第22回 認知症の人とのかかわり方のヒント(12)−それでも人生にイエスという その1
夫の無念
認知症になると、それまでにその人が築き上げてきた社会的な立場や経済的な基盤が崩れてしまいます。特に、いわゆる若年期の発症である場合には、その人だけでなく、家族にも大きな影響が及びます。
ある若年認知症の人は、私が出会った時点で44歳でした。40歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断され、当時、その人が創業し社長を務めていた小さなコンピュータ会社の役員会から解雇されたというのです。
学生時代から彼を支えていたはずの役員たちは、こんな言葉を彼に浴びせかけました。
「ここは英知が集まる会社なので、頭脳が使えない社長など要らない」
何という屈辱的な言葉でしょう。彼の悔しさ、家族の思いは、私などが共感しようとする思いの何倍も辛かったことでしょう。
でも、そこで彼は妻に相談しました。自分の力がなくなりつつあること、どうしてもイライラ感が襲ってくるため仕事ができないことなどを妻に告げたのです。ふたりが話し合った結果、これまで仕事に出たことがなかったにもかかわらず、妻はスーパーマーケットのレジ係のパートを見つけてきました。ふたりにはまだ学校に通っている子どもたちがいましたので、少しでも家計の足しになるように。
それが1つ目の理由です。でも、ふたりには2つ目の理由があって妻がパートに出ることにしたのです。
ある若年認知症の人は、私が出会った時点で44歳でした。40歳の時に若年性アルツハイマー型認知症と診断され、当時、その人が創業し社長を務めていた小さなコンピュータ会社の役員会から解雇されたというのです。
学生時代から彼を支えていたはずの役員たちは、こんな言葉を彼に浴びせかけました。
「ここは英知が集まる会社なので、頭脳が使えない社長など要らない」
何という屈辱的な言葉でしょう。彼の悔しさ、家族の思いは、私などが共感しようとする思いの何倍も辛かったことでしょう。
でも、そこで彼は妻に相談しました。自分の力がなくなりつつあること、どうしてもイライラ感が襲ってくるため仕事ができないことなどを妻に告げたのです。ふたりが話し合った結果、これまで仕事に出たことがなかったにもかかわらず、妻はスーパーマーケットのレジ係のパートを見つけてきました。ふたりにはまだ学校に通っている子どもたちがいましたので、少しでも家計の足しになるように。
それが1つ目の理由です。でも、ふたりには2つ目の理由があって妻がパートに出ることにしたのです。
妻の決意
それは、彼の無念さを妻が仕事をすることで晴らすということです。
「夫は病気のために不本意な退職をしました。もちろん、以前のような収入にはおよばないけれど、私が勤めに出ることで、私たちは『どっこい、それでも私たちはやっているぞ』って自分たちに言い聞かせたいのです」
妻はそう言いました。
その後、夫の病状が進み、家族には多くの苦難が待っていましたが、私は妻がこの言葉を私に告げたときの決意を忘れることができません。認知症という病気のためにいくつもの不都合に出会ったとしても、自分たちが「それでも人生にイエスという」とのメッセージを感じたからです。
認知症によってできなくなることは多いかもしれません。でも、周りが思っているよりも多くのことができる認知症の人はたくさんいます。できなくなったことを理解すると共に、できることにも目を注ぐことが大切です。
次回は「それでも人生にイエスという その2」です。
「夫は病気のために不本意な退職をしました。もちろん、以前のような収入にはおよばないけれど、私が勤めに出ることで、私たちは『どっこい、それでも私たちはやっているぞ』って自分たちに言い聞かせたいのです」
妻はそう言いました。
その後、夫の病状が進み、家族には多くの苦難が待っていましたが、私は妻がこの言葉を私に告げたときの決意を忘れることができません。認知症という病気のためにいくつもの不都合に出会ったとしても、自分たちが「それでも人生にイエスという」とのメッセージを感じたからです。
認知症によってできなくなることは多いかもしれません。でも、周りが思っているよりも多くのことができる認知症の人はたくさんいます。できなくなったことを理解すると共に、できることにも目を注ぐことが大切です。
次回は「それでも人生にイエスという その2」です。