第18回 山と文学
なぜ、山が文学の対象なのか
周知のように、わが国は島国で狭い国土でありながら、その約7割が山で占められています。また、東西および南北に長く連なっているため、四季折々の変化に恵まれています。しかも、その山容には世界のなかでもまれな富士山のような単独峰もあれば、槍・穂高のような連峰もあります。
また、鳥海山や立山、大山、開聞岳のように海から頂上へ一気にせり上がっている秀峰もあれば、利尻山(岳)のように島全体が山になっているところもあります。それだけではありません。伊豆大島の三原山や浅間山、桜島、阿蘇山のように今なお活火山というところもあります。
ともあれ、このような山には仏や神がやどり、登頂すれば極楽浄土への願いがかなったり、苦しみから逃れられるとして山岳信仰の対象とされたりします。中腹や麓に広がる高原には、可憐な高山植物が咲き乱れていたり、高原野菜の栽培や放牧地、スキー場として絶好の立地であったり、下界にはない豊富な効能やオゾンに満ちた温泉が湧き出したりしています。このため、古くから湯治場や保養地などとして人気を得ているところも少なくありません。
そのため、このような山の気候風土や詩情に多くの文人墨客が魅了され、親しみ憩い、多くの名作が生み出されることになりました。
また、鳥海山や立山、大山、開聞岳のように海から頂上へ一気にせり上がっている秀峰もあれば、利尻山(岳)のように島全体が山になっているところもあります。それだけではありません。伊豆大島の三原山や浅間山、桜島、阿蘇山のように今なお活火山というところもあります。
ともあれ、このような山には仏や神がやどり、登頂すれば極楽浄土への願いがかなったり、苦しみから逃れられるとして山岳信仰の対象とされたりします。中腹や麓に広がる高原には、可憐な高山植物が咲き乱れていたり、高原野菜の栽培や放牧地、スキー場として絶好の立地であったり、下界にはない豊富な効能やオゾンに満ちた温泉が湧き出したりしています。このため、古くから湯治場や保養地などとして人気を得ているところも少なくありません。
そのため、このような山の気候風土や詩情に多くの文人墨客が魅了され、親しみ憩い、多くの名作が生み出されることになりました。
文学作品に登場する山々
一口に山と文学といっても、純文学の小説から詩、短歌、俳句、さらには登頂記を中心とする山岳文学、ノンフィクション・推理小説までとさまざまなものがあります。
『万葉集』のなかでは、多くの歌人たちが富士山を「不尽」、あるいは「不二の高嶺」として賞賛しています。他にも主な作品をご紹介すると、まず純文学の小説や詩などでは、太宰治の岩木山を津軽富士としてたたえた随筆『津軽』、および『富嶽百景』のなかで「富士には月見草がよく似合ふ」、また、石川啄木も岩手山や姫神山を「ふるさとの 山に向かひていうことなし ふるさとの山は ありがたきかな」と残しています。
このほか、大山を舞台に妻の不倫を描いた志賀直哉の『暗夜行路』、源実朝が静岡県・十国峠で詠んだ和歌「箱根路を 我が越え来れば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよるみゆ」もよく知られています。
一方、山岳文学には、槍ヶ岳で遭難死する直前、その状況をつづった松濤明の『風雪のビバーク』、前穂高岳で起きたナイロンザイル事件を扱った井上靖の『氷壁』などがあります。
また、ノンフィクション・フィクション・推理小説では、厳冬の富士山頂の測候所で気象観測に務める、夫婦の実話を描いた新田次郎の『芙蓉の人』などが知られています。
『万葉集』のなかでは、多くの歌人たちが富士山を「不尽」、あるいは「不二の高嶺」として賞賛しています。他にも主な作品をご紹介すると、まず純文学の小説や詩などでは、太宰治の岩木山を津軽富士としてたたえた随筆『津軽』、および『富嶽百景』のなかで「富士には月見草がよく似合ふ」、また、石川啄木も岩手山や姫神山を「ふるさとの 山に向かひていうことなし ふるさとの山は ありがたきかな」と残しています。
このほか、大山を舞台に妻の不倫を描いた志賀直哉の『暗夜行路』、源実朝が静岡県・十国峠で詠んだ和歌「箱根路を 我が越え来れば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよるみゆ」もよく知られています。
一方、山岳文学には、槍ヶ岳で遭難死する直前、その状況をつづった松濤明の『風雪のビバーク』、前穂高岳で起きたナイロンザイル事件を扱った井上靖の『氷壁』などがあります。
また、ノンフィクション・フィクション・推理小説では、厳冬の富士山頂の測候所で気象観測に務める、夫婦の実話を描いた新田次郎の『芙蓉の人』などが知られています。
軽井沢にゆかりの文学作品
このように山を題材にした文学は全国にありますが、なかでも明治にイギリス人牧師、ショーにより、全国有数の避暑地として紹介された軽井沢ゆかりの文学作品の一部をご紹介しましょう。
「からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
……………………………」
これは、北原白秋が中軽井沢の星野温泉一帯で清遊していたときにつくった詩集『水墨集』の最初の二節の「落葉松」ですが、軽井沢ならではのカラマツ林の風情を叙情豊かに詠み上げ、高い評価を受けたことはご存知のことでしょう。
また、追分で療養していた堀辰雄は『絵はがき』でこう詠んでいます。「六月のはじめは、まるっきり人気がなくて、何処もかしこも、花だらけだ。臆病な小鳥たちも、まだ人を恐れないでよく私になついていたものだ。ある日、まだ釘づけになっている別荘の入口の柵を押し開けて、無断で、その草深い庭の中へはいり、白く塗ってある鉄のベンチに腰をかけながら、ぼんやりラ・フォンテエヌのコントを読んでいると、まるでその物語の中からのように、いきなり獣くさい臭いがしてきた。………」
このほか、室生犀星や立原道造、三好達治、佐藤春夫なども軽井沢を多くの作品に残していますので、現地を訪れる機会がありましたら、このような文学情緒にひとときでもひたっていただければと思います。
次回は「山と自然保護」についてお伝えします。
「からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
……………………………」
これは、北原白秋が中軽井沢の星野温泉一帯で清遊していたときにつくった詩集『水墨集』の最初の二節の「落葉松」ですが、軽井沢ならではのカラマツ林の風情を叙情豊かに詠み上げ、高い評価を受けたことはご存知のことでしょう。
また、追分で療養していた堀辰雄は『絵はがき』でこう詠んでいます。「六月のはじめは、まるっきり人気がなくて、何処もかしこも、花だらけだ。臆病な小鳥たちも、まだ人を恐れないでよく私になついていたものだ。ある日、まだ釘づけになっている別荘の入口の柵を押し開けて、無断で、その草深い庭の中へはいり、白く塗ってある鉄のベンチに腰をかけながら、ぼんやりラ・フォンテエヌのコントを読んでいると、まるでその物語の中からのように、いきなり獣くさい臭いがしてきた。………」
このほか、室生犀星や立原道造、三好達治、佐藤春夫なども軽井沢を多くの作品に残していますので、現地を訪れる機会がありましたら、このような文学情緒にひとときでもひたっていただければと思います。
次回は「山と自然保護」についてお伝えします。