第11回 認知症の人とのかかわり方のヒント(1)
今回からは、家庭介護の現場で家族の人が「どのように対応すればよいか困る」と思う諸問題について、「かかわりかたのヒント」をお伝えしていきます。言い換えれば、医者として、そして介護をしてきた者としての私自身の本音を書いてみたいと思います。
私自身の体験から
妻の母親の介護者として、25年以上の時を過ごしてきました。妻の母親は今年の1月に79歳で見送りました。2年前からは自分の母親(85歳)が腹部のがんになりましたが、母は闘病しながら内科医として診察を続けています。
私の自宅は京都にありますが、母は一人で診療所兼実家のある大阪にいるので、現在、私は多くの時間を大阪で過ごしています。私も妻も「一人っ子」だからです。母は現役であることにこだわり、介護のために他人の支援を受けることを納得してくれません。妻は自分の母親を介護し見送った後、京都で体調を崩しています。ここにも家族の少なさから、身動きがとれない介護家族がいます。
私は講演や原稿でいつも「家族が在宅介護を成し遂げるためには、介護を受ける人一人あたり最低でも2.5人の人手が必要である」と主張しています。肉体的・物理的な面だけでなく精神面でも、ある程度の人数で分け合うことが必要だからです。特に認知症の場合、病気以前のその人には想像もつかなかったような側面が出ることがあります。すると、その人と立場が近い人にこそ、疑いの気持ちや混乱が起こります。そのことを考えれば、家族は介護を続けることで、日々繰り返される心の傷と向き合うことに他なりません。
でも、家族にとって心が安定しないのはそれが唯一の理由ではないでしょう。介護家族はいつも思っているはずです。「この人の認知症は本当によくなることがあるのだろうか」と。いつも聞けるように思えるのに、いざとなったら聞けないことを私の本音で発信したいと思います。
私はいつも認知症の人と家族を前にして、できる限り本音を伝えながら認知症と向き合っていただくことを心がけてきました。それはかつて妻の母親を京都に呼び寄せる前、滋賀県の病院を受診しながら体調不良を訴え続けていた母に付き添って受診した際、何の説明もなく検査結果だけを知らされて診療が終わってしまったことへの憤りであり、その時の思いを繰り返してもらいたくないという思いがあったからです。
次回からさまざまなことについて私の本音を語ります。どうか一緒に考えてください。
私の自宅は京都にありますが、母は一人で診療所兼実家のある大阪にいるので、現在、私は多くの時間を大阪で過ごしています。私も妻も「一人っ子」だからです。母は現役であることにこだわり、介護のために他人の支援を受けることを納得してくれません。妻は自分の母親を介護し見送った後、京都で体調を崩しています。ここにも家族の少なさから、身動きがとれない介護家族がいます。
私は講演や原稿でいつも「家族が在宅介護を成し遂げるためには、介護を受ける人一人あたり最低でも2.5人の人手が必要である」と主張しています。肉体的・物理的な面だけでなく精神面でも、ある程度の人数で分け合うことが必要だからです。特に認知症の場合、病気以前のその人には想像もつかなかったような側面が出ることがあります。すると、その人と立場が近い人にこそ、疑いの気持ちや混乱が起こります。そのことを考えれば、家族は介護を続けることで、日々繰り返される心の傷と向き合うことに他なりません。
でも、家族にとって心が安定しないのはそれが唯一の理由ではないでしょう。介護家族はいつも思っているはずです。「この人の認知症は本当によくなることがあるのだろうか」と。いつも聞けるように思えるのに、いざとなったら聞けないことを私の本音で発信したいと思います。
私はいつも認知症の人と家族を前にして、できる限り本音を伝えながら認知症と向き合っていただくことを心がけてきました。それはかつて妻の母親を京都に呼び寄せる前、滋賀県の病院を受診しながら体調不良を訴え続けていた母に付き添って受診した際、何の説明もなく検査結果だけを知らされて診療が終わってしまったことへの憤りであり、その時の思いを繰り返してもらいたくないという思いがあったからです。
次回からさまざまなことについて私の本音を語ります。どうか一緒に考えてください。