第19回 山と自然保護
自然保護とその実態
山の自然のすばらしさや恵みのありがたさは、石川啄木や山を愛する者だけでなく、山国・日本に生まれ育ったというよりも、山に育てられた日本人ならだれしもわかることでしょう。小学校の校歌に、ふるさとの山が必ずといっていいほど歌われているのがその証拠です。
しかし、その山が戦後の高度経済成長以来、大きく変わろうとしています。もちろん、なかには防災や農業・工業用水の確保、電源開発など治山治水のための造成もありますが、それにしても各地の山の惨状にはすさまじいものがあります。近郊の山の場合、いつの間にかゴルフ場と化したかと思うと、万博や「緑化週間」などといった名のもとに里山が削り取られたり、宅地が造成されたりして自然破壊が進んでいます。
また、名山であっても、開発という名のもとに破壊され、観光自動車道路やスーパー林道、ロープウェー、ケーブルカーなどが取り付けられ、経済一辺倒の土建型公共事業は一向に止まっていません。
そこで、今回はこの山と自然の実態について報告しましょう。
しかし、その山が戦後の高度経済成長以来、大きく変わろうとしています。もちろん、なかには防災や農業・工業用水の確保、電源開発など治山治水のための造成もありますが、それにしても各地の山の惨状にはすさまじいものがあります。近郊の山の場合、いつの間にかゴルフ場と化したかと思うと、万博や「緑化週間」などといった名のもとに里山が削り取られたり、宅地が造成されたりして自然破壊が進んでいます。
また、名山であっても、開発という名のもとに破壊され、観光自動車道路やスーパー林道、ロープウェー、ケーブルカーなどが取り付けられ、経済一辺倒の土建型公共事業は一向に止まっていません。
そこで、今回はこの山と自然の実態について報告しましょう。
自然破壊寸前の山
北海道室蘭市の母恋(ぼこい)富士は、宅地開発のために山頂近くまで造成地が広がり、かつての山容も今では見る影もないほど無残な姿をさらけ出しています。
埼玉県の武甲(ぶこう)山は、秩父盆地にたたずみ、地元の人たちにとって数々の山の幸や恵みをもたらす安らぎのふるさとの山です。しかし、セメントの原材料に格好の山土があることが災いし、戦後間もないころからブルドーザーによって毎日のように削り取られてしまっています。
また、岐阜、滋賀両県にまたがる伊吹山もセメントの原材料によい山土が豊富とあって、戦後の高度経済成長の波にのまれ、ブルドーザーによって山腹を掘削された結果、かつて『万葉集』に詠まれた名山の面影はどこへやら。こちらも、このままでは時間の問題といった惨状です。
それだけではありません。同じ岐阜県の池田山は低山のためか、地元の人たちの間でも“知る人ぞ知る山”でしたが、大垣市の市街地化の波をモロに受け、とうとう完全に削り取られ、かすかに宅地造成された丘陵地にその面影を残すだけとなってしまっています。
埼玉県の武甲(ぶこう)山は、秩父盆地にたたずみ、地元の人たちにとって数々の山の幸や恵みをもたらす安らぎのふるさとの山です。しかし、セメントの原材料に格好の山土があることが災いし、戦後間もないころからブルドーザーによって毎日のように削り取られてしまっています。
また、岐阜、滋賀両県にまたがる伊吹山もセメントの原材料によい山土が豊富とあって、戦後の高度経済成長の波にのまれ、ブルドーザーによって山腹を掘削された結果、かつて『万葉集』に詠まれた名山の面影はどこへやら。こちらも、このままでは時間の問題といった惨状です。
それだけではありません。同じ岐阜県の池田山は低山のためか、地元の人たちの間でも“知る人ぞ知る山”でしたが、大垣市の市街地化の波をモロに受け、とうとう完全に削り取られ、かすかに宅地造成された丘陵地にその面影を残すだけとなってしまっています。
自然破壊のおそれのある山
次に、このような自然破壊のおそれのある山として、青森県の岩木山が挙げられます。麓から観光自動車道路が八合目まで開通しており、太宰治が「津軽富士」と賞賛したのも今は昔の話です。
また、富山県の立山連峰も似たりよったりで、お隣の長野県の後立山連峰とともに、電源開発のために中腹をぶち抜かれて一大観光ルートが開設され、毎年、夏になると避暑を求める行楽客でにぎわっています。もっとも、山中はマイカーの乗り入れを禁止しているものの、観光客の人混みやゴミの不法投棄などのため、特別天然記念物のライチョウは年々減っており、このままでは地球の温暖化も加わって絶滅のおそれもあるとのことです。
さらに、岐阜県の乗鞍岳にも麓から観光自動車道路が開通しており、下界のマイカーの排気ガスは頂上直下まで到達しています。
立山と富士山を合わせて「日本三名山」に数えられている石川、福井、岐阜三県にまたがる白山は、原生林の中をスーパー林道が走り抜け、行楽のマイカーや観光バスの排気ガスによって森林も高山植物もすっかり枯れ果て、自然破壊を象徴しているかのようです。
「木一本、首一つ」――江戸時代、直轄地の長野、岐阜両県境の御嶽(岳)山のヒノキを守るため、伐採を厳しく取り締まった尾張藩に比べ、昨今の林野行政はどうしたことでしょうか。世の中が変わったといわれればそれまでかも知れませんが、山は歩いて登ってこそ価値があるし、登頂したときの感動もそれだけ大きいものです。改めて、自然の貴重さを後世に、と願うだけでなく、実際の山歩きでは、ゴミは持ち込まない、あるいは自然破壊となる観光事業には反対する、さらには自然保護の各種行事には積極的に参加するなど、連帯することが必要ではないでしょうか。
次回は「山と歴史」についてお伝えします。
また、富山県の立山連峰も似たりよったりで、お隣の長野県の後立山連峰とともに、電源開発のために中腹をぶち抜かれて一大観光ルートが開設され、毎年、夏になると避暑を求める行楽客でにぎわっています。もっとも、山中はマイカーの乗り入れを禁止しているものの、観光客の人混みやゴミの不法投棄などのため、特別天然記念物のライチョウは年々減っており、このままでは地球の温暖化も加わって絶滅のおそれもあるとのことです。
さらに、岐阜県の乗鞍岳にも麓から観光自動車道路が開通しており、下界のマイカーの排気ガスは頂上直下まで到達しています。
立山と富士山を合わせて「日本三名山」に数えられている石川、福井、岐阜三県にまたがる白山は、原生林の中をスーパー林道が走り抜け、行楽のマイカーや観光バスの排気ガスによって森林も高山植物もすっかり枯れ果て、自然破壊を象徴しているかのようです。
「木一本、首一つ」――江戸時代、直轄地の長野、岐阜両県境の御嶽(岳)山のヒノキを守るため、伐採を厳しく取り締まった尾張藩に比べ、昨今の林野行政はどうしたことでしょうか。世の中が変わったといわれればそれまでかも知れませんが、山は歩いて登ってこそ価値があるし、登頂したときの感動もそれだけ大きいものです。改めて、自然の貴重さを後世に、と願うだけでなく、実際の山歩きでは、ゴミは持ち込まない、あるいは自然破壊となる観光事業には反対する、さらには自然保護の各種行事には積極的に参加するなど、連帯することが必要ではないでしょうか。
次回は「山と歴史」についてお伝えします。