばしていきました。
このようなアルピニズムはわが国にも刺激を与え、槇有恒を隊長とする日本隊が1956(昭和31)年、世界第7位のマナスル(標高8156メートル)の初登頂に成功しました。以後、槍・穂高を中心とした北アルプスを舞台に、積雪期における初登頂、あるいは岩場の初登攀に挑むアルピニズムを追求し、その後、深田久弥の「日本百名山」ブームにみられるような今日の大衆登山へと広がっていったのです。
ちなみに、エベレスト(山)などのようなヒマラヤの登山は、いくつかの稜線でルートを切り開き、標高5000〜6000メートル地点にベースキャンプを張り、高所順化を図りながら前進キャンプをいくつか設け、天候と体調を見計らい、酸素ボンベを背負って頂上をアタックする極地法と呼ばれる登り方が一般的ですが、近年は、単独で、かつ酸素ボンベなしでわずかの好天をねらい、一気に頂上をアタックするアルパインスタイルという登り方へと変わりつつあります。
このようなアルピニズムはわが国にも刺激を与え、槇有恒を隊長とする日本隊が1956(昭和31)年、世界第7位のマナスル(標高8156メートル)の初登頂に成功しました。以後、槍・穂高を中心とした北アルプスを舞台に、積雪期における初登頂、あるいは岩場の初登攀に挑むアルピニズムを追求し、その後、深田久弥の「日本百名山」ブームにみられるような今日の大衆登山へと広がっていったのです。
ちなみに、エベレスト(山)などのようなヒマラヤの登山は、いくつかの稜線でルートを切り開き、標高5000〜6000メートル地点にベースキャンプを張り、高所順化を図りながら前進キャンプをいくつか設け、天候と体調を見計らい、酸素ボンベを背負って頂上をアタックする極地法と呼ばれる登り方が一般的ですが、近年は、単独で、かつ酸素ボンベなしでわずかの好天をねらい、一気に頂上をアタックするアルパインスタイルという登り方へと変わりつつあります。
富士山に見る山岳宗教と大衆登山
しかし、山の歴史はこのようなアルピニズムの一方で、とくにわが国では山岳宗教(山岳信仰)という側面も持ち合わせています。なかでもその最たる山は、標高3776メートルとわが国最高峰の富士山です。
この富士山は約10万年前、現在の小御岳の麓に誕生し、古富士火山から新富士火山と2世代にわたって噴火活動を起こし、世界でもまれなコニーデ型の秀峰となっています。そのためか、江戸時代、山頂に登拝すれば極楽浄土がかなうとして富士講が結社され、各地に「ふるさとの富士」まで産んでいます。
また、富士山は海外の山々に比べれば低いため、登頂をめざす山というよりも、あまりにも秀麗な姿形から、古来、文人墨客だけでなく、旅人などからも広く愛され、多くの小説や絵画、唱歌などで賞賛されており、最近、念願の「世界文化遺産」の候補にもなっているほどです。
その麓の一つ、旧東海道の16番目の宿場町、静岡県・旧由比町にある薩埵(さった)峠は、紺碧の駿河湾を従えてそびえる富士山を優美に描いた歌川(安藤)広重の浮世絵そのままの往時の姿を今に残しており、いつ噴火してもおかしくないマグマが活動している(?)とは思えない美しさを誇っています。
次回は「山の地名」についてお伝えします。
この富士山は約10万年前、現在の小御岳の麓に誕生し、古富士火山から新富士火山と2世代にわたって噴火活動を起こし、世界でもまれなコニーデ型の秀峰となっています。そのためか、江戸時代、山頂に登拝すれば極楽浄土がかなうとして富士講が結社され、各地に「ふるさとの富士」まで産んでいます。
また、富士山は海外の山々に比べれば低いため、登頂をめざす山というよりも、あまりにも秀麗な姿形から、古来、文人墨客だけでなく、旅人などからも広く愛され、多くの小説や絵画、唱歌などで賞賛されており、最近、念願の「世界文化遺産」の候補にもなっているほどです。
その麓の一つ、旧東海道の16番目の宿場町、静岡県・旧由比町にある薩埵(さった)峠は、紺碧の駿河湾を従えてそびえる富士山を優美に描いた歌川(安藤)広重の浮世絵そのままの往時の姿を今に残しており、いつ噴火してもおかしくないマグマが活動している(?)とは思えない美しさを誇っています。
次回は「山の地名」についてお伝えします。