第23回 認知症の人とのかかわり方のヒント(13)−それでも人生にイエスという その2
ある医師の場合
ある認知症の人は、自分の病名を告知された時、病院の心療内科部長をしていました。いつもなら「うつ」や「軽いもの忘れ」の相談を受けているはずのその人が、自分のもの忘れに気付き、私のところに相談してきました。彼には妻も子どももいますが、家族には相談せず、住んでいる首都圏ではなく、わざわざ関西にいる私のところにきたのでした。
彼の気持ちを聞くと、「妻は病弱なので、私の病気を伝えると倒れてしまうから、相談するつもりはない」「ふたりの息子も、自分の病気を聞くと大学を辞めて私を助けようとするから、病気のことは言わない」と、固い決意を持っていました。それでも自分の病名の診断をしてほしい、と言うのです。
告知を受けた彼は、その後、病院を辞めました。同じ認知症の人たちを支え、家族の相談に乗りながら、彼は医師として自分ができる限りのことをし尽くしました。
彼の気持ちを聞くと、「妻は病弱なので、私の病気を伝えると倒れてしまうから、相談するつもりはない」「ふたりの息子も、自分の病気を聞くと大学を辞めて私を助けようとするから、病気のことは言わない」と、固い決意を持っていました。それでも自分の病名の診断をしてほしい、と言うのです。
告知を受けた彼は、その後、病院を辞めました。同じ認知症の人たちを支え、家族の相談に乗りながら、彼は医師として自分ができる限りのことをし尽くしました。
あるピック型認知症の人の場合
先日、あるピック型認知症の人が、自分でかけていた生命保険会社の「高度障がい」と認められて、まとまった金額を手にすることができました。ある地域から引っ越してきたその人と家族にとって、彼の病気と向き合いながら慣れない土地で生活することは、とても困難なことだったでしょう。それでも彼の妻と娘は、彼と共に認知症に向き合っています。おそらく生命保険会社が認めてくれたのは、彼らの勇気を認めてくれたからなのだと私は思います。
それでも人生にイエスという
さまざまな人がいます。家族と共に認知症に向き合う人、家族のことを思えばこそ、あえてひとりで立ち向かう人…。
この文章を読んでくれている多くの認知症の人や家族のみなさんが、全て「果敢に」認知症に向き合うことができないことを、私は知っています。認知症と診断された後、何もできなくなっている人もいるでしょう。その人をどう支えたら良いのかわからず、戸惑っている家族の人もたくさんいることでしょう。
でも私は、そんな人にこそ、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所を生き延びた精神科医、ヴィクトール・フランクルの言葉を捧げたいと思います。どのような状況におかれても、それでも人には「まだこんな力が残っている」と周囲が驚くような力が残っています。どんな絶望にとらわれても、救いがないと嘆く時にも、彼の言葉が支えになるかもしれません。人生がいつも苦難の連続だとしても、「それでも人生にイエスという」とつぶやくことで、認知症のあなたと家族に光りが見えますように。
次回は最終回、「あなたがいるだけでこの世界は意味を持つ」です。
この文章を読んでくれている多くの認知症の人や家族のみなさんが、全て「果敢に」認知症に向き合うことができないことを、私は知っています。認知症と診断された後、何もできなくなっている人もいるでしょう。その人をどう支えたら良いのかわからず、戸惑っている家族の人もたくさんいることでしょう。
でも私は、そんな人にこそ、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所を生き延びた精神科医、ヴィクトール・フランクルの言葉を捧げたいと思います。どのような状況におかれても、それでも人には「まだこんな力が残っている」と周囲が驚くような力が残っています。どんな絶望にとらわれても、救いがないと嘆く時にも、彼の言葉が支えになるかもしれません。人生がいつも苦難の連続だとしても、「それでも人生にイエスという」とつぶやくことで、認知症のあなたと家族に光りが見えますように。
次回は最終回、「あなたがいるだけでこの世界は意味を持つ」です。