第17回 認知症の人とのかかわり方のヒント(7)−薬を使うのは抑制じゃないか!その1
薬に対するイメージは?
「認知症に対する薬にはどのようなものがありますか」と聞かれたとき、回答に詰まることがあります。医者としてケアの最中にいる介護者(多くの場合には家族)と向き合うとき、その介護者がどのようなことを薬に期待しているか、こちらがよく理解した上で答えなければ、かえって誤解を生じることがあるからです。
薬という言葉から連想されるイメージは、「病気が嘘のように良くなるもの」を期待するのは、心情的に当たり前のことでしょう。かつて私は、小学校の運動会の徒競走で転び、足首を捻挫した痛みと悔しさに泣いた経験がありますが、痛み止めの薬を飲んだことで次第に痛みが軽くなっていった安堵感は、今でも忘れられません。「薬は症状や病気を根本的になくするもの」というイメージをもつのは、誰にとっても自然な流れと言えるでしょう。
薬という言葉から連想されるイメージは、「病気が嘘のように良くなるもの」を期待するのは、心情的に当たり前のことでしょう。かつて私は、小学校の運動会の徒競走で転び、足首を捻挫した痛みと悔しさに泣いた経験がありますが、痛み止めの薬を飲んだことで次第に痛みが軽くなっていった安堵感は、今でも忘れられません。「薬は症状や病気を根本的になくするもの」というイメージをもつのは、誰にとっても自然な流れと言えるでしょう。
認知症の薬の役割
でも病気によっては、そのように薬が効かない場合もあります。慢性の生活習慣病などがそれに当てはまります。薬を飲むことで病気の状態は安定し、その人の不都合な点は軽減されますが、病気自体が完全に治るわけではありません。
亡くなった私の父は糖尿病をもっていましたが、血糖値を下げる薬を飲むこと、生活習慣をコントロールすることで、より良い状態を保とうと努力していました。それでも糖尿病が完全に治ったわけではありませんでしたが、薬のおかげでその後の生涯を「より良く」送ることができました。
では、認知症に対する薬はどうでしょうか。もちろん、誰もが願うのは認知症の根本治療薬です。でも、認知症を嘘のように改善できる薬はありません。今、出ている薬も、「より早期に使うことで、認知症の悪化をできるだけ遅くすることを目的とした薬」なのです。つまり、使うことによって認知症の中核症状が進まないようにする薬です。
もう1つ、認知症の薬には別の役割があります。それはケアの際に最も課題となる認知症の人の興奮など周辺症状(BPSD)を軽くすることで、その人の心身破綻や介護者の負担を減らす役割です。こちらに対しては、これまで精神科で使う向精神薬、特に抗精神病薬が使われてきました。今回のテーマはこちらの薬について主に考えてみましょう。
私は興奮や昼夜逆転、時には介護者に対してあり得ないような誤解をする「妄想」といったBPSDに対しては、「条件を満たせばこのような薬物療法も必要である」と考えています。しかしその条件がとてもあいまいで、しっかりとした理論が確立されているとは言えません。自分ではある基準で周辺症状に対する薬物療法を考えるようにしています。
(次回につづく)
亡くなった私の父は糖尿病をもっていましたが、血糖値を下げる薬を飲むこと、生活習慣をコントロールすることで、より良い状態を保とうと努力していました。それでも糖尿病が完全に治ったわけではありませんでしたが、薬のおかげでその後の生涯を「より良く」送ることができました。
では、認知症に対する薬はどうでしょうか。もちろん、誰もが願うのは認知症の根本治療薬です。でも、認知症を嘘のように改善できる薬はありません。今、出ている薬も、「より早期に使うことで、認知症の悪化をできるだけ遅くすることを目的とした薬」なのです。つまり、使うことによって認知症の中核症状が進まないようにする薬です。
もう1つ、認知症の薬には別の役割があります。それはケアの際に最も課題となる認知症の人の興奮など周辺症状(BPSD)を軽くすることで、その人の心身破綻や介護者の負担を減らす役割です。こちらに対しては、これまで精神科で使う向精神薬、特に抗精神病薬が使われてきました。今回のテーマはこちらの薬について主に考えてみましょう。
私は興奮や昼夜逆転、時には介護者に対してあり得ないような誤解をする「妄想」といったBPSDに対しては、「条件を満たせばこのような薬物療法も必要である」と考えています。しかしその条件がとてもあいまいで、しっかりとした理論が確立されているとは言えません。自分ではある基準で周辺症状に対する薬物療法を考えるようにしています。
(次回につづく)