第19回 認知症の人とのかかわり方のヒント(9)−代弁って何?
代弁の目的
福祉やケアの世界ではあたりまえに使う「代弁」という言葉は、一般的にはなじみがないかもしれません。日常生活を送る時に何らかの不自由があり、それが長期にわたって続いている状態を「障がい」と言いますが、代弁という行為は、障がいなどによって他人とのコミュニケーションが困難な人に代わって、別の人が周囲に対してその人の意思を発言することです。
その人に不利益が及んだり機会が奪われるような場合は、代弁によってその人の人権を守ることが大切です。私も精神科医として、これまで統合失調症やうつ病の人々の意思を代弁することで、たくさん学ぶことがありました。
しかし、認知症の人の支援をしていると、時に迷うことがあります。さまざまな病気の中でメンタル面にかかわるものは、残念ながら差別の対象にされてしまうことがありますが、統合失調症などの病気の場合には、一時的に混乱する「急性期」が沈静化して落ち着くと、その人は意見を表明することができます。
これに対して、認知症は慢性の経過を持つ病気です。ゆっくりではあっても少しずつ能力は低下するため、以前より意思を伝えられるようになるといった印象にはなりません。ゆえに代弁がより大切になります。
その人に不利益が及んだり機会が奪われるような場合は、代弁によってその人の人権を守ることが大切です。私も精神科医として、これまで統合失調症やうつ病の人々の意思を代弁することで、たくさん学ぶことがありました。
しかし、認知症の人の支援をしていると、時に迷うことがあります。さまざまな病気の中でメンタル面にかかわるものは、残念ながら差別の対象にされてしまうことがありますが、統合失調症などの病気の場合には、一時的に混乱する「急性期」が沈静化して落ち着くと、その人は意見を表明することができます。
これに対して、認知症は慢性の経過を持つ病気です。ゆっくりではあっても少しずつ能力は低下するため、以前より意思を伝えられるようになるといった印象にはなりません。ゆえに代弁がより大切になります。
さりげなく、出しゃばらない代弁を
私はこれまで、認知症の人自身が意見を発信する「本人ネットワーク」を支援してきましたが、実にさまざまな経過を持つ人がいて、ある人は何年たってもしっかりと自分の意見を言うことができるのに、別の人は明らかに進行が早くて、あっという間に言葉が出なくなります。
そのような多様性を持つ認知症の人の経過を考えるとき、私たちはどのような態度で認知症の人に向かい、そしてどの程度まで代弁をすることができるのでしょうか。「できる」と思っていたら、実は「できなかった」人もいます。逆に「できなくなっているだろう」と思って代弁しようとすると、「自分の意見を聞いてほしい」と認知症の人から諭されることもしばしばです。そんな時にはいつも、自分が支援する側として傲慢になっていたことに気づかされます。
だから最も大切なのは、その人に何ができるのかを考える前に、目の前のその人が何を伝えられなくて困っているかを感じ取り、さりげなく支援できる節度ある代弁行為ではないかと思うのです。彼らが望めば要望に答え、望まなければさりげなく「出しゃばらない」代弁こそ、支援者に必要な態度なのではないでしょうか。
私は支援者として…まだまだダメですが……。
次回は「私たちには認知症の人のこころがわかるか」について考えましょう。
そのような多様性を持つ認知症の人の経過を考えるとき、私たちはどのような態度で認知症の人に向かい、そしてどの程度まで代弁をすることができるのでしょうか。「できる」と思っていたら、実は「できなかった」人もいます。逆に「できなくなっているだろう」と思って代弁しようとすると、「自分の意見を聞いてほしい」と認知症の人から諭されることもしばしばです。そんな時にはいつも、自分が支援する側として傲慢になっていたことに気づかされます。
だから最も大切なのは、その人に何ができるのかを考える前に、目の前のその人が何を伝えられなくて困っているかを感じ取り、さりげなく支援できる節度ある代弁行為ではないかと思うのです。彼らが望めば要望に答え、望まなければさりげなく「出しゃばらない」代弁こそ、支援者に必要な態度なのではないでしょうか。
私は支援者として…まだまだダメですが……。
次回は「私たちには認知症の人のこころがわかるか」について考えましょう。